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● 1994/05[1994/03]
『
「ワハハ」という笑い声といえば、荷風さんは昭和27年に文化勲章を貰っている。
これは並みの人じゃ真似のできないことで、さぞ会心の笑みをもらしたことであろうかと思われる。
しかし、これに関しても天下の変人たる面目躍如というべきか、なかなかすんなりとコトが運んだわけではない。
天皇を「天子さま」と称して崇拝してはいたが、官憲に対しては「薩長の田舎ザムライめ」と憎んでいた。
お上が差し出す勲章など「フン!」とばかりに一蹴するに違いないとの観測が一部にあったのだ。
そこをうまく介添えした人がいたのか、意外にすんなり受け取った。
「拒絶されなくて、役人もさぞホッツとしただろう」とか、「年金がつくと聞いて貰うことにしたらしいよ」とか、外野はうるさかったらしい。
いつもはよれよれの洋服に買物カゴを下げて野菜を買い出しに出かけていた荷風さんも、11月3日にはちゃんとモーニングを着用して皇居へ出かけていった。
モーニングは他人に借りたということだ。
受賞式後の記念写真では、前列左から辻善之助、熊谷岱蔵、梅原龍三郎、、後列左から安井曽太郎、朝永振一郎、永井荷風の順にかしこまって並んでいる。
たぶんその晩であろう。
知人が開いてくれた祝宴で、首から勲章をぶる下げて笑っている写真もある。
相好をくずして、開けた口に抜けた前歯の欠けが見え、ほほえましいことこの上ない。
あの口から出る笑い声は、息が漏れて「ファツファツファッ」といったところではないだろうか。
「ぼくの最高傑作は荷風日記36巻かもしれませんぜ」とか、「これからはカタいものを書きましょう」と言っていた荷風さんだが、記録映画でインタビューに答えているのを見ると「別に感想ってないんですがね、もういいものを書くったって、トシとって、もうだめですしね」と語っていた。
ただ、そのインタビュー場所が「千葉県市川の永井荷風氏宅」だったからたまらない。
立ち退きを申し立てられている、荷風氏の暮らしぶりの乱雑さ。
「アベック」の記事はそれを実に見事に描写してくれる。
「
四畳半ならぬ立派な八畳間に、古新聞を敷いて古七輪を据え、ハンゴウを火にかけたあたりが台所兼食堂、それと並んで机とペンと、何冊かの本の積み重ねられているあたりが書斎、床の間の前の万年床が敷きっぱなしになっているところが寝室、ということになろう
」
荷風氏の背後には七輪、茶碗、コップ、マッチ、大小のビンや缶や箱、机、書物、手紙、布団、コウモリ傘などが、畳の上にところ狭しと並んでいるのだった。
』
【習文:目次】
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