2010年7月17日土曜日
: 「本はノートである」=マーキング読書法
● 2009/05[2009/04]
『
読書は「鳥瞰力と微視力」が交互に試されるんですが、ちょっと話してみると、その両方の歯車が軋んだまま動かなくなっていることが、すぐわかります。
定形的な反応しかない。
著者と読者のあいだに交差する「鳥瞰力と微視力」が描くものこそおもしろいのに、それをしない。
それならその著者やその人物に関心などもたなくていいですよ。
もし持つのなら、もっと徹底したほうがいい。
読書の醍醐味とは、一言で言えば、未知のパンドラの箱が開くというこでしょう。
本はやっぱりパンドラの箱です。
その箱が開く。
そこに伏せられていたものが、自分の前に躍り出てくる。
ポール・ヴァレリー風に言えば、それによって「雷鳴の一撃を食らう」という楽しみです。
ということは、こちらが無知だからこそ読書はおもしろいわけで、これに尽きます。
「無知から未知へ」、それが読書の醍醐味です。
無知があるから未知に向かえるんです。
読書は、常に「未知の箱を開ける」という楽しみです。
読書は「わからいから読む」。
それに尽きます。
本は「わかったつもり」で読まないほうがゼッタいい。
ほとんどわからないからこそ、その本を読みたいののです。
読んできたのです。
旅と同じですよ。
「無知から未知へ」の旅。
効用もそこにあるんじゃないでしょうか。
読書をもたらす書き手の方も、実は「わからないから書いている」。
多くの著者たちも、作者たちもそうですよ。
自分では「わからないこと」だから、その本を、その作品を書いている。
いいかえれば、読書は「伏せられたものが開いていく」という作業だということです。
そういうように読書が出来れば、読書傲慢にもならないし、読書退屈もしない。
「伏せられたもの」が書物で、「開けていくもの」が読者です。
鍵穴が書物で、鍵を入れるのは読者です。
その関係の仲人を編集者や書店が用意する。
だから、読書というものは、まさにパンドラの箱を開けるべく、その鍵と鍵穴の関係のプロセスに入ることが重要です。
ぼくの読書術や多読術の方法の案内になりますが、まずは2つのことをススメておきたいと思います。
①.ひとつには、自分の気になることがテキストの「どの部分」に入っているのか、それを予想しながら読むということです。
この、「予想しながら」というところがとても大事です。
②.もうひとつは、読書によって読み手は「新たな時空に入った」んだという実感をもつことです。
そのことを読みながらリアルタイムに感じることです。
この、「リアルタイムに感じる」ということが大事です。
読んでいる最中に何かを感じたら、「マークして」おきたい。
ぼくはこの2つのことを予めはっきりさせるための方法として、読みながらマーキングすることを勧めています。
鉛筆でもいいから、読みながら印をつけていく。
これは相当に、「お勧め」です。
ぼくが本人に聞いたところでは、養老孟司さんは「2B」の鉛筆でマーキングするんですが、2Bの鉛筆が電車や旅行先にないときは、その本に集中できなくなると言っていた。
2B鉛筆が手元にないと読む気がしないんです。
2Bが養老読書術のカーソルなんです。
これぞ、本道です。
最初は好きなマーキングでいいでしょう。
気になる単語や概念を線で囲むとか。
いろいろな印をつけてみるとか。
それをさっさとやる練習をします。
まず、読みながら、単語や用語や気になる文章にマーキングをするという習慣を身につける必要があります。
だから、好きなスタイルでやったほうがいい。
なぜマーキングするといいか。
すこぶる有効なことがあります。
一つには「読み」に徹することができるということ、集中しやすんですね。
もう一つは、再読するときにやたらとスピードが上がるということです。
おかげで、何年かたったその本を読むとき、マーキングを追うだけで、その中身が初読時以上に立体的に立ち上がってくるという風になります。
ただし、この「マーキング読書法」は、本をきれいにしおておきたいという人には向いていません。
また、古本屋に売りたいと言う人にも、ご法度です。
ぜんぜん値段がつきません。
ノートをとるのが好きな人とか、パワーポイントが好きな人には、ゼッタイに向いている。
これは、「本をノートとみなす」ということです。
読みながら編集し、リデザインする、ということです。
それが「マーキング読書法」の愉快なところなんです。
つまり本をノートとみなすこととは、
「本とはすでにテキストが入っているノートである」
と、思うことなんです。
』
【習文:目次】
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