2010年9月9日木曜日

: 死体検案始末書

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● 2009/08[1978/**]



 警視庁警察医による死体検案始末書から推察すれば、静子はその死のために短刀を用い、最初三度その胸を刺したようであった。
 一度は胸骨に達し、それが遮った。
 二度目は右肺にまで刺入したが、これでも死にきれなかったであろう。
 三度目の右肋骨弓付近の傷はすでに力がつきはじめていたのかよほど浅かった。
 希典が手伝わざるをえなかったであろう。
 状況を想像すれば希典は畳の上に、短刀をコブシをもって逆に植え、それへ静子の体をかぶせ、切尖を左胸部に当てて力をくわえた。
 これが致命傷になった。
 刃は心臓右室を貫き、しかも背の骨にあたって短刀の切尖が欠けていた。

 希典は静子の姿をつくろい、そのあと軍服のボタンをはずし、腹をくつろげた。
 軍刀を抜き、刃の一部を紙で包み、逆に擬し、やがて左腹に突き立て、臍のやや上方を経て右へ引き回し、一旦その刃を抜き、第一創と交差するように十字に切り下げ、さらにそれを右上方へ跳ね上げた。
 作法でいう十文字腹であった。
 しかし、これのみでは死ねず、本来ならば絶命のために介錯が必要であった。
 希典はそれを独力でやらねばならなかった。
 彼は軍服のボタンをことごとくかけて服装をつくろったあと、軍刀のツカを畳の上にあて、刃は両手でもってささえ、上体を倒すことによって咽喉を貫き、左頚動脈と気管を切断することによってその死を一瞬で完結させている。



● 自宅での最後の写真








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★ 殉死:「自分の精神の演者」:司馬遼太郎

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● 2009/08[1978/**]



 つねに、希典にあってはものごとが劇的なのである。
 日露役が終わり、希典は凱旋した。
 その凱旋行進が9月30日、東京で行われたとき、他の将軍たちは馬車で進んだが、希典のみは馬車を用いることを拒絶し、それらの華麗な馬車が進行し去ったあと、彼ひとり騎馬をもって行進の最後を、それも離れて進んだ。
 白髯痩身の体を鞍に託し、背をやや前かがめ、内臓の虚弱さをかばうがごとく手綱をあやつってゆく希典の姿は、希典の詩のなかでも傑作の一つとされている七言絶句をそのまま詩劇のなかに移したかのようであった。
 詩に曰う。

 皇師百万強虜ヲ征ス
 野戦攻城屍山ヲ作ス
 愧ヅ我何ノ顔アツテカ父老ヲ看ン
 凱歌今日幾人カ還ル

(注)
 皇師百萬征強虜 
 野戰攻城屍作山 
 愧我何顔看父老 
 凱歌今日幾人還 

 皇師百万 強虜を征す
 野戦攻城 屍山を作(な)す
 愧ず 我何の顔(かんばせ)あって 父老に看(まみえ)ん
 凱歌今日 幾人か還る


 この詩の作者としては二頭だての馬車の奥深くにおさまるべきでなかったであろう。
 単騎で進むことによって群衆のなかに身をさらし、刑場に曳かれる者のごとく身を進めてゆかねばならぬであろう。
 希典はそのようにした。
 もし群衆のなかから石を投げる者があれば希典の美意識はあまんじてそれを額に受けたにちがいない。
 警吏がその者を捕縛しようとすれば希典は梅を寄せ、その警吏を物やわらかに制止したであろう。
 希典はこの詩の挿画のごとく生きてゆこうとした。
 彼はもともと「自分の精神の演者」であった。
















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2010年9月5日日曜日

: イギリスの教育制度

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● 2009/01



 イギリスではどういうわけか、伝統的に木曜日が総選挙の投票日に選ばれる。
 理由は判然としないのだが、強いて推測するならば、単純小選挙区制であるため、木曜日の深夜、遅くとも日付が変わって金曜日になるころまでには結果が判明する。
 国民は金曜日の朝刊で選挙結果を知ることができる。
 そして週末を挟んで、月曜日から本格的に新政権が始動‥‥ということなのだろうか。

