2010年1月27日水曜日

: 唯一「殺害された」と明記された天皇

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● 1992/02[1991/11]



 仏教はキリスト教と同じく厳格な一神教であり、神道はヒンズー教を上回るほどの多神教である。
 この本質的にまったく違った2つの宗教を、一人の人間が同時に信仰できるのが日本人である。
 これは世界に類例の乏しい特徴であろう。

 どこの国でも、一人の人間がある時点で信仰している宗教は一つなのだ。
 本来、宗教とはそうした排他性(非寛容の精神)を持つものなのである。
 一見、日本と似ているのは中国だ。
 ここでは道教、仏教、儒教、祖先崇拝などが同時的に行われている。
 しかし、これらは長い間に相互に混合し合って、「中国的宗教総体」(余英時氏の言葉)を形成しているのであって、別々の宗教を同一人が信仰しているわけではない。

 どうしてそうなったのか、じつはこの外国人には信じがたい現象こそ、日本人が抵抗なく欧米の近代文明を受け入れ得た基礎になった気風、いわばこの国の民族性なのである。

 神道はごく素朴な、いわば自然発生的な信仰である。
 外国人はまず「神道の聖典は何か」と尋ねる。
 だが、これには答えようがない。
 神道には聖典がまったくないのである。
 「じつは神道には聖典がないんですよ」と答えると、外国人は「あの結婚式や起工式で神主が読んでいるのは何か」と聞く。
 「あれは、その都度、よさそうなことを書くのであって、特定の聖典から抜粋したわけではない」というと、もう一度驚く。
 神道は誰でも何時でも「預言者」になれるのである。

 次には「神道の戒律は何か」という質問がくる。
 ここでもまた答えられない。
 神道には戒律も存在しない。
 要するに「悪いことをしてはいけない、ということです」というものの、その「悪いこと」が何かを規定した文章やいい伝えが何処にもない。
 古事記を何度読んでも戒律らしきものには出会わないのである。
 神道における「八百万神」の概念は、雷や台風などの自然現象、山、滝、大石などの自然物であり、それに祖先崇拝の思想が重なって出来上がっている。
 このこと自体は世界中どこでも起こりやすい宗教の原初的形態といってもよい。
 しかし、その原初的形態が、今日にいたるまで聖典も戒律もないままに続いてきたのは珍しい。
 つまり神道は、宗教としての絶対的価値観、つまり「神の言葉と掟」を持たないのである。
 この絶対的価値観を持たないことによって、他の価値観と共存できたのである。

 仏教は新しい知識と技術を伴っていた。
 医療薬学、建築、利水、金属鋳造などの技術が仏教とともに流入し、そういう技術を持つ帰化人には仏教徒が多かった。
 仏教徒に先端技術者が多かったことが、経済的文化的な興味と現世的な利益と絡まって、この新宗教を非常な勢いで普及させたのである。
 これによって古代大和の王国が栄え、産業が活発になり、土地開発が進んだ。
 新しい宗教の布教活動には現世利益が常につきまとっている。

 仏教の国教化をめざす崇仏派と、日本古来の「随神の道」(かんながら)の護持を主張する排仏派との間で大戦争が起こった。
 蘇我・物部の戦である。
 日本史における、唯一の宗教戦争である。

 天皇家が最高位にある理論上の根拠は、神道神話にある。
 日本(大和朝廷)は、天照大神の子孫の神武天皇が降臨して建てた国ということになっている。
 その神武天皇の子孫が天皇家であるという神道神話に依って、天皇家(おおきみ)が日本の支配者となっている。

 この頃には仏教だけでなく、中国や朝鮮半島の思想や歴史情報が全面的に入ってきているはずである。
 その中には、中国ですでに確立されていた「易姓革命(えきせい)」の思想が加わっていたはずである。

 天子は徳を以って国を治めるべく、天命を受けた人物である。
 徳の高い人がまず天子になり、その子孫が祖先の徳によってこれを引き継ぐ。
 だが、天命が尽きて徳のない人物が子孫に現れるときはその王朝は滅びる。
 そして別の徳の高い人に天命が下り、これまでとは違った新しい王朝(姓の異なる王家)がはじまる。
 したがって、王朝の姓が易(かわ)るのは、天命に従った正当な変革である

 というものである。
 この「易姓革命」思想は、周の文王が殷を滅ぼして周王朝を興したとき、それを正当化するために生まれたとされている。
 殷-周-春秋戦国-秦と変わり、そして漢が生まれる。
 やがて漢も天命がつきて徳がなくなると滅亡する。
 こうして数々の王朝が興亡していたので、「易姓革命」思想は政治概念として定着した。

 この思想には、極度の革命性を持つと同時に、有力者が君主に反逆することも可なりとする倫理を含む戦闘的な内容を持っている。
 易姓革命の思想からすれば、日本では天皇家の徳が尽きれば、別の家系の徳の高い人物がこれに易(かわ)ってよい、ということになる。
 こんな思想が「先進国」から伝わっただけでも天皇家の地位は危ない。
 蘇我氏らの崇仏派から擁立された崇峻天皇も、それに気づくと神道擁護の反仏教にならざるを得なかった。
 崇峻は、言を左右にして仏教の国教化を先送りにし、神道を守り通そうとする。
 その結果、即位五年で、蘇我馬子に殺されてしまう。
 日本の歴代天皇のなかで、「殺害された」と明記されているのは、「崇峻ただ一人」である。
 
 日本には、どんなに政争が激しい時代にあっても、「天皇だけは殺してはならない」という考えがあるが、この時代にはそういう概念は確立されていなかったのである。






 【習文:目次】 



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