2010年3月9日火曜日

: 無責任人間 ピータンパン人間の誕生


● 1984/05



 アメリカではこの過去30年というもの、書籍やメデイア、それに教育思想にいたるまで、すべてが「許容の精神」をモットーにしてきた。
 その結果、親の権威を振りかざしたり、罰を与えるのはもってのほか、子どもの成長空間を制限するようなことは、けっしてしてはいけないという育児が、堂々とまかり通るようになってしまった。

 この方式で育てられた子どもはどうなったか。
 無責任人間、それも
  「本格的な無責任人間」
 になってしまった。
 怠け者とか怠惰などというなまやさしいものではなく、自分だけは特別だと信じ込んでいるから手に負えない。
 しかも悪いことに、こうした無責任ぶりを誰も直そうとしなかったので、彼らは基本的な身の回りの始末すらできない。
 清潔にするとか、整理整頓するとか、礼儀をわきまえるとかいった、日常のちょっとした立居振舞いもちゃんとできない。
 さらに進み、本当にだらしない人間になると、完全に自信をなくしてしまう。
 理由は簡単。
 「小さなことさえちゃんとやれないんだから、大きなことなんかヤル気にならない」
 子どもはそう思い込んでいる。

 ほとんどの場合、両親は子どもの前では幸福そうな夫婦を演じようとする。
 本音をぶつけ合って真実に出会うことを恐れ、お互いに避けている。
 相手がどうだこうだと言い合うのもイヤだが、自分たちの、このみじめな気持ちをこれ以上認めるのはもっとたまらないからだ。

 そんなことをするくらいなら、とにかくここは笑顔をつくり、一見楽しそうに、にぎやかに一家で揃ってお出かけなどしたほうが面倒でなくていい。
 心がどこかよそに行っていたって、誰も文句は言わない。
 決められたとおりの役割を従順に、忠実に果たしてさえいれば、それで済むのだから。
 こうした家族は傍目にはどこも悪いようには見えない。
 むしろ、うらやましがられるかもしれない。
 中がよくて楽しそうで、非の打ち所がないファミリーだ。
 しかしそれは外観だけで、感情の世界では、一皮剥くと、まるでガン細胞のように不満が猛烈な勢いで増殖し続け、幼い子どもたちの心や平和や安心をむしばんでいる。
 こうした夫婦は口に出して言わないが、こどもたちのために離婚もせずにがんばっている。
 しかし、それは大きな間違いだ。
 このままではいけない。
 さもないと子どもたちはますます不幸になる。

 ピーター・パン人間のファミリーには、経済的に何の苦労もない家族が多い。
 子どもに愛情の代わりに「小遣い」を与える親たちなのだ。
 親はお金の稼ぎ方を教えることもない。
 子どもたちも、食べものに家、それに安全を当たり前のことだと思っていて、何か
  「お金で買える新しい遊び」
 はないかと、探し回っている。

 制限無しの豊かさは、子どもたちにドミノ効果(将棋倒し効果)を引き起こす。
 まず、「勤労の価値」が真っ先にに崩壊する。
 快楽は働いてはじめて手に入る価値ではなく、当然の権利とみなされてくる。
 次に、あまりにも時間を持て余し、彼らは個人としてよりも、むしろ家庭があまりにも不安定なために、グループとしてのアイデンテイテイを求めるようになる。
 必死になって、自分たちの「居場所」を探そうとする。











 【習文:目次】 



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