2010年3月9日火曜日

★ ピータンパン・シンドローム:著者まえがき:ダン・カイリー


● 1984/05



 それはけっして生命を脅かしたりしないから病気ではない。
 その人の精神的健康状態を危険にさらすわけだから、たんなる不都合ではすまされない。
 その症状はよく知られたものなので、これから私が話すことは、発見とはよべない。
 ただ、そうは言っても、この状態を採りあげて詳しく説明した本はこれまでなかったのだから、本書はその意味で画期的だと自負している。
 ”それ”は新種の心理現象である。
 だから既存のカテゴリーにはあてはまらない。
 が、その存在は否定できない事実だ。
 私たちの職業では、そうした異変を『シンドローム(症候群)』と呼ぶ。
 そしてシンドロームとは、いくつもの症状の集合体のことで、それが
  「ある種の社会現象をひ引き起こしているもの」
 である。
 
 この本は、大人になりきれなかったアダルトの男たちについて書かれたものである。
 彼らがどうしてそうなったのか、そこでどんなことが起こっているのかについても述べることになる。
 1章を読めば、あなたは身近な誰かを、実はこの”おとな・こども”とみなすようになるだろう。
 また、なぜ彼がそのような行動をするのか、きっと「なるほど」と納得すると思う。
 彼らは10代の後半から20代の初めを、勝手気ままに生きてきた男たちだ。
 ナルシズムに酔い、自分以外の世界は見ようとせず、現実離れした自我の旅を続け、その時々の空想のままに行動することを最高と信じていた。
 しかし、現実という壁にはばまれ、だんだん目が覚めてみると、今度は今までとは逆に、「‥‥したい」を「‥‥すべきだ」に置き換えて、世間から後ろ指さされない行き方こそ、自分に許される唯一の生きる道だと、180度の方向転換をやってのける。
 ときどき、感情を抑えきれなくなって爆発するが、周りの人たちはそれを男らしい自己主張と解釈しがちだ。
 しかし彼らは、愛されて当然とは思っても、自分から他人を愛そうとはしない。
 大人のフリをしているが、やっていることをよく観察すると、甘やかされた子どもと同じ幼い男にすぎない。

 子ども時代、あれほど賢く感受性の豊かだった男が、どうして未熟で怒りっぽい大人になってしまうのだろう。
 それは、子どもから大人になるまでの長い時間の経過の中で起こった変化である。
 この経過を逆転させるチャンスはたくさんある。
 あきらめるのはまだ早い。
 きっとチャンスがある。

 この本は、”おとな・こども”たちに手を貸そうとする友人や親類などの大人のひとたちにも、もちろん役立つと思うし、何よりも”おとな・こども”である本院のための本でもある。
 今からでもけっして遅くはないのだ。
 何歳になったら手遅れということはない。

 あなたは、きっと彼を助けることができる。
 彼は自分を愛してもいなければ、自分を信じることももないし、まして自分自身に耳を傾けることもまいからだ。

 これから彼は、この世界をできるだけ広く旅しなければならない。
 それは自分の気持ちを語り、ひとの話に耳を傾けるという旅なのである。

 1983年 ダン・カイリー







 【習文:目次】 



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