 日本では通常国会が召集されると、首相による施政方針演説が行われるが、イギリスではいささか趣が違う。
 元首たる国王が、内閣が作成した原稿に基づいて
 「私の政府は‥‥」
ではじまるスピーチを行う。
 こうして、新年度の施政方針が明らかにされるわけである。
 歴史的には「キングス・スピーチ」と呼ばれるが、現国王はエリザベス二世女王なので、当然ながら「クイーンズ・スピーチ」である。
 ちなみに、このスピーチが行われる日は、日本で言えば幹事長にあたる最高幹部は議場ではなくバッキンガム宮殿内の一室にいる。
 これは王権と議会が対立していた時代の週間の名残で、国王が無事に戻るまで、議会が人質をさし出しているのだ。
 つくづく奇妙な伝統を守り続ける国だが、その話はさておき。
 
 イギリスでは、公立学校かカトリック・スクールに通う子どもは学費が無料で、また熾烈な受験戦争はないため、塾に通う必要もない。
 が、私立校となるとなると、学費の問題がまるで違ってくる。
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 これだけの学費を支払える家庭が、そうざらにあるわけではない。
 私立校に通う子どもは、イングランドでは全体の「7%」、スコンドランドでは「4.2%」に過ぎない。
 アメリカのサブプライムローン問題に端を発する金融不安が起きて以来、------イギリスでは私立校に通う生徒が減った、と思いきや、事実は逆である。
 2001年から2007年までの間に、公立校の生徒数が3.4%減ったのに対して、私立校の生徒数は5.6%も増加している。
 ミドルクラスの親は、相当な無理をしてでも自分の子どもを私立校に通わせるという傾向にあるということである。
 
 理由はいくつか考えられる。
 まず伝統というものがある。
 代々名門私立校の卒業生である親は、わが子を公立校に進ませるなど、最初から選択肢として考えてもいないのである。
 次に、私立校そのものの魅力を挙げることができる。
 熱心な教員、充実した設備、少人数学級で生徒の個性を重んじるきめ細かい指導(教師一人あたりの生徒数が平均10人を下回っている)といったようなことだ。
 名門と呼ばれる私立校ほど、学業だけでなくスポーツや芸術、古典的教養、礼儀作法などを重んじており、
 「センス・オブ・ヒョーモアと不屈の精神を教え込む」
といったように、エリート養成機関としての目的意識を明確にしている。
 だから、イギリスでは、小学校から私立校で教育を受けてきた若者は、話し方や立ち振る舞いでそれがわかるものだ。
 最後に、そしてなにより、名門大学への進学に圧倒的に有利だということがある。

 公立校でも優秀な生徒は優秀であり、私立校の生徒に見劣りすることはない。
 ただ、その先の段階、つまり大学を受験する時点で、差が出てくる。
 出願手続きは、通常5校まで志望先を選べるが、オクフォード&ケンブリッジはいまでも「上流階級の樂校」というイメージをもたれていて、多くの公立校生徒は、最初から敬遠して出願さえしない。
 反対に、優秀な学生が地方の(たとえば地元の)大学に出願すると、
 「本校への入学を望むのであれば、奨学金を出す容易があります
といったオファーが舞い込むこともある。
 オックスブリッジなどの名門校では、たとえ出願しても、今度は大学側が、身上書と面接という関門を儲けている。
 身上書は要するに書類審査ということである。
 私立校の生徒は親切丁重に書き方の指導を受け、教師による添削までしてもらえて、圧倒的に有利になる。

 次に面接だが、個性重視という美名に隠れた、階級的差別であると言われている。
 外国にいったことがあるかと問われて、「ない」と答えると「視野が狭い」という評価を受ける。
 帰国子女といった話ではなく、「学校の伝統にふさわしい」階級的バックグラウンドの持ち主を優先的に合格させるような制度なのである。
 上流階級特有の強固なコネクションが存在することも事実である。
 公立校の生徒の多くが、たとえ成績優秀でもオックスブリッジへの出願を控えるのは、そういうコネクションに加われないないと考えるからである。
 総じて言えることは、イギリスは昔も今も学歴社会ではなく「階級社会」であるということである。
 こうした社会であるからこそ、「金儲け・成り上がり」を指向する者は、上の階級からも下の階級からも軽蔑されがちになる。
 このことを指して、イギリス人の精神的な豊かさだ、などと説く人がいるが、私に言わせれば、
 「勘違いも甚だしい」
ことである。

