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● 2009/01[1998/06]
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「福」の問題を考えようとするとき、多くの人がまず思い浮かべるのは「七福神」ではないだろうか。
正月になるとさまざまなメデイアに乗って、必ず姿を現す馴染み深い神様である。
まず、最初にこの「七福神」についての検討からはじめる。
すでに述べたように、「福」とは異界からもたらされる、あるいはさまざまな神々から授けられる「富」を意味している。
「福をさずける」ということが強調された特殊な神格を生み出す背景にあるのは、現世での繁栄・富裕を肯定し、これを積極的に追い求めようとする観念である。
日本人は、外来の仏教や儒教、あるいは西欧の思想の力を借りるなど、さまざまな形で、現世の利益を求める思想を権力によって抑えつけたり、また自らすすんで抑制しようともしてきた。
たしかに、それらは日本人の「福の観念」に大きな影響を与え、変化をもたらした。
しかし、「現世の幸せ」を積極的に肯定しようとする思想や態度は、古代から今日まで衰えることなく、日本文化の中に脈々と流れている。
私には、それが日本人の「基層信仰」といっても過言ではないと思える。
それは現代の日本人にもしっかりと伝えられている。
いや、高度成長期期以降の現代人の拝金主義的で、かつ快楽至上主義的な生活ぶりを見ると、さまざまな「重石」が除かれることで、むしろ「基層」に押し込められていた、現世の富貴と快楽を追求しようとする欲望が、いまや「表層」に噴出してきたような木がしてならない。
その典型的な産物の一つが、「福神」思想である。
「福神」とは、あの世・死後の世界での幸福を保証してくれる神ではなく」、この世での幸福を、それも金銭その他の物質的な富によって物語られる「福」をさずけることを基本的な属性とされた神のことなのである。
多くの神仏のなかから「福」をさずけることに霊験あらたかであるとみなされることになった少数の神々が、狭い意味での「福神」であり、さらにそれらの神仏のうちの七神が選びだされて、「七福神」としてグルーピングされることになったのである。
現在知られている七福神のうち枠は、恵比寿、大黒天、弁才(財)天、毘沙門天、布袋、袋禄寿、寿老人、の七神である。
西宮の夷三郎、比叡山の三面大黒、鞍馬山の毘沙門天の三神が七福神のメンバーになることには、誰も異論がなかったようである。
しかし、残りの四神についてはいろいろ異論があり、稲荷神、虚空蔵菩薩、吉祥天、猩々などの名もあがっていた。
当時、人気のあった琵琶湖竹生島の弁才天がいちはやくメンバーに選ばれ、やがて、最後の三神として、布袋、福禄寿、寿老人に落ち着いたようである。
七福神の代表格の大黒天が手にしているのが「打ち出の小槌」である。
有名なお伽草子の「一寸法師」が普通の丈の若者になれたのは、追い払った鬼がおいていった「打出の小槌」によってでである。
不思議に思っていたのは、振れば次々に、「米」でも「大判小判」でも、「蔵」でも「着物」でも何でも出てくると言われているのに、大黒天でさえも打ち出の小槌をめったに振ることがない、ということである。
思い出していただきたい。
お伽草子の「大黒舞」においても、長者になった大悦の助に、祝いの品々として持参したものの中に、「如意宝珠」「隠れ蓑」などとともに、「打出の小槌」も入っていた。
だが、それを振って金銀財宝をさらに出したというわけでもなければ、米俵を出したわけでもなかった。
ただ一回、大悦の助の家に侵入してきた盗賊を追い払うために、打ち出の小槌を武器にして戦っただけである。
「一寸法師」でも、背丈を伸ばしてもらったあと、姫のために一振りして「飯」を出し、もう一振りして小判を数枚出しただけである。
現代人なら、車だ、家だ、お金だ、と次々と欲望のおもむくままに、果てしなくモノを出し続けることだろう。
けれども、大黒天も一寸法師も、振れば欲しいものが出てくると分かってながら、めったにそれを使用しないのである。
これはたしかに不思議なことである。
ある人が、自分だったら、打ち出の小槌から更にたくさんの打出の小槌を出し、更にそのすべての小槌から、またたくさんの打ち出の小槌を振り出す、と書いていたのを読んだことがある。
だが、これまでの考察から判断すると、どうやら、こういう現代人的な考えで打ち出の小槌を使用することは、最悪の使用法のようである。
「打出の小槌」とは、つつましく、つまり、一振りに、ほんの少し裕福になる程度の「富」しか期待してはならず、それもめったに振ってはいけないものであったらしい。
そうすることで、逆にその所持者の永続する「幸せ」が保証されたらしい。
では、もし打ち出の小槌を振り続けるとどうなるか?。
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【習文:目次】
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