2010年7月8日木曜日

★ アニメ文化外交:日本人が気づかぬうちに:櫻井孝昌

_


● 2009/05




 われわれ世代はは欧米のエンターテイメントコンテンツに関して、どこかにコンプレックスを持っており、自分たちのものがユーロッパやアメリカで受け入れられるわけはない、と思っている。
 コンテンツ業界のある年代以上の方でも、そうおっしゃる方は多い。

 アニメが世界で受けている」理由はいくつもあげられるが、その大きなポイントは、
①.物語の深さ
②.キャラクターの魅力
 の2つをあげることができる。
 まさにこの二つこそが、
 「アニメーションは子どもが観るもの」
というアニメーション業界に歴然とあった呪縛からアニメを解き放ち、世界に冠たるコンテンツに成長させていった原動力なのである。

 1970年代以降、世界各国に放送局が増え始めた。
 と同時に、日本のアニメーションが世界各地で観られるようになった。
 理由は簡単。
 放送枠すべてを埋めるだけの番組を作ることが難しく、放送枠を埋めなければいけない放送局に、もともと国境を越えやすいコンテンツといえる日本製のアニメーションはまさにうってつけの存在だったのである。
 輸入された日本のアニメーションを時刻の制作物として見ていた人がたくさんいたのが、このころの話である。
 無国籍なキャラが多数登場してくるのは、日本のアニメーションの特徴のひとつでもあったから、そう誤解する人が多数いてもなんら不思議な現象ではないだろう。

 こうして、日本のアニメーションは着実に世界の人に当り前の存在になっていった。
 アニメといえば日本製のアニメーションを指すようになっていったわけだが、当たり前になると同時に、当然ながらアニメに馴染んだ年齢層は上へと広がっていく。
 世界のアニメーション制作会社が相も変わらず"アニメーションは子どもが観るもの"という常識に縛られているなかで、映像表現のの一手法としてアニメーションを捉え、その可能性を追い求め、年齢の呪縛にとらわれず、クリエーターが作りたい作品を作り続けたのが日本のアニメ制作会社である。
 多数のキャラクター同士が複雑にからみあい、「主人公が成長していく」といった物語を醍醐味とするアニメが世界中に受けいれられていくのは
 "乾いたスポンジに水が入っていくようなもの"
だったのだ。

 20世紀の映像系エンターテイメントコンテンツの世界は、アメリカ型グローバリズムを中心に動いていったといっても過言ではないだろう。
 ハリウッドの映画やデイズニーアニメーションは世界中の映画館やテレビで上映され、エンターテイメントの中心は大方の場合そこにあった。
 ハリウッド映画やアメリカのテレビ番組を週に何本も観ながらその時代の人は大人の階段を上っていったわけだ。
 当然ながら、そうした映像で知ったこと、感じたことが個人のアイデンテイテイを形成する血になり肉になっていったことは間違いない。
 アメリカという国は、ハリウッドの映画やロックミュージックを通して、言ってみればどこか父親や母親のような存在になってしまっていたのである。
 これと同じ状況を現在まさに世界にもたらしているのが、日本のアニメだと私は感じている。
 私にとってのハリウッド映画やロックンロールは、彼らにとってのアニメーションだったわけである。
 
 ではなぜそうなったのだろうか。
 改めて述べれば、それは
 「アニメーションは子どもが観るもの」
という世界の常識を、世界全体レベルでいえば、
 「唯一無視してアニメが作られて」
いたからである。
 子ども時代に親しんだアニメを少年少女時代になっても観たい、高校大学生になっても観たい、大人になっても観たい、そんな欲求に「日本のアニメだけが」が応えてくれたわけである。

 では、アニメは、そうした状態をあらかじめ予測して作られていたのであろうか。
 答えは「否」である。
 アニメの特徴に「多様性」があるという点は前述したとおりであるが、まさにそれゆえに子どもが観るものから大人の観るものまでアニメは作られているのである。
 ただし、重要な点は、戦略的に多様なタイプのものが作られたのではなく、結果としてそうなったということである。

 アメリカの映像エンターテイメント産業のグローバリズム戦略では、世界をマーケットに、基本的に最大公約数的な発送で作品が作られることが多い。
 とくに、「国境を越えやすい」アニメーション作品に対しては、なをさらそう考える。
 となると、「アニメーションは子どもが観るもの」という世界の常識にそって、アニメーション作品は作られていく。
 その延長線上で、「親が見て"も"楽しいもの」であればなおさらよいわけだ。

 ところが、日本においてのアニメ制作は、基本的にきわめてローカリズムの考え方に基づいて行われてきた。
 つまり、日本の視聴者を対象にし、自分たちが作りたいもの、観たいものを作る、という考え方でアニメを作成してきたわけである。
 したがって、ここには「アニメーションは子どもが観るもの」という視点・前提が存在していない。
 そのため、子どもが観るもの、大人が観るもの、子どもも大人も楽しめるものと、およそありとあらゆるパターンのアニメが作られ、「多様性」を形成していった。
 アニメ制作におけるタブーが日本では少なかった(というより限りなくないに等しい)という点も、多くのクリエイーターをアニメーションの制作に向かわせることになった。
 かくして、映像表現手段のひとつとしての可能性を求めて、多くのクリエイーターがアニメーション制作に向かうこととなった。
 脚本、作画、演出、撮影……、アニメーション制作工程のあらゆる場面において、日本のアニメーションは進化を続け、「アニメ」という世界のアニメーションのなかでも特徴的な存在になっていった。
 
 繰り返しになるが、アニメは元来、世界を向いて作られていたわけではない。
 「独自の進化形態」をたどったアニメの素晴らしさを世界の若者たちが発見してくれたわけである。
 とくに21世紀に入っての「人気の過熱ぶり」は、当の日本人自身が気づかないほどのレベルにまでなってきている。
 では、なぜ21世紀になって、急激な勢いでアニメは世界に浸透して」いったのであろうか。
 それを下支えしているのがつぎの二つである。
①.インターネットによる情報伝達のスピード
②.動画を流せる(あるいはダウンロードできる)ブロードバンド環境の整備
 である。
 が、その一方で、このインターネットによる人気の過熱は、諸刃の剣として違法ダウンロードによる売上自体の縮小という危機をも日本のアニメ業界にもたらしている。
 20世紀の映像系エンターテイメントコンテンツの世界がアメリカのグローバリズムを中心に動いていたのに対して、極めてローカリズムの概念で作られていた日本アニメが世界のマスを握ってしまったのである。

 「日本人自身が気づかぬうちに









 【習文:目次】 



_