2010年1月13日水曜日
★ 自家製 文章読本:井上ひさし
● 1984/04
『
『文章読本』を編むことは、いまやほとんど不可能に近い。
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『文章読本』を試みるのは滑稽な冒険になるだろうという予測を支える第二の理由、こちらの方が重要なのだが、それは近頃の文学の形勢にある。
もっと正確には、文学を取り巻く世間の在り方にある。
だが、急いではならない。
その前に緒家の説に耳を傾けてみよう。
谷崎潤一郎の文章読本の瑕を数えればきりがない。
それらの瑕が読み進むにつれて、やがて笑窪にかわってしまうのは不思議である。
それこそ文章の力というものだろう。
そして結句の、
《 この読本は始めから終わりまで、ほとんど含蓄の一事を説いているのだと申してもよいのであります。》
に至って、キツネにつままれたような気分になってしまう。
むろんその気分は悪いものではなく、いってみれば、文章術の要諦は授けられなかったかわりに、別の上等な読み物、たとえば『食通読本』のようなものを贈られたのである。
川端康成を飛び三島由紀夫に至って、その文章読本の要旨をまとめれば、
「 気品と格調こそ、文章最後の理想である。
その気品と格調は古典的教養によって培われる」
と、なるだろう。
中村真一郎の文章読本には卓見がちりばめられている。
中村読本の前半の主題は、
「 近代口語文の完成は、考える文章と感じる文章との統一である。
いたがってその完成の有資格者は学者であると同時に作家である人が適当であった。
その実例が、鴎外漱石露伴であった。」
というところにある。
丸谷才一の文章読本は掛け値なしの名人芸だ。
文体論とレトリック論を、大岡昇平の「野火」一作にしぼって展開していく第9章などは、おそろしいほどの力業である。
なによりも文章が立派で、中村読本に凭れかかって言えば、考える文章と感じる文章との美事な統一がここにはある。
奇体なことに、丸谷読本以外の文章読本の文章は、それぞれの書き手のものとしては上等とは言い難い。
金のためにかかれた、あるいは啓蒙読み物として書かれたなどの、執筆時の事情もあるだろうが、日ごろの文章より数段落ちるという印象がある。
ところが、丸谷読本はこの奇妙な慣わしを打ち破ったのである。
とくにその上質の諧謔はわたしたちをうっとりさせる。
これまでの引用個所を、緒家の真意を踏みにじるという暴挙をあえておかしながら、我流にまとめると、次のようになる。
ヒトが言語を獲得した瞬間にはじまり、過去から現在を経て未来へと繋がっていく途方もなく長い連鎖こそ伝統であり、わたしたちは、そのうちの一環である。
ヒトは言葉を書き付けることで、この宇宙で最大の王である「時間」というものに対抗してきた。
芭蕉は50年で時間に殺されたが、しかしたとえば、周囲がやかましいほど静けさはいやますという一瞬の心象を17音にまとめ、それを書きとめることで、時間に一矢を報いた。
「閑さや岩にしみいる蝉の声」、はまだ生きている。
時間はいまのところ芭蕉を抹殺できないでいる。
せいぜい生きても70,80年の、ちっぽけな生物ヒトが永遠でありたいと祈願して創り出したものが「言語」であり、その言語を整理して書き残したのが「文章」である。
わたしたちの読書行為の底には、
「過去とつながりたい」
という願いがある。
そして文章を綴ろうとするときには
「未来へつながりたい」
という想いがある。
だが、奇怪なことが起こりはじめているのも確かである。
かなわぬまでも、時間と対抗しようという、いかにも人間らしい気組みが世の中から、急速に失われていきつつあるらしい。
時間とたたかう前に、やすやすと屈服して、暴君「時間」のなすがままにまかせているようなところがある。
わたしが放送台本作家だったころ、ハプニングと格好良く命名されたその手法は一回性というものを重んじ、二度とは放映しないという<テレビ>という思想で支えられている。
というと人は、テレビと小説とを混同していると腹を立てるかもしれない。
しかし、そうではないのである。
これらの風潮の底には、大量生産→大宣伝→大量購買→大量破棄という、この時代の枠組みがある。
再読、三読に耐えるものなどあっては、後に控えている小説が裁けないから、それではかえって困るのである。
こうした時代での悲劇は、年に数冊あらわれる名作=古典候補作が「ベストセラーのうちの一冊」と安直にレッテルを貼られ、数ヶ月店頭をにぎわして、それからひっそりと消えてしまうのである。
こんな時代でなければ、たとえ細々であっても、長々と売れることであろうに。
こんな状況のもとでは、永遠を目ざす継続性が本質の言語を、
「フン、嘘っぽいネ」
と言ってしりぞける若い人たちが大勢いても、別に何のふしぎもあるまい。
この時代では、過去と未来を結びつけようとする試みの一つである「文章読本」を編むなどは、どうしたって滑稽な冒険にならざるを得ないのである。
』
【習文:目次】
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