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● 1998/03
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デフレとは経済が小さくなろう小さくなろうという動きである。
生産が減り消費が減り、仕事もなくなる。
この過程で物価が下がり、株価が下がり、金融不安が起こる。
こういう動きがデフレである。
このデフレについてわたしたちは余りに無知である。
インフレについては学校で教える。
「インフレは弱者にしわ寄せが来るので、絶対に避けなければならない」
というのはどの教科書にも書いてある。
直近では1973年に勃発した石油ショックがあった。
OPECが原油価格を大幅に引き上げたのをきっかけに国内の物価が急騰した。
東京都の消費者物価は1975年にかけて、3年間で一気に50%も上がってしまった。
このときには、日本全国のモノ不足の脅威が覆って、トイレット・ペーパーがない、洗剤がないと主婦が恐怖に駆られてスーパーに殺到した。
その後、これが業者の買占めによる作られた狂乱物価だったとわかるのだが、あのときの混乱は昨日のことのように思いだされる。
確かにインフレは忌避すべきものだが、同じようにデフレの恐ろしさも知っておく必要がある。
「デフレ」についてはお年寄りを除くほとんどの人が未知の世界である。
しかし、インフレは20世紀になって頻繁に問題となるが、19世紀まではインフレよりも、デフレの方が普通のことだったという
デフレは2つの道筋で発生する。
第一は国内で「バブル」と「バブルに崩壊」によって起こる。
バブルで膨張した経済がバブル崩壊によって需要が落ち込み、人手と設備が過剰になり、膨大な「需要ギャップ」が発生する。
そのため経済全体が小さくなろうとする方向へ押し出される。
第二の道筋は、国際的な動き、世界が一つになることによって起こる。
世界が一つになる第一の過程は、1989年以降東の陣営が、社会主義経済から資本主義経済に移ってきた結果人件費の安い商品が出回り、価格の引き下げや物価の下落という動きを通して、経済を引き下げる方向へ動くためである。
第二の過程は、情報や技術かくしいやお金の動きを通して経済が一つになることにある。
なを、デフレの第三の道筋として、最近の情報化や技術革新によって、労賃や製品価格を抑えられ、これがデフレ圧力となって世界経済を構造的に包み込むという見方もある。
デフレは単に生産活動が縮小し物価が下がるだけではない。
経済が構造的に小さくなろう小さくなろうとするワナにはまった状態、すなわち
「悪魔のサイクル」が動き出した状態を言う
のである。
「右肩上がりの神話」は突き詰めると「インフレ思想」といっていい。
経済が拡大し続け、物価は上がり続けるから借金をしてもいずれ収入が増えて返済ができるようになり、株価だっていつかは上がるはずだから我慢して持ち続ければよかった。
ところがデフレはこれと全く反対の動きである。
経済は縮小し物価は下がりはじめる。
借金をしている人は辛いことになる。
バブル崩壊で世の中がインフレ時代からデフレ時代に変わってしまったことに気づかなかったか、あるいは変化に気づいたものの過去の夢が忘れられなかったかである。
バブル崩壊、デフレ問題の解決を考える上でどうしても避けて通れないのが「需給ギャップ」の問題である。
つまり、バブルで経済が膨張するに伴って生産設備や人員などが増えるが、バブル崩壊によって消費者などの購買力がなくなり、購買意欲も減退してしまうと、大きな需給ギャップが生じてしまう。
このギャップを\埋めるために企業はリストラを進め、家庭では収入と支出や借金のばらんすをとるために生活を切り詰める。
効した動きが、経済を小さくしよう小さくしようという動きになり、デフレとなっていく。
アメリカ大恐慌のときに最も問題だったのがこの膨大な需給ギャップだった。
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【習文:目次】
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