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● 1999/02
『
ホワイトカラーの中堅どころの一般職員の月収は、手取りで平均2,500マルクから3,000マルク(約17万5千円から21万円)ぐらいです。
共稼ぎの妻の収入を加算しても、一家の収入はせいぜい税込みで5,000マルク(約35万円)そこそこ。
家賃を支払い、車を購入して1年に1度、3週間くらい外国での休暇を楽しむのが、精一杯です。
また、ドイツでエリートという類の人たちは、概して知識には貪欲ですが、金にはあまり執着しません。
むしろ拝金主義を嫌う傾向にあります。
これはドイツの学校教育では、キリスト教に則った宗教教育を必修にしていることにも一因があるといわれています。
知人のドイツ女性は、次のような分析をしてくれました。
「
日本企業に入社して、はじめに不思議に思ったことは、日本人は宗教が生活の中で生かされていないということでした。
日本人の誰に聞いても、何を信仰しているのか曖昧な答えが返ってくるだけでした。
やがて日本では、学校などで特別に宗教を教えることはないと聞きました。
そればかりでなく、多神教であることもです。
ご存知のようにヨーロッパはキリスト教圏です。
神は一人しかいません。
しかも神は絶対的です。
その神に仕えているのが欠点だらけの人間なのです。
神から見れば人間は塵芥に過ぎません。
神が見てそれが不正と映れば、おゆるしになりません。
そのことに一人の人間が気づき、神という絶対的なものを味方につけているという自信に支えられていれば、群れることも拒否してしまうのです。
結局、西欧では一人ひとりが、神と対話することによって、ことの善し悪しを判断し、はじめて行動を開始します。
つまり群れる仲間に入るか入らないか、神にお伺いを立てて決めるのです。
もちろん、これには個人差があります。
それが神の意志に反することであっても、群れる行動をよしとする人も出てきます。
しかし神との対峙で決めた行動ですから、その後の行動は個人が責任を持つわけです。
また場合によっては、その後に神の裁きが待っていることも知っているわけです。
この辺が日本人とヨーロッパ人の価値観の差であり、欧米での個人主義と日本の集団主義の違いなのかもしれません。
しかし、いくら神との対峙といっても、人間が一人ひとりちがうように、人間の見解にも差が生じます。
法による規制や、罰則の規程はそのためにあるものなのです。
」
というわけで、ドイツのエリート官僚は群れない、横並びしない、能力主義に徹する、義務を怠らない、自己犠牲に動じないのは、長年のキリスト教にのっとたモラルが徹底しているからでしょう。
』
【習文:目次】
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