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● 1992/10[1992/09]
『
本書は Steven Marcus, 「The Other Victorians」の全訳である。
序文でお分かりの通り、原書の初版は1966年に刊行され、1974年に第2版が出ているが、新しい序文と若干の註が付け加っただけで、本文に変更はない。
著者、ステーヴン・マーカスは、1928年ニュヨーク生まれ。
現在は、ニュヨークのコロンビア大学教授。
本書はまず何よりもポルノグラフイーの古典、『我が生涯の秘密』の存在を世に知らしめたことで、人々の関心を集めた。
いや、と言うよりはむしろ、本書によって、『我が生涯の秘密』が、ポルノグラフィーの古典、その金字塔として脚光を浴びることになったと言うほうが事実に近いかもしれない。
とはいえ、今更言うまでもないことだろうが、本書は、、『我が生涯の秘密』の単なる紹介書ではない。
本書にとって、『我が生涯の秘密』は、ヴィクトリア朝という時代、文化を浮き彫りにするための一素材であり、かつまた、ポルノグラフィーという文学ジャンルの本質を突くための一つの典型であるに過ぎない。
「ヴィクトリア朝的」という形容詞で語られているような、取り澄ました偽善的な文化世界と、その時代に花開いたポルノグラフィーに象徴されるような地下世界、その二つの世界が通底しあっていること、いや、その二つが、一つの時代における同じ一つの意識、同じ一つの強迫観念の二つの現象形態、表裏のものに他ならないというのが、本書が実に説得的に論じきった、著者の認識である。
そして、著者は、自家薬籠中の、文学批評と社会学的分析の手法を駆使して、ポルノグラフィーの内実にまで降り立ち、そこに表現された人間存在とその意識を手繰りだし、そして、それが
「幼児的な性生活のファンタジー----そして思春期の自慰的な白日夢の中で改変され、再組織されたその同じファンタジー----の再現」
であることを突き止める。
こうして、著者はこう結論する。
「人間の成長にとって、そうした一時期を通過することが避けられないとしたら、我々の社会がその歴史の過程において、そうした一時期を通過してはならないとは、わたしにはどうしても思えない」
と。
だとしたら、ヴィクトリア朝とは、筆者にとって、我々の社会の思春期であったということになるだろう。
では、思春期を経た、今日の我々の生きる社会とは、成熟期を迎えた社会ということになるのだろうか。
だが、それにしては性についても、ポルノグラフィーについても相変わらず未解決のままである。
いや、ヴィクトリア朝の時代にもまして問題含みのものになっていると言うべきであろう。
今はまさに、人間の性衝動について、ポルノグラフィーについて、フェミニスト的観点から問題提起が活発に為されているという状況がある。
しかし、ともすれば、現象的な功罪論に終始しがちなそうした議論に、ポルノグラフィーの歴史と内実に迫った本書は、一石を投じ得るものと確信する。
1990年7月
』
【習文:目次】
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