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● 2002/06
『
ところで、上海で数人の中国人に会って話してみると、意外なことに
「台湾の人々が独立したいのならすればよい」
という意見が多かった。
「台湾には独立してもらった方がいい、上海も独立できるから。
私のまわりの若い人は、皆そう考えていますよ」
と述べる若い人もいた。
調査の母数が数人では少なすぎるが、私は非常に意外だった。
これをどう考えるべきだろう。
頭をよぎったのは、
「北京愛国、上海愛出国、広東売国」
という言葉だった。
「
北京の人の愛国心は強い。
上海人は祖国を捨てて外国にいきたがる。
広東人はお金のためなら祖国を外国の侵略者にも売る
」
といった意味らしい。
広東省にとって非常に重要な意味を持つ香港が、中国領土でありながら「外国」の地位にある場所であるとしたら、「租界」から生まれた上海は逆に、「外国」を中国国内にとりこんだ伝統を持つ場所だといえる。
そこが広東と上海の違いになっていると思われる。
これを私なりに台湾との関係にあてはめると、
「国家意識の強い北京の人は、台湾に独立されると中国の統一が崩れかねないので大反対」
「上海の人は、自分たちも自由になりたいので台湾独立は容認」
「広東の人は、経済発展にプラスなら、台湾企業は大歓迎、中華民国の学校も作っていいですよ」
といったところになる。
台湾にはもともと、マレー・ポリネシア系の先住民族の人々(台湾では「原住民」と呼ばれている)だけが住んでいた。
そこに16~17世紀に、台湾海峡の向かい側にあたる中国大陸の福建省や広東省から、中国人が移民してくるようになった。
現在、台湾の人口の約85%を占める「本省人」は、その子孫である。
本省人の母語である「台湾語」は、福建省南部の言葉「ビン南語(びんなん)」と同じである。
台湾語は、もともと表記法のない言葉で、文法も北京語とは全く違う。
現在の台湾では、意味と発音が近い漢字を各音節に当てて表記する方法をとっている。
ある音節にどの漢字を当てるか、規則が一つだけでないなどの難点があり、ほとんど実用されていないという。
台湾語は事実上、会話だけの言葉である。
2000年3月、台湾で史上初の政権交代が起きた。
総統(大統領)を決める選挙で、それまでの50年以上政権の座にあった国民党が破れ、野党だった民主進歩党(民進党)が勝ったのである。
中国大陸の共産党政権は一度も国政選挙をしたことがないから、選挙による政権交代は中国4千年の歴史でこれが初めてだった(台湾を中国の一部だと考えた場合の話しだが)。
民進党は圧倒的に本省人の政党で、国民党も共産党も外部勢力であると敵視し、
「台湾は中国と別の国になるべきだ」と主張する「台湾独立論者」も多い。
李登輝は、1996年の総統選挙で自分が勝ち、次の2000年の総統選挙で野党民進党が勝つまで、与党のトップにいるのにもかかわらず、密かに民進党を支持しているのではないか、と思われる言動をすこしづつとるようになった。
国民党の内部では、以前は党を牛耳っていた外省人がはずされ、李登輝を筆頭に本省人が要職につくようになった。
こうした国民党の「本省化(台湾化、本島化)」は、国民党を民進党に近づけるものだった。
こうした台湾政府の「本省化」の仕上げが2000年の総統選挙だった。
この選挙のあと、李登輝は国民党が負けた責任をとって党首を辞任した。
李登輝という政治家の行為には、鬼気迫るものがある。
彼は権力の頂点に上りつめながら、国民党が圧政を復活しないよう、中国による武力支配にも向かわぬよう、民主化を逆戻りできないようにするために、自らが政治的に「自爆」することで、国民党政権を潰してしまった。
その心理は、中国の個人主義的な政治伝統の中にいる外省人政治家や大陸の共産党には、理解しにくいものだろう。
せっかく権力を手にしたのに、台湾の人々のためとはいえ、どうしてそれを自ら壊すことができるのか。
「これはまさに、戦争中の日本にあった特攻隊の自爆攻撃の精神だ、やっぱり李登輝は半分日本人だったんだ、と中国人たち(外省人と共産党)は思っていますよ‥‥」
と知日派台湾人が選挙の直後、感慨を込めて語っていた。
』
[◇]
副題が「何も知らない日本」とあったので、いったいどんなことが書かれているかと思った。
まるで知らなかったのは、中国は海洋大国だったということである。
このことと些細な出来事を除いて、大局的にはとりたてて「何も知らない」というものはない。
若干、視点を変えてみればこうも解釈できますよ、というところである。
政治論や経済批評などの本の大半は、ほぼそんなものであふれ出る情報の一つである。
「なるほど、そうも言えるな」
とうなずける部分があれば、読んだ価値がある、ということであろう。
【習文:目次】