 教育に関してはイギリスにおいて、大企業の重役の子も、ガソリンスタンドで働く労働者の子も、同等の無償の公教育を受けているという事実は存在しない。
 むしろ、経済的格差が教育環境の格差に反映される傾向は歴然としており、それによって格差が再生産され、固定化される階級社会なのである。
 だからこそ、私は我が国において昨今言われている、親の経済力と子どもの偏差値が正比例する、
などという教育格差の問題を放置しておくと、次世代の日本人は固定化された「ネオ階級社会」で暮らすことになってしまうだろうと、言い続けているのである。







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: イギリスの医療制度

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● 2009/01



 NHS(ナショナル・ヘルス・サービス)は今や世界最大規模の公共・保健サービスである。
 そこの働く人の数はなんと150万人。
 単一の組織が雇用している人数としては、中国人民解放軍、ウオールマート(アメリカの世界最大のスーパーマーケット・チェーン)インド国営鉄道に次いで世界4位という規模である。’
 これほどの巨大組織であるからこそ、サッチャー政権下でも解体されなjかったという側面がある。
 逆に巨大組織であるがゆえに、さまざまな問題が生じている。

 イギリスで病気になったらどうすればよいだろうか。
 まず、自分が登録しているGPに診てもらうことになる。
 GP(ジェネラル・プラクテイッショナー)は一般開業医の意味であるが、最近我が国では「かかりつけ医」と訳されている。
 救急車で直接病院に搬送されるような場合を除き、専門医にはGPからの紹介がないと診てもらえないシステムになっている。
 たとえば下痢が続いても胃腸科へは行けないし、耳鳴りが酷くても耳鼻科へは行けないし、湿疹がひどくても皮膚科にはいけない、という具合である。
 GPが「大したことない」と判断した場合は、薬の処方箋をだして、しばらく様子をみましょう、といった言い方をされる。
 2週間ほど経って、再びGPに同じ症状を訴えると、ようやく病院に紹介してもらえるが、その病院のアポイントメントが数カ月先ということも珍しいことではない。
 さらに、専門医による初回の診察から、検査、手術と、いちいち数週間単位の順番待ち期間が入り、これまた珍しくないことで、ためにおそろしく気の長い治療となる。
 順番待ち期間中に症状が突然悪化して手遅れになるケースもあり、そうなったら「タダより高いものはない」では済まされない事になる。
 つまり「GP制度」は、専門医による治療を必要としない人までが病院に殺到するのを防ぎ、医療費を抑制するための防波堤のような役割を果たしているのだが、逆にいうと、それ以外の役割は何も果たしていないのである。

 GPは登録制で、転居した場合は、新たに地域のGPに登録し直さないといけない。
 これを怠るとタイヘンなことになる。
 これは冗談事ではない。
 かっては、GPは文字通り「かかりつけ」「町内のお医者さん」だったのであるが、社会が複雑になり、若い世代は進学・就職・転職・結婚などで転居を繰り返すことがあたりまえになり、また大都市には多数の外国人が流入してきた。
 いまや、2,000名以上の患者登録を受け付けているGPも珍しくなくなり、「かかりつけ医」としての機能は、もはや失われている。
 我が国でも「かかりつけ医制度」が徹底してくると、たとえば糖尿と関節炎の持病を抱えているような人は、内科か整形外科、どちらか一方に登録せねばならなくなり、もう一方については保険の適用が制限される、といった事態になりかねない。
 大体において、為政者が外国の制度を称賛し、見習おうと言い出すような時は、自分たちにとって都合のいいこと(この場合、医療費抑制) ばかり考えているから、注意が必要である。

 ブレア政権は、毎年のようにNHSの改革案を示し、追加財源を投入して、サービス向上の具体的ターゲットを策定してきた。
 そのターゲットとは、たとえば
 「誰でも申し込んでから48時間以内にGPの診察をうけられるようにする」
といったことである。
 しかし、この改革が行われたらどうなったか。
 以前は、GPで診察を受けた際に
 「一週間様子を見てkら、またきなさい」
といわれたような場合、その場で1週間後のアポイントメントがとれたものが、不可能になってしまったのである。
 当日にしか電話できないので、朝9時になると電話が殺到する。
 ようやくつながっても、その日の診察予定がすでに一杯になってしまっていることが多く、
 「緊急でなければ、明日また電話してください」
と言われてしまうことになってしまったのである。

 こうしたターゲットのために、NHSでは非医療スタッフ(事務方)の雇用ばかりが増え、医療そのものの効率は対して改善されていないことになった。
 ブレア政権になって賃上げは実現したが、過酷な労働環境は相変わらずで、医療スタッフの士気もなかなか上がらないらしい。







