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● 2006/04
『
バブル崩壊後、10年以上にわたるデフレが終焉に向かっている。
一般にデフレとは、
「物価が2年以上にわたって、持続的に下落する」
状況を指す。
単にパソコンや携帯電話、アパレル、食品といった個別商品の値下がりだけでなく、物価全般が下落していくのが、デフレである。
物価をGDPデフレーターで見るのか、消費者物価指数(CPI)でみるかは議論があるが、日本の場合はいずれも数年にわたって下落し続けている。
将来にわたってモノの値段や賃金が下がっていくというデフレスパイラルの恐怖は、経済面では、しばしば私たち生活者に「絶望」をもたらすという意味で、まさに「死に至る病」といえる。
図表1-7はこうしたデフレの広がりを見たものである。
いかに1990年代の日本経済がデフレという死に至る病におかされていたかが見てとれる。
ちなみに影部は、前年と比べてデフレが悪化したとみられる年である。
特に1990年代のデフレが深刻化した背景には、バブル崩壊に伴う資産価値の値下がりがある。
土地は1990年のピーク時に「2,365兆円」から、2003年には「1,299兆円」と実に「1,066兆円」もへっている。
株式の時価総額も1989年の「889兆円」から2001年には「374兆円」と、「515兆円」も減少している。
土地と株をあわせると「1,600兆円弱」も「ストック・デフレ(資産デフレ)」が生じたことになる。
過剰設備、過剰雇用、過剰債務の「3つの過剰」をいかに解消するかが日本経済、企業再生にとっての重要課題であった。
2003年になると日本経済は徐々に回復軌道に乗ってきた。
日本経済の病根といわれた「3つの過剰」問題も2004年にはほぼ解消し、景気は自力回復軌道に乗る。
2005年には原油高騰の影響もあって、消費者物価も月次ペースで前年比プラス基調に転じるなど、10年以上にわたるデフレもようやく終焉に近づいてきた。
』
[◇]
2010年、日本のデフレ&安定は当たり前のことになっており、ということは15年以上続いている。
もうこうなると、デフレ安定が経済の「スタンダード:基準」といってもいい。
この目に見える事実について、学として論じたものにまだ出会っていない。
デフレ安定を軸に据えた経済学は出来ていない。
デフレは成長を促進するインフレの対極にある「悪いヤツ」とだけ受け止められている。
ただ、「危険、危険」「コワイ、コワイ」というだけ。
一種のトラウマだな。
そりゃ、インフレ側からみれば危険だろう。
そのベースにあるのは資本主義創世記に作られた遥か昔の近代経済学のセオリー。
言い換えると「豊かになるための経済学」が近代経済学。
もうそろそろこの呪縛から逃れて、デフレ・スタンダードを脱近代経済学の新しい経済と位置づけ、「新時代経済学」がつくられていいようだが。
もちろん、それが適用できるケースは最先端国家の日本しかないが。
まあ、日本の学者には無理だろう。
「100円ショップ=デフレ」
「ユニクロ=デフレ」
100円ショップが巷から消え去ることを今の日本で想像できるのだろうか。
「できない」としたら、デフレはまだまだ続き、次第に強固に基準化されていくということになるだろう。
これからは、デフレ安定が経済のスタンダードとして受け入れられていく可能は非常に大きいのだが。
「豊かになったあとの経済学」が論じられていいはずだ。
でもいまだに「経済成長」とか「景気」とかを口に泡して論じている。
常識的に考えて経済成長なるものが未来永劫続くわけでもあるまいに。
「成長が終わったらどうしたらいいのか」、
ちょっとは考えてみなくちゃいけないのではないのだろうか。
でもまあ、そういうことは経済学の教科書には書いていないだろうな。
教科書に書いていないものな「ないとみなす」、学んでいないからしかたがないか。
いまどきの言葉でいえば、経済成長と景気をメインに据える「肉食型資本主義」から、安定と平常生活の「草食型資本主義」への進化ということだろうか。
【習文:目次】
