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● 1995/05[1984/11]
『
「天皇の祭祀」 村上重良著 岩波新書
未開社会の首長、古代国家の王は、どういう性格のものだったかを考える場合、その神聖性は3つに分けられる。
[1].巫王:
これはみずから神がかりして、神の言葉を述べ、神と一体になる王。
[2].祭司王:
自分が統治する集団を代表して儀礼をおこなひ、神に働きかける王。
[3].呪王:
みずから呪術者であって、呪力を運用する王。
もちろんこの3つは複合して現れることが多いが、いちおう話を単純化して言へば、2~3世紀の卑弥呼は巫王であったし、8~9世紀の「古事記」その他が伝へる神話や伝承や歴史によれば、日本古代統一国家の王は祭司王であった。
天皇とはもともと、毎年、イネの収穫祭(新嘗祭)を行って神と交流する、国の最高祭司だったのである。
それはいはば、神道の大神主ともいうばき存在であった。
さういふ性格の天皇は、明治維新で改められる。
神主であるはずの天皇自身が「神」になったのである。
これは、在来はまったく軍事にたずさわらなかった天皇が陸海軍の大元帥となったことと同じくらいに、あるいはそれ以上に、はなはだしい変革であった。
天皇は現人神という絶対神と化し、神聖不可侵の存在となった。
これは日本古来の生き神の観念とは違う「一神教」的な神観念で、キリスト教の考え方に近いものだった。
明治政府はキリスト教の影響を受けて、近代天皇制国家をしたてたのだ。
と、村上重良が言うとき、この宗教学者は、近代日本史に対するまことに鋭い洞察を示した。
それはおそらく今までに指摘されなかった根本的な事情ではなかろうか。
近代日本は何かにつけて西洋と張り合い、西洋にあってこちらにないものを無理に取り入れたり作り上げたりする、「コンプレックスの強い文明」だったのである。
たとえば、十字架上のイエスという、日本に到底ありえないものに対する対抗意識がなければ、切腹に対するこれほどの関心と執着はなかったのではないか。
「天皇の祭祀」は、天皇論ないし近代日本政治論において最も重要でありながら、しかしなぜか無視されていた問題をわかりやすく解明した好著である。
日本史の研究も、政治の実際も、この薄い本を一読することからはじまらなければならない。
が、この本に書いていないことが2つある。
一つは、日本国憲法の「象徴」とはどういう意味なのか、それは天皇の祭司王としての性格、あるいは非政治的性格の表明ではないか、ということである。
第二は、今はともかくかっての天皇の祭祀とは神事以外の広い範囲にわたっていて、たとえば和歌を詠んだり、後宮に数多くの美女を入れたりすることも一種の祭祀、ごく広い意味での呪術的行為ではなかったか、ということである。
博捜篤学の著者の、今後の研究課題に加えてもらいたい。
』
[註:「村上重良」 Wikipediaより]
都立一中などを経て、1952年、東京大学文学部宗教学宗教史学科卒業。慶應義塾大学講師を務める。
国家神道・天皇制問題の研究で定評があり、現在これらの問題について論じるにあたっては、彼の論が前提となっていると言っても過言ではない。
【習文:目次】
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