● 2005/04
『
代表処の婦人会の人たちにも、台湾語が話せない人が多くいます。
「あなたは外省人なの?」と聞くと「違う」といいます。
台湾語を聞いて意味は少しわかるのですが、言葉が出てこないのです。
問題なのは台湾には、
「中国語は上品な言葉。台湾語は下品」
と思っている人たちがいることです。
台湾語を話すと二級市民と見られるという意識があるのです。
「台湾語は話せるけど、ちゃんとした会議では台湾語は使わない」という人もいます。
そういうことはおかしいと皆分かりかけているのですが、50年という時間は長く、しかも小学校からずっとそういう教育を受けていますから、台湾人が自分意大して自信がもてないというのは、無理もないことなのです。
いまでは自信を取り戻すために、さまざまな人たちが教科書に台湾のことをもっと入れようと努力しています。
一時期は「認識台湾」という科目も設定されました。
しかし、これは2003年に立法議会(国会)で、統一派の議員の反対があり、取りやめになりました。
ですから、憲法を改正しなければ、本当に教育も変えられないのかもしtれません。
つい先ごろも、国家公務員の試験で台湾に関する問題を出したら、国会で大きな反発にあいました。
試験問題を作成した人をクビにしろという意見も出たのです。
国家公務員は台湾のことを知らなければいけないのに、反対するのはおかしいと思います。
まだまだ、このようにもめている最中なのです。
現在、台湾の共通語は北京語です。
北京語が強制されなくなったのは2000年に政権が変わってからのことです。
ここ数年は、「母語回復」の運動や「台湾本土化」政策が始まっています。
公共テレビで長い時間をさいて原住民の言葉と文化を伝える番組が放送されるようになりました。
客家委員会というのもあります。
「ハッカ文化と言葉」を大事にするという趣旨で、彼らは独自のテレビ局までもつようになりました。
この局ではハッカ語の番組を24時間放送しています。
一般的なテレビは北京語での放送ですが、ホーロー系の人たちが一番多いため、最近ではホーロー語が復活してきました。
現在、台湾には、
「自分は台湾人でなく中国人である」
という人はまだいます。
しかし、その数は統計では毎年、減り続けており、かっては30~40%もいたのが、最近は10%ぐらいになりました。
「自分は中国人でなく、台湾人」
だという人は、以前は30%前後だったのですが、いまは50%くらいに増えています。
そして、
「自分は中国人でもあり、台湾人でもある」
という人が約30%です。
香港の人たちが、
「自分たちは中国人ではなく、香港人だ」
という考えを強くもったのは、中国に返還されてからのことです。
それ以前は曖昧で、
「自分たちは中国人かもしれない」
という」想いがありました。
ところが、中国と一緒になった途端に、「やっぱり違う」ということに気づいたのです。
台湾人はいま、台湾人として自信を取り戻し、アイデンテイテイを確立する作業の途中にあります。
自分が台湾人だと薄々解りながらも、公然といえない、言うとなんあだか恥ずかしい、という状況がおおよそ100年も続いたのです。
』
[◇]
カバーにちりばめられた信仰言葉からわかるように、この本は一般の日本人をターゲットに台湾理解のために書かれた本ではない。
日本人キリスト教徒へむけた信仰告白書なのである。
「かくのごとき行動を通して、私たちは主への信仰を為している」
というものである。
一般にも販売されているようであるが、本屋の店頭に置かれても手に取ることはあっても、購買までは結びつかないようにつくられている。
カバーをざっとみれば、ごくあたりまえの日本人なら、ページをくくることなく、ためらわずに元の位置に戻してしまうだろう。
台湾について分かり易く書かれているのだが、日本人全般に向けて台湾を知ってもらおうという常識的意欲は感じられない。
これは宗教書のもつ特徴でもあるが、信仰がすべてに優先するグループ内での価値でのみ存在しえている。
サブタイトルには「天になるごとく、地にもなさせたまえ」とあり、神様がやってくれるから、なによりも神様を信仰せよ、と言っている。
ちょっとお腹に力の入らない本でもある。
しかしこの本、「台湾入門」には非常にいい本である。
でも表紙だけが、「読んで欲しくない、アッちへ行け」と読者を拒絶している。
残念なことであるが、日本人にはそう映る。
皮肉っぽく言えば、
『台湾はキリスト教エリート台湾人の国』
といった本である。
もし、カバーの宗教的傲慢さにフタをできるようなら、読んでいい本である。
台湾理解のためにお勧めの本の一冊である。
【習文:目次】
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