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● 2000/06[1995/06]
『
わたしはイタリアが好きです。
ミラノやローマの空港に降り立つ度に、まるで初めてイタリアに来たときのようにわくわくします。
世の中の面白いことが自分を待ち受けているような感じ、といえばいいのでしょうか。
「今度は何を見せてくれるのかしらん」。
走って国中を見てみたいような衝動に駆られます。
嬉しくて嬉しくて、いてもたってもいられません。
日本とイタリアを往き来するようになって19年目になりますが、未だに毎回この気分は変わりません。
ところが、そうした幸せな気持ちをじっくり噛み締める間もなく、「イタリア的トラブル」はやたら次々と身に降りかかってじます。
空港でまつわりつく白タク。
押し寄せるジプシーのスリ団。
あっつ、釣り銭ごまかされた!
ニコニコしながら、違う道順を教えてくれるオジさん。
しょうっちゅう計算間違いのある、公共料金請求書。
ああ、どうしてこんな国に来てしまったのだろう。
やっぱり、日本がいいなあ。
期待を裏切られる生活にもすっかり疲れてしまって、深いため息をつきながら天を仰ぎます。
すると、また天から笑いと幸せが降ってくる。
そういう国です、イタリアは。
秩序正しく見事に統制のとれた日本社会と違って、外から見ればイタリアは支離滅裂です。
中に入るともっとすごい。
国民全員が、自分の好きなことを自分勝手にしています。
みな一斉に文句を言う。
必死で言う。
自分だけが正しく、他人は間違っている。
うるさいの、うるさくないの。
ところが、避難はするけど否定はしない。
それもまた人生、と尊重するのです。
そこで、ますます統制は乱れ、イタリアは四方八方へと収拾がつかなくなる。
困った、と言いながら、でも誰もまとめようとはしない。
イタリア人の数だけイタリアがある、という感じ。
まさに混乱の極み。
これではまともな社会生活が送れる方が不思議というもの。
でも、このカオスこそがイタリアのパワーです。
巻き込まれると大変です。
が、それもはじめのうちだけ。
波乗りをする気分で、イタリアの事件の海に身を任せるのが楽しみになってきます。
陽気なだけが取り柄のように言われるイタリアですが、辛いときだってある。
暗くてさみしいイタリアもあれば、憎たらしいイタリアもある。
私が会ったいろいろなイタリアをご紹介してみたつもりです。
イタリアへ、本当に、ようこそ。
1998年8月 内田洋子
』
【習文:目次】
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