2010年8月18日水曜日

★ 死顔:ぬき書き:吉村昭


● 2009/07[2006/11]



 長男が、言葉を続けた。
 「病院ではペースメーカーで延命することもできるが、どうなさいますか、と言ったそうです。
 母は、その必要はありませんとお断りしたようです」
 長男の言葉には、それについて私の意見を聞きたいという響きが感じられた。
 私は、即座に、
 「気味のお母さんの言ったことは正しい。
 そうあるべきだ」
と、答えた。
 「それでは病院に行きましたら、また電話します」
 私は、電話を置いた。

 「スケルトン」という英語の発音がよみがえった。
 中流程度の会社の経営者であった中学時代の友人が、病名はなんであったのか知らないが、数年前重篤状態におちいり、延命措置を受けた。
 事情はつまびらかではないが、遺産相続にまつわる税金への家族の配慮であるらしく、かれは意識のないまま多くの管を体につけて生きつづけた。
 彼の体から管がはずされたのは、措置を受けてから2年半後で、家族のみで密葬をすませた。
 その直前、医師である中学時代の友人が家族の請いでその知人を診察したことがあり、その状態について、
 「もはや、スケルトンだった」
と言ったことを耳にした。
 さまざまな事情があり、それぞれに理由があるのだろうが、骸骨同様になった肉体のみを人為的に生かしておくのは酷ではないのだろうか。
 友人の体に延命措置がほどこされたのは、家族の意志によるものだが、本人はすでに死者であることに変わりなく、その意志は無視された形になっている。

 嫂が延命措置を辞退したのは、おそらく病院側の申し出たその措置の内容を十分知らず、夫の臨終に際した従来通りの妻の態度に単純にしたがったまでであったのだろう。
 むろん高齢な夫に死の安らぎを得させようとした気持ちがその基本にあったことは間違いない。

 嫂が病院側の申し出を辞退したのは、私の考えと一致し、それは遺言にも記してある。
 幕末の蘭方医佐藤泰然は、自らの死期が近いことを知って高額な医薬品の服用を拒み、食物をも断って死を迎えた。
 いたずらに命ながらえて周囲の者ひいては社会に負担をかけぬようにと配慮したのだ。
 その死を理想と思いはするが、医学の門外漢である私は、「死が近づいているか否かの判断」のしようがなく、それは不可能である。
 泰然の死は、医学者ゆえに許される一種の自殺と言えるが、「賢明な自然死」であることに変わりはない。





 【習文:目次】 



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