2010年3月12日金曜日

★ 韓国の「昭和」を歩く:ソウル駅:鄭銀淑

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● 2005/07



 韓国の鉄道の歴史は京仁線(キョンイン)から始まった。
 京仁線は日本企業によって1899年9月に仁河・鷺梁津(ノリャンジン)の33.2kmを結んで開業した。
 1900年には漢江鉄橋(ハンガン)が完成し、も南大門駅まで開通。
 この南大門駅が1910年に解明されて「京城駅」となった。

 南満州鉄道株式会社(満鉄)は、京城駅を日本、朝鮮、満州を結ぶ国際標準の駅舎にせねばならないと判断し、新しい京城駅を1922年6月に着工し、1925年9月に完成させた。
 これが今のソウル駅の建物である。
 丸いドームと赤レンガが際立つソウル駅が見えてきた。
 植民地時代から今に至るまでの韓国の近代史を目撃してきた駅。
 KTXの開通とともに建てられた新ソウル駅が脚光を浴びているため、昔ほどの存在感はなくなってしまったが、立てられた当時はその規模と豪華さにおいて朝鮮総督府とともにソウルの近代化を象徴する建築物であった。



 ソウル駅を見て東京駅を思い浮かべる日本人は多い。
 それは決して不思議なことではない。
 ソウル駅は朝鮮総督府に勤務したドイツ人技士C・K・ラデインと東京大学の建築家教授である塚本靖の合作として知られている。
 塚本靖は朝鮮銀行本店を設計した、日本近代建築の父である辰野金吾の弟子である。
 辰野金吾はアムステルダム駅にならって東京駅を設計した。
 その弟子である塚本靖は師匠の作品・赤レンガの東京駅にならって京城駅を構想したといわれている。
 当時、駅の1階には待合室、2階には貴賓室と床屋、食堂があり、地下には駅事務所があった。
 2階にはあった洋式食堂は当時のセレブたちが集まる社交場として名声を誇ったという。
 
 駅舎の軒には直径1mを超える大きな時計がかかっている。
 まだ時計が貴重品だった時代に、庶民に時刻を知らせるという役割もあったらしい。
 現在のソウル駅の時計は1957年に入れ替えられたものだ。
 ソウル駅の時計だけでなく、朝鮮では鉄道そのものが庶民の時間感覚を大きく変える役割を果たした。
 農耕社会で暮らしていた朝鮮人には分・秒単位にまで時間を切り分けるような西洋的な概念はなかった。
 しかし、列車は決まった時刻に出発する。
 人々は列車に乗るために、時刻を気にしなければならなくなった。
 朝鮮の庶民は鉄道が入ってきたことにより、近代的な時間感覚を学んだのだった。












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