2010年6月30日水曜日

: おわりに

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● 2009/01[1998/06]



 「富」や「幸せ」をさずけてくれる「神々」が衰退したあと、その跡をおそったのは「貨幣」である 。
 正確にいえば、「貨幣」が「神々」を追放し、かわって「貨幣」に媒介される新しい共同体が作りだされた。
 人々は貨幣を神のように敬い、それに服従しゅる。
 わたしたちは、いまそうした世界に生きている。
 バブルとは、まさにその魔力に取り憑かれて、「貨幣」のまえで饗宴を開き、我を忘れて躍り狂っていた、ということでだった。
 
 「貨幣」共同体の萌芽はすでに中世の京都で見られ、近世の江戸や大阪では本格的に始動し始めていた。
 このことは、江戸の社会・文化を少しでものぞいてみれば、すぐに感じることができる。
 封建的な身分秩序に閉じ込められてはいたものの、人々はその内部で、「限界域の拡張運動としての欲望」を、絶えまなく刺激しつづけていた。
 もちろん、その欲望の具体的対象は、現代のモノとは異なっている。
 むしろ、その対象は物質的なモノというよりも、「想像的なモノ」や、「身体的なモノ」によってもたらされる「快楽」とでも表現すべきものであった。
 こうした貨幣共同体としての都市社会における「富」や「幸せ」、あるいいは「欲望」のあり方も、興味深い。
 この点についての議論は、本書での守備範囲を超えている。
 しかし、少しだけわたしなりの印象を述べておこう。

 一つの例をあげよう。
 近世に「双六」というゲームが流行った。
 東海道五十三次という「道中双六」というのは、振り出しが江戸で、上がりが京都と決まっていた。
 ところが「出世双六」という種類になると、「振り出し」は同じであっても、すべての遊戯者があこがれの「上がり」に到達するわけではなかった。
 人生の軌跡が多様化すれば、そのあこがれの最終到達点も多様化し、悲惨な人生も待っている。
 「出世」があれば、「没落」もある、というわけになる。
 「出世双六」が興味をひくのは、問題としてきた「幸せ」を、人々がどのように描いてきたのかを、類型化して示しているからである。
 そのコースは奉公人コース、儒家・医者コース、遊芸者コースなどあったが、その上がりには、金銭的成功を踏まえた「長者」が必ず描かれていた。
 「没落」は「願人坊主(がんにんぼうず)」であった。
 もはや、そこに神々の加護といったマス目はないし、「施行(せぎょう)」といったマス目も見出すことはできない。
 中世の都市の庶民を活気づけ、はげまして、現世の利益を追求することを手助けした「七福神」や、近世になって「福神」として人気を集めた「福助」や「お多福」も、大長者に従属することはあっても、それを支配するほどの力は、もはや持っていなかった。
 つまり「福」は、近世中期以降、しだいに「想像的なモノ」や、「身体的なモノ」によってもたらされる「快楽」=娯楽のための素材、もっとはっきりいえば、「富」を生み出す「商品」へと次第に作りかえられていった。
 
 明治に入ると、封建身分秩序がなくなったので、「出世」は誰にでも機会が与えられることになった。
 これを背景にして、やがて「立身出世主義」が台頭してくる。
 では、この時代の「出世」の「上がり」に位置していたのは、何だったろうか。
 たとえば、「教育出世双六」では3つの「上がり」が用意されていた。
 一つは「政治」の世界での成功、つまり代議士から「総理大臣」になること。
 もう一つは「勅任官の世界」、つまり官僚や対象になることで、この中には教育界での出世も含まれていた。
 そして三つ目が商業的な成功者、つまり「銀行頭取」になることであった。
 簡単にいってしまえば、官界、政界、財界の、3つの世俗世界のいずれかの世界でその頂点をきわめることが「最高の出世」であり、「幸せ」をもたらすものだ、とみなされていた。
 この「出世観」は、つい最近まで一貫して世間に流通してきたものである。
 近代の日本を作り出し、支えてきたのも、この3つの世界であった。
 その中心に「貨幣」が君臨し続けていたことも、明らかであろう。
 「異界」は人々の意識から消え去りつつあったのである。

 そしていま、そうした日本国家の中枢組織の腐敗がしきりに騒がれている。
 バブル経済の崩壊は、まさにその象徴ともいえる出来事であった。
 いまや、「円」という貨幣に媒介された近代国民国家を支える組織が、疲弊し、破綻を迎えようとしている。
 わたしたちには、これにかわる「新しい双六の上がり」が、まだ見えてきていない。
 はっきりしているのは、地球という「打出の小槌」が、「無限の富」を生み続けるものではない、ということである。









 【習文:目次】 



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