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● 2006/04
『
バブル崩壊後、10年以上にわたるデフレが終焉に向かっている。
一般にデフレとは、
「物価が2年以上にわたって、持続的に下落する」
状況を指す。
単にパソコンや携帯電話、アパレル、食品といった個別商品の値下がりだけでなく、物価全般が下落していくのが、デフレである。
物価をGDPデフレーターで見るのか、消費者物価指数(CPI)でみるかは議論があるが、日本の場合はいずれも数年にわたって下落し続けている。
将来にわたってモノの値段や賃金が下がっていくというデフレスパイラルの恐怖は、経済面では、しばしば私たち生活者に「絶望」をもたらすという意味で、まさに「死に至る病」といえる。
図表1-7はこうしたデフレの広がりを見たものである。
いかに1990年代の日本経済がデフレという死に至る病におかされていたかが見てとれる。
ちなみに影部は、前年と比べてデフレが悪化したとみられる年である。
特に1990年代のデフレが深刻化した背景には、バブル崩壊に伴う資産価値の値下がりがある。
土地は1990年のピーク時に「2,365兆円」から、2003年には「1,299兆円」と実に「1,066兆円」もへっている。
株式の時価総額も1989年の「889兆円」から2001年には「374兆円」と、「515兆円」も減少している。
土地と株をあわせると「1,600兆円弱」も「ストック・デフレ(資産デフレ)」が生じたことになる。
過剰設備、過剰雇用、過剰債務の「3つの過剰」をいかに解消するかが日本経済、企業再生にとっての重要課題であった。
2003年になると日本経済は徐々に回復軌道に乗ってきた。
日本経済の病根といわれた「3つの過剰」問題も2004年にはほぼ解消し、景気は自力回復軌道に乗る。
2005年には原油高騰の影響もあって、消費者物価も月次ペースで前年比プラス基調に転じるなど、10年以上にわたるデフレもようやく終焉に近づいてきた。
』
[◇]
2010年、日本のデフレ&安定は当たり前のことになっており、ということは15年以上続いている。
もうこうなると、デフレ安定が経済の「スタンダード:基準」といってもいい。
この目に見える事実について、学として論じたものにまだ出会っていない。
デフレ安定を軸に据えた経済学は出来ていない。
デフレは成長を促進するインフレの対極にある「悪いヤツ」とだけ受け止められている。
ただ、「危険、危険」「コワイ、コワイ」というだけ。
一種のトラウマだな。
そりゃ、インフレ側からみれば危険だろう。
そのベースにあるのは資本主義創世記に作られた遥か昔の近代経済学のセオリー。
言い換えると「豊かになるための経済学」が近代経済学。
もうそろそろこの呪縛から逃れて、デフレ・スタンダードを脱近代経済学の新しい経済と位置づけ、「新時代経済学」がつくられていいようだが。
もちろん、それが適用できるケースは最先端国家の日本しかないが。
まあ、日本の学者には無理だろう。
「100円ショップ=デフレ」
「ユニクロ=デフレ」
100円ショップが巷から消え去ることを今の日本で想像できるのだろうか。
「できない」としたら、デフレはまだまだ続き、次第に強固に基準化されていくということになるだろう。
これからは、デフレ安定が経済のスタンダードとして受け入れられていく可能は非常に大きいのだが。
「豊かになったあとの経済学」が論じられていいはずだ。
でもいまだに「経済成長」とか「景気」とかを口に泡して論じている。
常識的に考えて経済成長なるものが未来永劫続くわけでもあるまいに。
「成長が終わったらどうしたらいいのか」、
ちょっとは考えてみなくちゃいけないのではないのだろうか。
でもまあ、そういうことは経済学の教科書には書いていないだろうな。
教科書に書いていないものな「ないとみなす」、学んでいないからしかたがないか。
いまどきの言葉でいえば、経済成長と景気をメインに据える「肉食型資本主義」から、安定と平常生活の「草食型資本主義」への進化ということだろうか。
【習文:目次】
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