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★ イギリス型<豊かさ>の真実:皆保険制度:林信吾

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● 2009/01



 アメリカにも付加価値税はある。
 州によって法律や税制が異なるものの、概ね「4%~8%」程度である。
 加えて、ヨーロッパ諸国はおしなべてアメリカより物価が高い。
 資本主義の総本山として「自由な市場経済」を信奉するアメリカでは、「税による富の再分配」という考え方は、もともと人気がない。
 貧困をなくすための方法は、大量生産で安価な製品を生み出すことにより、物価を低めに安定させれば事足りる。
 
 この底流には、税金を高くとって福祉を手厚くしていくと、福祉に頼って働かない層までが手厚く保護されることになり、真面目に働いて資産を築いていく層に対して不公平になり、経済全体を活性化させていく上で足かせになりかねない、という考え方がある。
 労働市場の流動性が極めて高いので、スキルアップして転職を繰り返し、高額の給料を得るチャンスはある代わりに、失業しようが入院しようが、それは自分で解決すべき問題であるとされるのである。
 ゆまりアメリカは「低福祉・低負担」の考え方に立っていると言っていい。

 我が国はといえば、両者の中間的な立場にある。
 どちらかといえばアメリカ式の「低福祉・低負担」に近い制度であるが、近年、具体的には今世紀に入ってからいわゆる小泉改革以降、ますますその傾向が強まりつつある。
 中間的というのは、アメリカと違って、国民すべてがなんらかの医療保険に加入できる「皆保険制度」があるからであるが、国民健康保険でも掛金は前年度の親告所得額の8パーセントが目安といわれているように結構高く、それでいて窓口負担は3割である。
 しかも高度医療や入院に関わる諸経費などは保険でカバーできない。

 公平を期すために述べておかねばならないが、政府の無策が、国民皆保険制度を崩壊の危機に追いやった原因のすべてではない。
 「重大な失政」との意見を変えるつもりはないが、そう決めつけて騒げば済むほど単純な話でもない。
 皮肉にも、
 「医療技術の発達が医療費の増大を招いた」
このことは、きちんと見ておく必要がある。
 先端医療と一口で言うが、それを可能にしたのは、精密で、それだけに高価な医療機器が新たに開発されたためである。
 言い換えると、そうした精密機械を導入しないと、現代の医療のニューズに応えられなくなってきているのだ。
 OECD(経済協力機構)の調査によれば、人口あたりのCTスキャナー設置台数は世界一だという。
 国民健康保険が誕生した1958年には、このような高価な機械は存在しなかったから、病院の「設備投資額」は今とは比較にならなかった。
 イギリスで1948年にNHS(ナショナル・ヘルス・サービス)を創設することができたのも、やはりこのことが関係していて、当時は医療費といっても人件費と薬代くらいなものであったから、政府の強力な指導で、公営化・無料化することが可能だったのである。

 日本初の量産型軽自動車であるスバル360が1958年に発売されたが、当時の車両本体価格は48万円ほどで、これは標準的な大卒サラリーマンの年収を上回っていた。
 現在では、サラリーマン(正社員)の平均年収は400万円ほどで、一方、軽自動車ならその1/5程度で飼うことができる。
 市場原理で、皆が車を買うようになれば大量生産が可能になり、したがって価格が下がり、ますます売れるようになる。
 これが統制経済だと、この製品はこの値段で売る、ということをお上が決めてしまうので、よりよく、より安価な製品を生み出す原動力が失われてしまう。

 端的に言えば、技術が発達すればコストも抑えることができるようになるのが普通である。
 しかし、医療という行為は、それ自体としては何かを生産するわけでもないし、誰かを楽しませるわけでもない。
 病気で動けなくなるということは、すなわち社会的な生産活動に参加できなくなることを意味している。
 つまり、医療というのは普通の経済活動と同列には考えられないのである。
 考えてはいけない事柄であるはずなのだ。
 このことを理解出来ない(あるいは、理解しようとしない)政治家やエコノミストが、何事も市場原理にまかせておけばよいのだという理念を、医療・福祉にまで持ち込んできたのである。
 このような理念に従えば、「何も生産しない」皆保険制度など究極的には無用だ、ということになってしまう。

