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● 2009/10[2002/12]
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7世紀、逆臣蘇我入鹿誅殺で活躍した藤原(中臣)鎌足の登場以来、藤原一族は、日本の頂点に君臨し続けた。
極論すれば、日本の歴史は、藤原氏の歴史そのものなのである。
平安時代、藤原道長は
「この世をば 我が世とぞおもう望月の 欠けるたることもなしと思えば」
という、傲慢きわまりない歌を残した。
傲慢だが事実なのである。
朝堂は藤原一党に牛耳られ、他の氏族は藤原氏のご機嫌をうかがい、平伏するほか手はなくなっていたのである。
藤原摂関家は日本各地の土地を貪欲にもぎ取り、
「他人が錐を突き立てる隙もないほどの領土を、独り占めしている」
と非難されるほどであった。
藤原氏が日本中の土地を占有したという話は、やや誇張が込められていたようだが、天皇家の外戚となることによって、揺るぎない権力を手に入れたことは事実だ。
気に入らない天皇を自由に退位させられるほどの力である。
この時代、日本は藤原氏の私物と化したといっても過言ではなく、その後も、この一族はしぶとく生き残っていく。
中世に至り、貴族社会が没落した後も、藤原氏は巧妙に武家社会に血脈を拡げ、時の権力者を陰で操る、という7世紀以来の繁栄の手管を保ち続ける。
金星の貧窮はあったものの、近代に至り、明治維新と共に、不死鳥のようによみがえる。
藤原氏は天皇に最も近い一族だったから、華族の筆頭に持ち上げられ、以後、新たな門閥、閨閥を再構築し、エスタブリッシュメントとして、日本社会に隠然たる影響力を及ぼし続けている。
恐るべきことに、藤原の血脈は、政界、官界、経済界、学界と、現代日本の中枢の隅々にまではりめぐらされている。
日本の歴史を語り、現代日本の実相を知るために、「藤原」は避けて通れない。
だが、これまでの「藤原」について、日本人はあまりに無知であり、無関心でありすぎた。
なぜ「藤原」は忘れ去られていたのであろうか。
しかし、その幻想の皮を剥ぎ取れば、実際のタブーは「天皇」にあったのではなく、天皇を隠れ蓑にして私利私欲に走った権力者「藤原」にこそかけられていたのではあるまいか。
「天皇の正体」を明らかにするということは、藤原の歴史を白日のもとに曝す作業にほかならない。
本書は、日本を支配する「権力一族藤原氏」の実像を、古代史に遡って読み解こうとするものである。
なぜ藤原氏は、尋常ならざる権力欲を千年にわたって持続できたのか、そして、権力を手放さなかったのか‥‥。
その理由は、この一族の成り立ちに隠されているはずである。
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【習文:目次】
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