2010年3月5日金曜日

: 4つのエスニック・グループ

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● 2005/04



 台湾と中国の関係は。アメリカとイギリスの関係に似ています。
 アメリカはかってイギリスの植民地でした。
 原住民たちが暮らす土地に、イギリスから海を渡ってやって来た多くのアングロサクソンたちが入植し、開拓しました。
 やがて独立戦争が起こり、いまではアメリカはイギリスとは完全に切り離された独立国となっています。

 私たちの祖先の多くも、もともとは中国から海を渡ってきました。
 これは、アメリカ人の祖先の多くが、かってイギリスから渡ってきたのと同じです。
 しかし、ある期間を経て、それぞれ別の国を形成するようになります。
 台湾と中国の関係も同様です。
 アメリカ人がすでにイギリス人でないように、台湾人もすでに中国人ではないのです。

 台湾には、おおよそ4つの言語があります。
1. 原住民の言葉
2. ホーロー語
3. 客家語(ハッカ語)
4. 北京語(ペキン語)
 です。
 これら言語の違いにしたがって、台湾人は4つのエスニック・グループに分けることができます。

 原住民は旧い時代から台湾に住んでいた、マレー・ポリネシア語系の人たちです。
 かれらの言葉は、いまもフィリッピンの一部の人たちが使う言語と共通する部分があります。
 これは、戦争中に日本の兵隊としてフィリッピンへ行った原住民が発見したことです。
 原住民は台湾にいちばん長くいる人たちですが、今日では数が少なくなり、全人口約2,200万人のうち、約「45万人(2%)」です。
 アメリカやオーストラリアでもそうですが、原住民というのは圧迫を受けがちで、数がどんどん少なくなる傾向にあります。

 その他は漢人です。
 かって中国から渡ってきた人たちですが、そのなかでさらに3種類に分かれます。

 一つは「ホーロー語」という言葉を使う、15~16世紀におもに中国の福建(ふっけん)から来た人たちです。
 かれらがいちばん数が多く、現在、約「1,610万人(73%)」います。
 私たち(著者夫妻)はおそらくこのグループに属するだろう思いますが、途中でいろいろな人種が混ざっているでしょうから、確証はありません。
 しかし、いま使っている言葉からいえば、まちがいなく「ホーロー語系」です。
 この人たちがいつごろ中国から渡って来たかは人によってさまざまで、まだ二代目、三代目の人もいます。

 二つ目は「客家(ハッカ)」です。
 彼らはホーローから少し遅れて、主に中国の広東(カントン)から渡ってきました。
 彼らの言葉は広東語ではなく客家語というものです。
 中国の元国家主席の鄧小平さん、シンガポールの元首相のリー・クアンユーさん、台湾前総統の李登輝さんが客家です。
 1851年に中国で起こった「太平天国の乱」における反乱軍の主流をなしていたのも、この客家の人たちでした。
 かって一般の漢人には纏足(てんそく)の習慣がありましたが、客家はそれをしませんでした。
 同じ漢人系の言葉でも、ハッカ語とホーロー語はずいぶん違います。。
 この「ハッカ語系」の人たちが現在、約「345万人(15%)」います。

 これまでに挙げた3つのグループの人たちは、第二次世界大戦が終結した1945年8月以前に、すでに台湾に住んでいた人たちです。
 1895年から1945年までの50年間、日本は台湾を植民地として統治していましたから、この50年間、彼らは「日本人」とされていました。
 戦争中は、日本の兵隊として戦場にも行きました。

 4番目は、もう一つの漢人系のグループで、終戦直後から1949年の終わりごろにかけて中国大陸から渡って来た、国民党政府とその家族たちです。
 この人たちは日本による被統治の経験はなく、第二次世界大戦では日本と戦っていました。
 いちばん最初に国民党が台湾に入ってきたのは、「1945年10月25日」のことです。
 日本が8月15日に敗戦し、すぐにアメリカ軍が進駐してきたのと同じように、それまで日本に支配されていた台湾に、中国から国民党が進駐してきたのです。
 その後、1949年10月に中国大陸で中華人民共和国が成立すると、国民党政府の関係者が百万人以上も中国から逃げてきました。
 戦後、こうして占領軍のような形で統治者として大量に入ってきたこの中国系の人たちは、北京語を共通語としていました。
 この人たちとその子孫が現在の「北京語系」グループで、いわゆる「外省人」と呼ばれる人たちです。
 その数は現在、約「300万人(14%)」です。











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