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● 1983/03[1980/11]
『
窓の下は右も左も海。
飛行機は今、南シナ海の上を飛んでいるのである。
やがて陸地が見える。
チーフパーサーが来て、それはベトナムだと教えてくれる。
濃茶の森林がどこまでもつづき、幾筋ものタイシャ色の道がうねっている。
それだけの風景である。
ほかに何もない。
実に赤い土の色だ。
その土色に異国を感じるというよりは、胸にズンと響くものを覚える。
血が流れ、人がさまようその地の上を、ノンキに飛んでいるこの贅沢を今更のように思う。
ふと見るとレストルームのテーブルの上に、誰が読み捨てたか、週刊誌が開かれている。
何げなく手にとると、見たようなオバハンの写真が出ている。
よく見ると、私の写真で、
『旅立ち、佐藤愛子』
とある。
今回の旅行についての私の談話が出ている。
「
今まで海外に出かけなかったのは要するに私がワガママでケンカっ早いからですよ。
飛行機とか税関とか、ホテルとか、とにかく気に入らないと、怒り狂うことが多いと思うの。
おまけに外国語ができないとくると、よけいにハラ立たしいじゃないですか。
だから帰ってきたら”怒り疲れ”で病に倒れるにちがいないと、6月まで原稿は断ってるほどです。
」
何となく憮然たる気持ちで読み終えた。
さっきからスチュアデス、パーサー、チーフパーサーなどから次々丁重に挨拶されたのは、この週刊誌にに原因があったのだな、とわかった。
あの挨拶は敬愛の挨拶ではなく、恐怖の挨拶であったのだ!
』
【習文:目次】
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