2010年3月14日日曜日

: 左官屋パラーデイオ、建築家になる


● 2000/06[1995/06]



 時は16世紀。
 ルネサンス時代。
 海運業が零落し、次の活路を領土拡大に求めたヴェネツイア。 
 まず手始めに隣国ヴィチェンツアを侵略した。
 そして征服した証に、街の景観をヴェネツイアそっくりにしてしまった。
 ヴィチェンツアの貴族は、悔しくて悔しくて
 とはいえ、簡単にどけてしまうわけにもいかない。
 モノはなにせ広場まるごとなのである。

 「ヴェネツイア人が、この世で一番嫌いなものはなんだろう?」
 ヴィチェンツアの貴族は、毎日考えた。
 「ローマである!」
 ずっと商売に、つまり海賊業、に明け暮れていたヴェネツイア人は、異国の文化(つまり、略奪してきたもの)と新しい情報をたっぷり手に入れて、しかも金満家だ。
 ところが自分たちの独自の文化といえば、ゼロに等しい<貧乏>ぶり。
 一方、ローマといえば、イタリア半島の歴史が始まって以来、脈々と続く濃厚な文化基盤と人材がある。
 坊主憎けりゃ何とかで、ヴェネツイアは<ローマ的なもの>との接触を一切拒んでいたのである。
 「これしかない!」
 ヴィチェンツアの貴族は思った。

 ヴィチェンツアの有力貴族邸に出入りする左官屋の仲に優秀な若者がいた。
 主人はこの若い左官屋を呼びつけて、こう言った。
 「
 パッラーデイオ、明日からお前はローマへ建築の修業に行け。
 現地で、古代ローマ人の偉業をしっかり学んでこい。
 できるだけ早く優秀な建築家になるよう日々努力すること。
 費用は全て私が出す。
 かってのローマの壮大な構想を最大限に引き立てながら、現代の文化を創りだす修業を積んでくるのだ。
 これみな、ヴィチェンツアの名誉のためなのだ。

 劇作家でもあったこの貴族は、あるギリシャ悲劇の復讐を遂げる登場人物の名を左官屋にはなむけとして贈った。
 「明日からお前の名は、アンドレア・パッラーデイオとせよ」

 ルネサンス時代の大建築家パッラーデイオは、こうして世に出たのである。
 いかにもローマ的でありながら、実は全く新しいモノ創りを、と言われてパッラーデイオは必死でがんばった。
 至難の注文だ。
 こうして、巨匠古代ローマ人建築家たちの構想と技法を巧みに活かしながらも、まるで新しい建築物が、そう「パッラーデイオ様式」が誕生したのである。

 さあいよいよ<仕返し>の開始である。
 目には目を、歯には歯を。
 そして「文化には文化を」。
 パトロンが考えた仕返しは、ヴェネツイア人の大嫌いな<ローマ>を、パッラーデイオの才能で味付けをモダンにして街中にもってこよう、というものだった。
 建築の注文を受けるたびにパッラーデイオは、自分の個性むき出しの建物を意欲的に造った。
 何処から見ても、パッラーデイオ。 
 何処に建っていても、パッラーデイオ。
 斬新で強烈なその建築様式は、でもどこか<ローマ>なのである。
 パッラーデイオの行く先々に、にょきにょき<ローマ>が出現した。
 お金を出し続けた貴族は、どんなに嬉しかったことだろう。

 ヴェネツイア人は、よほど悔しかったらしい。
 当時大評判だったパッラーデイオ先生の作品は、ヴェネツイアでは街の外れの目立たないところにポツンポツンとたっているだけなのである。
 しかも小さく。
 
 「壮大な喧嘩は、壮大な文化を生む
 のですね。







 【習文:目次】 



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