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● 1991/08
『
一月 january
お正月には、いろいろやることがたくさんある。
さんざん見たり、つまみ食いをしたのは「去年のこと」。
そうして去年のうちは、つまみ食いだから、とてもおいしかった。
おぞう煮もいそべ巻きも、お正月に食べるより、去年に食べるときの方がおいしかった。
そうしていざ、ほんとうに食べていいお正月になると、もうすっかりあきてしまっていたのだった。
つまり、お正月っていうのは、まるで「いまどきのコドモ」のようなのだった。
なんでもそろっていて、いろいろいっぱいたくさんあれこれあるんで、食べる前から、遊ぶまえから、もうお腹いっぱい胸いっぱいなのである。
ふるさとは遠くにありて想うものなら、正月は去年のうちに指折り数えて楽しみにする、そのときこそが楽しいもののようだった。
もういくつ寝るとお正月だろうか?
と、おもっているときこそが「お正月」なのである。
ほんとうにやってきてしまったお正月っていうのは、そう、たとえていうなら「現実のお正月」みたいなもんなのだ。
』
『
二月 february
2月になると、節分といって豆まきをします。
それにしたって、食べ物を投げつける、ばらまくというような「ソマツ」をするということは道徳に反することです。
TVなら「お子さんは絶対にマネをしないで下さい」とテロップを流すか、裃に威儀を正した小錦や長島二世に時々その旨を徹底してもらわないといけないでしょう。
それがどうでしょうか。
大人がそれを率先して行い、子どもにも豆入りのマスを渡して
「おまえも、鬼は-外、福は-内! といいながら撒きなさい!」
と命令したりするわけです。
しかし、これは道徳に反することかもしれないが、たしかに「面白い」。
鬼に豆がパラパラふりかかったりしようものなら、いよいよもって面白いというワケです。
豆を捨てたり、しかも他人の顔にぶつけたりというような反道徳的で、もったいないことを、
1年に1回はおおぴらにやってよし!
というワケで、なかなか話のわかった行事なんではないでしょうか。
』
【習文:目次】
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