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● 1991/08
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昭和58年1983年、日本は貧乏を正式に禁止した。
すなわち、いかなる理由があろうとも「貧乏」をすることは許されざること、となったのだ。
貧乏はすなわち違法となったのである。
貧乏人には強制的に、ウムをいわせず、無理やりに金が押し付けられた。
この執行を妨害、拒否する者は、受領義務金のほかに多額の罰金刑が加算され、いちどきに大富豪にさせられるという極刑が下されることになった。
国民の懐は重くなる一方で、大金が部屋に充満すると、強制的に大邸宅が押し付けられ、否応もなく富まされるのだった。
無論貧乏時代を懐かしむことも固く禁止され、陰で貧乏を楽しんでいるのが知れれば、たちまちのうちに、気の遠くなるような莫大な財産が課されて、とどまることを知らぬげに私有財産は増える一方の有様なのだった。
「もうたくさんだ!!」
と、決起したのは、ケッキ盛んな学生、不満分子の兵士たちで、彼らは「オレたちに金をくれるな!!」、罰金はたくさんだ、金なんぞいらない!!、と、口々に絶叫した。
しかし、こんな講義は、しょせん蟷螂の斧にすぎなかった。
一年のうちに、日本国中の貧乏は一掃され、オダイジン一色に塗りつぶされてしまったのである。
恐るべき富有主義の嵐だった。
一年後、もはや富有主義は津々浦々まで徹底し、近隣に少しでも貧乏の徴候が現れるや人々は争そって金をなげつけるのだった。
もはや国がワザワザ公権を公使する必要もなくなったのである。
人々はこの残酷無比の行為を「助け合い運動」と呼びならわした。
もはや、一片の貧乏も世間には許されなくなって、「びんぼう」はほとんど抽象的な死語となっていたが、相変わらずその糾弾だけは周到に用意されていくのだった。
人々はすでに貧乏の意味さえ忘れていたが、昔日を回想することも不可能なまま、いたずらに貧乏を嫌悪する、意味もなく貧乏を忌み嫌う単なる金持ちに成り果てていた。
「ムロン、貧乏はいけないのであるが----」
と、男は思った。
体の奥の方から聞こえてくるなにか原始的な叫びに耳をかたむけた。
「ムロン、金があるにこしたことはないのだが」
しかし、それ以上はもはや考えが及ばなかった。
あとはもう、どんなイメージも沸いてくることはなかのだった。
199*年、日本は世界一のお金持ちなのだった。
』
【習文:目次】
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