2010年7月24日土曜日

: 日本人パーソナリテイーの変貌

_


● 2006/09



 日本社会が格差社会になっているのは、日本人の主流になっているパーソナリテイが大きく変わり始めたためだと考えている。
 1970年代末頃、価値観が多様化し、若者が個性化しているといわれていた。
 1980年代になると『週刊少年ジャンプ』が600万部の売り上げとなり、ファミコンが1,200万台も売れるようになった。
 音楽でも書籍でも映画でも、若者文化はメガヒット的なものが増えてきた。
 これは、若者が個性化しているのではなく、むしろ同質化している結果ではないだろうか。
 それまでの日本人とは別のタイプの日本人になっているのではないだろうか。

 私は、彼らを「シゾフレ人間(しぞふれ人間)」と名付けた。
 「シゾフレ人間」とは「統合失調症型人間」を指す。
 シゾフレ人間における心の世界の主役はいつも「他者」であり「周囲」である。
 競争意識が希薄であり、そのため周囲から仲間はずれにされたくないという気持ちが非常に強くなっている。
 人と違うことより、皆と同じであることにこだわる。
 表面的には人当たりがよく、明るいが、本音のコミュニケーションは苦手である。
 確固たる自分を持たず、不特定多数に同調しやすく、価値観や行動規範も周囲や雰囲気に流され易い。
 それゆえに、ベストセラーやカリスマを生み出す原動力にもなっている、というのが私の仮説である。
 1965年以後に生まれた日本人は、このタイプがかなりの多数派になっているのではないかと思う。

 これに対して、1955年以前に生まれた人に多いのが、「メランコ人間」である。
 メランコ人間とは「うつ病型人間」を指す。
 その最大の特徴は、心の世界の主役は基本的に自分である、ということである。
 他人にどう思われようとも、とりあえずは自分を貫き通したいと思うタイプである。
 もしもそれで悪い結果が出たら、非を自らに認めて罪悪感に苦しむタイプである。
 特定の他者との関係を重んじ、本音でのコミュニケーションを好む。
 過去へのこだわりが強く、過去の自分と今の自分の言動が一致していないと気が済まない。
 自分がガンバッて、もしダメなら自分を責める。
 そのため、メランコ人間は意外なことに、お金だけでは、自分の価値観で動く傾向を持つ。
 学歴が高い方がいいと思うと学歴をとるし、正義や道徳感で動くこともある。
 お金に価値を置くメランコ人間はお金で動く。
 こういうタイプの人たちががんばることが美徳であるとされたことにより、戦後の高度経済成長を支えてきたのである。

 シゾフレ人間は、まず周りの人に合わせるから、周りにアキラメが蔓延すると、簡単にあきらめがちになる。
 自分だけそこから這い出すというようなことはしない。
 また、自分に固有な価値観がないため、お金のように目に見えて、しかも持っていると一番得なものに流される傾向が強い。
 メランコ人間から見ると、シゾレフ人間は「笛吹けど踊らず」ということが往々にして起こりやすい。
 ガンバレば出世させる、給料を増やすといっても、周りから浮くのを嫌う発想が障害になっている。
 それより適当にやって、「みんなと同じ」で十分満足であり、そのほうが遥かに気が楽なのである。
 そのため、「いくらハッパをかけても声が届かない」「何を考えているのかわからない」人間に見え、メランコ人間はシゾレフ人間との間の断絶に、立ち尽くすばかりとなる。



 メランコ人間の多くは、戦後、誰もが努力すれば豊かになれる時代になり、がんばって自分の運命を切り開く可能性の大きい社会の中で成長してきた。
 彼らは受験や出世競争を勝ち抜くことに全力を傾けてきた。
 しかし、日本が豊かさを獲得してしまうと、
 「みんなと同じであれば十分食っていける。目立たずにみんなと一緒がなによりも大切だ」
という価値観を持つようになる。
 大人になってからは競争を大絶賛するのに、子どもの頃は競争させない社会にしていることも、シゾレフ人間が増えてきた要因として挙げられると思う。
 とくに公立学校では、子どもの競争に否定的な教育をしている。
 競争をさせないから、いま自分のいるところから這い出すテクニックを学べない。
 這い出すテクニックを知らないから、引きこもりになるしかない。

 これからの熾烈になるであろう競争社会に向かうにあたって、公立学校にいる子どもたちこそ、競争の方法論や競争精神を教えなければならない。
 なのに競争の経験がなく、這い上がる方法論を知らないような人間を作ってしまっている。
 私には日本人のシゾレフ化は、こうした競争をさせない教育や、みんなと同じが「良い」と思わせているマスメデイアが産み出している部分が大きのではないかと思っている。
 さらには、リストラや成果主義を安易に受けいれて、会社の中で「親の世代」にあきらめを蔓延させ、「子ども世代」をさらにシゾレフ化させるというメカニズムも動きは初めているのではないかと思う。
 日本人の適当に周囲に合わせて、自分が人の上に立とうとガンバルことのないシゾレフ人間化が、格差社会と言われている底流にあるのではないだろうか。







 【習文:目次】 



_