2010年1月21日木曜日

: 「我が秘密の生涯」

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● 1992/10[1992/09]



 アシュビーの類を見ない美点として、自分の読んでいない本や、見ていない本に対してはコメントを差し控えるという能力がある。
 私がこれからとりあげる本は、これまでいろいろな人々によって語られてきたが、私見によるかぎり、そのうち誰一人として、原物を読んだことがないという本である。
 その本の紹介かたがた、まずその本に対する、活字となっているコメントを振り返ってみたい。
 この作業をするこよで、我々が検証を加えているサブカルチャーにおいては、学識と称されるものがどのようなものなのかが、非常によくお分かりいただけるはずである。

 問題の本は『我が秘密の生涯』であり、本書に関して諸家が一致している唯一の点は、この本が稀覯書中の稀覯書であるということだけである。
 ------<略>-----

 『我が秘密の生涯』は同じ体裁の11巻からなっており、総ページ数は「4,200ページ」におよんでいる。
 各巻のタイトルページには「アムステルダム・私家版」という文字が見える。
 日付は入っていないが、印刷は1890年という年を真ん中に挟んだ時期に行われたことはまずまちがいない。
 組版の出来はあまりよくない。
 スペルや構文や句読法の誤りが相当あり、そこから推して組版にあたった者の母国語はフランス語(オランダ語ではなく)だと断定できそうである。
 本文は印刷所においても著者によっても校正がなされていない。
 原稿は印刷者にかなりの分量の一まとまりずつが手渡され、印刷者がそれを仕上げて作者に届けたとき、また新しい原稿を貰うというような具合だったようである。
 たとえば、第3巻の初めのところで、作者は、第1巻、第2巻はすでに印刷が終わっており、それを全部読み通してスペルや字体の誤りに気づいているということを述べている。
 この作品の印刷が完了するのには、少なくとも数年はかかっており、その当時六十代の半ばに達していた作者は、明らかに早く仕上げようと焦っており、「完成の時期の遅れ」を心配していた。

 『我が秘密の生涯』の作者は、完璧にとはいかないまでも出来得る限り自分の身許を秘密にしたいと思っていた。
 その目的のために、彼は日付を出さず、名前を変えたり、場所を違えたり、その他の様々な方法をとったりしている。
 しかしながら、作者はそれをまったくにお行き当たりばったりに行っており、何らの一貫性も周到性もないので、作品の中で描かれている出来事の日時や場所を特定するための手がかりを発見するのは実に簡単である。

 『我が秘密の生涯』全11巻は比類のないドキュメントである。
 それは非常に早い時期から自分自身の記録をつけ出し、それを40年以上にもわたってつけ続けた一人のヴィクトリア朝の紳士の性の記録である。
 全11巻の各巻の註として散在している作者自身の言葉によれば、作者は当時の多くのイギリス人と同様に若いときにつけ始めた「ある種の日記」を持っていた。
 しかしながら23歳から25歳の間のある時期から、彼は自分の性の経験や出来事の詳しい記録を書き始めた。
 彼はそれを相当の期間にわたって続けたのち、やがて「厭きてやめてしまった」。
 35歳ごろ、彼はある女性に出会い、彼女や彼女が紹介してくれた人々との間で「男と女が行うことのできるすべてのことに関して、じっくり話し、聞き、見ることができた」。
 この体験がとても強烈だったので、彼は「その記憶が鮮明な間に、4年間にわたる様々な出来事を綴り始めた」。
 その後、彼はこの女と別れ、すぐに「私の青年期と中年期との間の時期の出来事を書きとめる作業に入った」。
 
 だいたいこの時分に、彼は病に冒された。
 彼は2度、病気になっており、どちらの病気についてもあいまいにしか書いていないが、-----------。
 2度目の病いに襲われ、回復期という「中断されない長い休暇」の時間に、また彼は原稿にとりかかった。
 再読し、「日記を参照しながら、忘れたことを適切な個所に書き加えた」。
 彼の心の中に「20年以上も前に始めたこの作品を印刷してみよ」うという考えが初めてひらめいたのはこのときだった。
 当時、45歳だった彼は「成熟期に入り、人生でもっとも好色な時期にさしかかっていた」と興味深いことを言っている。
 この時期はそれから約20年間続くことになる。
 作者は「事があると、その直後にそれについて書くことを楽しみとし」、また習慣ともしていた。
 「それはかなり省略した形だったから、私はたいがいその翌日にそれを長く引きの伸ばして書いた」。

 まず作者は性体験をもち、それを日記の形で書きとめる。
 それから間をおかずに、たいていは2,3日中に、できる限り詳しいエピソードを丹念に書き上げる。
 そうやって長い時間がたつと、原稿がたまってくる。
 ある間隔をおいて、後になるほど頻繁に、作者はだんだん分量を増してくる原稿を再読し、再配置し、分類し、順序を正し、訂正し、短くし、コメントを加えたのだろう。
 作者が原稿を印刷に付そうと決心したとき、原稿の最終的な再読と訂正がなされた。
 名前を変更し、日付と場所を伏せ始めたのはこの時だった。
 作者はまた全体を通して時制を変更し、統一した。
 原稿の大部分は現在形で書かれていたが、それを過去形に直したのである。
 この再読の過程で、描かれたエピソードや、自分自身の態度や、書かれた時点以後に起こった変化などに対しての批評的あるいは理論的な省察の文章が書き加えられた。
 いよいよ最後の再読と編集のときに、彼はコメントに対するコメントも付け加えた。
 これらのコメントはときに〔 〕印を付して挿入されている。
 また別の場合には全部の文章を書き替えている。








 【習文:目次】 



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