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● 2002/06
『
ところで、上海で数人の中国人に会って話してみると、意外なことに
「台湾の人々が独立したいのならすればよい」
という意見が多かった。
「台湾には独立してもらった方がいい、上海も独立できるから。
私のまわりの若い人は、皆そう考えていますよ」
と述べる若い人もいた。
調査の母数が数人では少なすぎるが、私は非常に意外だった。
これをどう考えるべきだろう。
頭をよぎったのは、
「北京愛国、上海愛出国、広東売国」
という言葉だった。
「
北京の人の愛国心は強い。
上海人は祖国を捨てて外国にいきたがる。
広東人はお金のためなら祖国を外国の侵略者にも売る
」
といった意味らしい。
広東省にとって非常に重要な意味を持つ香港が、中国領土でありながら「外国」の地位にある場所であるとしたら、「租界」から生まれた上海は逆に、「外国」を中国国内にとりこんだ伝統を持つ場所だといえる。
そこが広東と上海の違いになっていると思われる。
これを私なりに台湾との関係にあてはめると、
「国家意識の強い北京の人は、台湾に独立されると中国の統一が崩れかねないので大反対」
「上海の人は、自分たちも自由になりたいので台湾独立は容認」
「広東の人は、経済発展にプラスなら、台湾企業は大歓迎、中華民国の学校も作っていいですよ」
といったところになる。
台湾にはもともと、マレー・ポリネシア系の先住民族の人々(台湾では「原住民」と呼ばれている)だけが住んでいた。
そこに16~17世紀に、台湾海峡の向かい側にあたる中国大陸の福建省や広東省から、中国人が移民してくるようになった。
現在、台湾の人口の約85%を占める「本省人」は、その子孫である。
本省人の母語である「台湾語」は、福建省南部の言葉「ビン南語(びんなん)」と同じである。
台湾語は、もともと表記法のない言葉で、文法も北京語とは全く違う。
現在の台湾では、意味と発音が近い漢字を各音節に当てて表記する方法をとっている。
ある音節にどの漢字を当てるか、規則が一つだけでないなどの難点があり、ほとんど実用されていないという。
台湾語は事実上、会話だけの言葉である。
2000年3月、台湾で史上初の政権交代が起きた。
総統(大統領)を決める選挙で、それまでの50年以上政権の座にあった国民党が破れ、野党だった民主進歩党(民進党)が勝ったのである。
中国大陸の共産党政権は一度も国政選挙をしたことがないから、選挙による政権交代は中国4千年の歴史でこれが初めてだった(台湾を中国の一部だと考えた場合の話しだが)。
民進党は圧倒的に本省人の政党で、国民党も共産党も外部勢力であると敵視し、
「台湾は中国と別の国になるべきだ」と主張する「台湾独立論者」も多い。
李登輝は、1996年の総統選挙で自分が勝ち、次の2000年の総統選挙で野党民進党が勝つまで、与党のトップにいるのにもかかわらず、密かに民進党を支持しているのではないか、と思われる言動をすこしづつとるようになった。
国民党の内部では、以前は党を牛耳っていた外省人がはずされ、李登輝を筆頭に本省人が要職につくようになった。
こうした国民党の「本省化(台湾化、本島化)」は、国民党を民進党に近づけるものだった。
こうした台湾政府の「本省化」の仕上げが2000年の総統選挙だった。
この選挙のあと、李登輝は国民党が負けた責任をとって党首を辞任した。
李登輝という政治家の行為には、鬼気迫るものがある。
彼は権力の頂点に上りつめながら、国民党が圧政を復活しないよう、中国による武力支配にも向かわぬよう、民主化を逆戻りできないようにするために、自らが政治的に「自爆」することで、国民党政権を潰してしまった。
その心理は、中国の個人主義的な政治伝統の中にいる外省人政治家や大陸の共産党には、理解しにくいものだろう。
せっかく権力を手にしたのに、台湾の人々のためとはいえ、どうしてそれを自ら壊すことができるのか。
「これはまさに、戦争中の日本にあった特攻隊の自爆攻撃の精神だ、やっぱり李登輝は半分日本人だったんだ、と中国人たち(外省人と共産党)は思っていますよ‥‥」
と知日派台湾人が選挙の直後、感慨を込めて語っていた。
』
[◇]
副題が「何も知らない日本」とあったので、いったいどんなことが書かれているかと思った。
まるで知らなかったのは、中国は海洋大国だったということである。
このことと些細な出来事を除いて、大局的にはとりたてて「何も知らない」というものはない。
若干、視点を変えてみればこうも解釈できますよ、というところである。
政治論や経済批評などの本の大半は、ほぼそんなものであふれ出る情報の一つである。
「なるほど、そうも言えるな」
とうなずける部分があれば、読んだ価値がある、ということであろう。
【習文:目次】
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