2010年8月2日月曜日
★ 落語論:落語はペテン:堀井憲一郎
● 2009/07
『
落語はペテンである。
存在しないものを、さも存在するかのように舌先三寸で現出させ、目の前で聞いているモノを信じ込ませて、金をとる。
まさにペテンである。
ペテンと落語の違いは、客が納得ずくで金を払っているかどうか、だけである。
構造は同じだ。
見えないもの、手に取れないものを与えて、それに価値があると思わせて、金を払わせるのだ。
自分たちのやっているものが、ペテンに近いものであると、落語家たちはみんな知っている。
だいたいが、見事に引っかからない客がいるのを見て、そのとき自らのペテン師ぶりを自覚する。
ペテンはもともと、人の生の声が聞こえる範囲でしか友好ではない。
ライブでしか効き目がない。
落語がライブでしか本来の力を発揮できないのは、ペテンだからともいえる。
要は、冷静な判断をさせないことだ。
熱気でもっていく。
身体的にひびかせる。
圧倒する。
内容なんてどうでもいいのだ。
内容なんて誰も気にしていない。
気持ちよくさせてくれるのなら、ついていく、というだけである。
内容のないものを、納得させて金を払わせるという意味で、落語はペテンである。
ペテンは人の集まるところにしか存在しない。
だから落語は都市にしか存在しない。
職業としての遊民が存在できるのは、都市部でなければ無理なのだ。
江戸期の京都、大坂、江戸の三都の発展ぶりをみると、それぞれが独立して文化的中心地として昨日していた。
いくつかの文化が、連携せずに、三都で同時発生している。
落語もそうである。
三都にそれぞれ落語の始祖がいる。
わが邦に都市文化が成立して、遊民による見世物が常設されるのは18世紀の終りから19世紀の初頭にかけてである。
いわゆる「文化文政のころ」だ。
歌舞伎にしても相撲興行にしても、落語や講談の寄席興行にしても、現在へつながる発祥はここにある。
19世紀初頭に発生して、そのまま21世紀につながっている。
これらは明治の御一新ではなにも変わらず、20世紀を通りぬけて21世紀の現在へ続いている。
伝統文化にとって、江戸期から明治期の移り変わりは根本的変革につながっていない。
落語は、近代的理解の向こう側にある。
落語は停滞期のものである。
近代発展とは、本来無縁のところから湧きでている。
政治的激動期や、文化的大変革期には落語は受けいれられない。
その誕生も、江戸時代の長い政治的停滞の後半に生まれてきたものである。
社会を巻き込んだ騒々しく活気あふれる時期には、落語は社会の片隅で細々と存続しているばかりである。
社会が停滞しているときだけに、落語は好んで聞かれる。
社会的第変動のあとや政治的激動がおさまったときに、落語は注目してもらえるのだ。
いま、21世紀に入って落語は少しは注目されているようだが、それは20世紀的経済活動の発展が頭打ちになったからだろう。
19世紀半ばから150年かけて、日本人が駆け上がってきた頂上がこれだったのか、そうか、おつかれさんでした、という空気が、落語への流れを作っているのだろうとおもう。
20世紀後半の日本の経済的発展は、世界的にみて異常だった。
何もこんな小国が世界のベスト7なんかに入ってサミットだ、なんて言わなくていいと思う。
世界ベスト7に名を連ねた頃は、それは晴れがましくも嬉しかったけれど、がんばり続けたところでさほどおもしろくもなく、もったいなくも豊かさに慣れてしまった。
西洋風近代化も便利だけど「心をかんじないわね」、という勝手な空気になってきて、それで落語が注目されている、ということだろう。
夏目漱石がこれを見たらどうおもうんだろう、とふとおもうが、先生ならいまでもきちんと悩んでくださるだろう。
高田馬場で私が心配するようなことではない。
ここ何十年かの日本を擬人化して語ってみると、かなり日本というのは嫌なヤツですね。
これは自覚していたほうがいいと思います。
』
【習文:目次】
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