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● 1994/05[1994/03]
『
はじめに
みんないろんな物を食べて大きくなった。
そして、いろんな物を食べながら老いていくはずである。
今まで好きだったはずのものがマズくなったり、それまで見向きもしなかった物が意外に「うまい」 と発見することもある。
こんなうまい物を食わないなんてどうかしている。
永井荷風を知ってしまった人は幸なのか不幸なのか。
ある程度の年齢に達しないとわからない珍味の一つである。
食わず嫌いで一向にさしつかえないし、知らずにすんだほうが幸せかもしれない。
その代表作は「濹東綺譚」か「雨潚々」か、「四畳半襖の下張」もあるし「日和下駄」や「断腸亭日乗」も。
いやいや、作品より荷風という人間が面白いのだ。
どうだい、あの反俗精神。
反俗? 半俗じゃないのかい。
文化勲章もらうほどエライのに下駄ばきで買物籠下げて出歩く。
めっぽう女好きでもあったらしいね。
そしてあの死に方、カネも名誉もありながら‥‥。
生きていたときの荷風さんは自分のことをとやかく言われるの、すごく嫌っていたんですがね。
ここだけの話に荷風さんの話は放っておけませんよ。
ひょんなはずみで荷風に陥った人と語り合う内輪話。
せいぜい目を細めて楽しみたい。
』
『
あとがき
本文中のどこかで、さりげなく触れておいたが、本書は一昨年末「永井荷風の東京空間」という本を出す頃から書き始めた。
その刊行後すぐに思い知らされたことがあったのである。
荷風ファンが全国に意外に多数潜伏していることが第一だったが、荷風などまったくご存じない方もまた多いのである。
荷風という名前からして、「何と読むの?」という質問があった。
「あなたが喜々として書いている荷風って一体何なのサ」というわけだ。
人はさまざま、世間は広いのである。
前著は荷風ゆかりの地を訪ねた本、今回は荷風さんの人間を見た本と申し上げられる。
「人間」となると、永井荷風という個人名を知っている知らないにかかわらず通用する内容にしなければならない。
これは大変なことのはずであったが、永井荷風という人にはホント救われる。
見れば見るほど変わっていてタネがつきない。
すなわち本書に書き記した通りであって、荷風を大作家として心酔した読者が面食らうこともしばしばだ。
同じ「人間」として見飽きることがなく、あやしい魅力さえ感じてくる。
同じ穴のムジナとして共感を覚える人もあるのではないか。
年齢を越え、時代を越えて、その存在感は不滅である。
風説をいくら並べ立てても本質は見えてこない。
永井荷風に関しては詳細な伝記がすでにある。
それをなぞり直しながら自分が納得のできる形に「整理」することも重要だった。
第一の章「『大荷風』の成立事情」がそれであるが、多くの人が病みつきになる秘密が見えてくる。
その他、浅草にしろ、葛西橋にしろ、永井荷風ということを離れても(離れ切れないが)、自分なりの感銘を覚えたことを書き綴っていった。
書き始めに三省堂出版局から「ひとりぐらし」というテーマを貰い、永井荷風を題材にしてそれを書きませぬか! という奨励を受けた。
まさに独り暮らしを絵に描いたような永井荷風。
読んでみたいし書いてみたい抜群のアイデアだった。
取材でいろいろな話をお聞かせくださった方々の好意は忘れがたい。
参考文献は本文中でそのつど明記した。
永井荷風作品からの引用は岩波書店の旧版「荷風全集」により行った。
便宜上ごくわずかの場合について句読点や送りかな、ルビを加えた。
挿入してある絵は筆者が書いたものである。
装丁に関しては旧知の士、菊池信義氏のお世話になった。
平成六年一月二十日(木)
』
【習文:目次】
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