 「経済成長期と違って、財政が悪化する一方なのだから、福祉削減もやむ得ない」
という論理がまかり通っている。
 語弊を恐れずに言えば、高齢者の病気に対しては「寿命」という考え方が根強くある。
 医療機関が手を尽くす、という発想はあまりみられなかったのである。
 しばしば、医療費の問題を論じる際にOECDが2005年に発表した統計に基づいて、
「日本人の平均入院日数は世界威一長い。
 これが医療費負担を押し上げていることは明白」
といった主張をする人がいる。
 欧米では、体が利かなくなった「高齢者のための長期療養施設」は、病院とは区別されており、日本ではこれが混同されているという点に注意しないといけない。
 高齢者向けの、介護・ケアが可能な施設は日本にもあるが、大部分は民間事業で、入院するには大金が必要である。
 一方、現在の医療の水準に照らすと、自宅でできることは限られており、どうしても高齢者の長期入院が多くなってきてしまうのだ。

 保険というのは、できるだけ多くの出資者によって支えられ、できるだけ保険金の支払を少なくしなければ正常に機能しない、ということをきちんと理解できれば、
 「少子高齢化社会においては皆保険制度の存続は不可能である」
ことも容易にりかいできる。
 人間はいつか死ぬのである。
 生まれてくる子どもが少なければ人口は減っていくのが道理である。
 出生率が改善されないまま2050年を迎えると、わが国の人口は現在の2/3以下、8千万人を下回るとの推計もある。
 それはとりもなおさず、働いて保険料を支払うひとの数が減ってきているし、これからも減り続けるということである。
 それに加えての「高齢化」である。
 WHO(世界保健機構)の定義によれば「65歳以上」を「高齢者」と呼ぶ。
 国連の定義では、総人口に占める高齢者の割合が
「7%以上」の社会を「高齢者社会」、
「14%以上」の社会を「高齢社会」と呼んでいる。

  我が国では、保険制度にからんで便宜的に、
 前期高齢者:65歳以上---75歳未満
 後期高齢者:75歳以上
と区分けしている。

 日本の総人口に占める高齢者の比率は、2007年で「21.5%」に達しており、世界一の高齢化社会となっている。
 現役世代と呼ばれる、働いて保険料を支払い続ける層が、総人口の中で相対的に減ってきている一方、高齢者が増えるに従って医療費の負担は増えている。
 年金制度が崩壊の危機に瀕しているというのも、これと同様に分かりやすい話である。
 高齢化と言われる中で、若い人達が、数十年先にちゃんと年金が受け取れるという政府の説明を信用しなくなって、現時点での年金掛け金の負担を忌避する傾向が強まっている。
 原資が乏しくなって、給付の負担が増え続けているのだから、システムを維持できる道理がない。

 老後と一口にいっても、日本は今や人生80年の時代であり、現役を退いてからの時間が長い。
 体が利かなくなってような場合でも、子どもや配偶者に負担をかけたくない(あるいは逆に、負担に耐えられそうもない)といった理由で、介護付き老人ホームへ入居を考える人が増える一方である。
 少子化といわれながら、介護関係の大学の新設が続いたり、大手居酒屋チェーンが介護ビジネスに参入したりするのも、そこに大きなビジネスチャンスがあるからである。
 ビジネスチャンスという言葉を使うのは、こうしたホームへの入居、あるいは介護それ自体に、かなりの金額を要するからである。
 だからこそ、大企業と中小企業との退職金の差から生じる「年金格差」、さらには退職金とも年金とも無縁のフリーターが高齢化してくる問題から生じる「高齢格差」、お金がなければ必要な治療も受けられないという「命の格差」といった問題が生じてきている。

 財源の問題とも関連するが、
 「景気が悪い時ほど、福祉を充実する必要がある」
ということが、もっと理解されなければならない。
 景気対策の名の元に、選挙目当てのバラマキとしか思えない減税政策やナントカ給付金などは論外である。
 景気が悪化し、企業倒産が増えるということは、働くものにとって、下手すると失業しかねないというリスクに直面する。
 そうした時に、減税だの給付金だのといったことで、多少のお金が手元に残ったらどうするか。
 まずは、老後のために預金しておくと考えるのが普通であろう。
 福祉が信頼できない社会にあっては、老後や働けなくなってからの生活防衛も「自己責任」であるから、景気浮揚対策なるものはなかなか機能しないことになる。
 景気が停滞するということは、失業や貧困の問題がより深刻化することである。
 これはある意味では、
 「保険がもっとも必要なときに、保険を取り上げる」
といったような低福祉政策から脱却していく好機であるともかんがえられるのだ。







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