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● 2009/06
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■ アルキメデス
半径rの円の面積はπr**2で与えられる。
πはいわゆる「円周率」である。
アルキメデスは当時としてはとびきり精密な近似を求めた。
これをもとめる上でのアルキメデスの方法は、以下のように要約される。
問題は直径が「1」の円の、円周の長さをもとめることであるが、それが難しい理由は、円周という曲線が曲がっているためである。
そこで、円を正多角形で近似するというアイデアが生まれる。
正多角形に一辺は直線なので、その長さは求め易い。
もっともこれは近似でしかないから、この方法では円周の真の長さをもとめることはできない。
しかし、正多角形の辺の数をどんどんふやしていけば、近似値は真の値に近づいいていくことになる。
これこそが、アルキメデスがすでに使っていた「極限」という考え方である。
アルキメデスは正6角形出発し、正12角形、正24角形と増やしていった。
アルキメデスの「π」の評価は、正96角形の計算から得られたものだといわれている。
■ 超越数
現在では円周率は
「π=3.14159265358979…」
と書けるが、その近似をどこまで正しく求められるかが問題である。
この近似の正確さへの果てしないレースは、現在でも続いている。
このような数について、一体どのようなことがわかれば、我々はその数を「わかった」といえるのであろうか。
これは不明瞭である。
むしろ、基本的には「決してわからない」ということを理解することのほうが重要なのかもしれない。
19世紀後半に、リンデマンによって、「πは超越数である」と証明された。
超越数とは、有理数を使って立てられるような、いかなる代数方程式の解にもならないということ、つまり代数的手順ではどのようにしても有理数から円周率を作ることはできない、ということを意味している。
■ 中国
アルキメデスの500年後に中国の劉徵は下記の結果を得ている。
ここで彼は円に内接する正96角形と192角形の周の長さを用いている。
祖沖之(429-500)は劉徵の計算をさらに発展させ、下記の近似を得ている。
「3.1415926 <π<3.1425925」
■ 和算
一般に「和算」とは、江戸時代の17世紀半ば頃から、中国の影響を脱して、徐々に独自なものに成長していくに応じて用いられるようになった。
その突出した数学者が関孝和である
関の業績は多岐にわたり、しかも深いものである。
その多くは死後に、弟子たちによって『括用算法』にまとめられている。
関が行列式の発見者であったといわれている’背景には、関が多変数高次連立方程式の解法について極めて格調高い見識をもっていたことがあげられる。
この点に関しては、関は世界中のいかなる同時代人も寄せ付けない、真に飛び抜けた存在であった。
関は、今日「ベルヌーイ数」と呼ばれている数を独自に発見して計算している。
関は、円という図形の数学的神秘に迫ろうとして、円の弧長を厳密に表す公式を得るために大変な努力を傾けた。
ここから、いわゆる「円理」という日本独特の無限小解析の伝統が始まった。
その初期の発展の中で、建部賢弘の仕事が際立っている。
関孝和の手法を発展させて、建部賢弘は1722年刊行の『綴術算経(ていじゅつさんけい)』の中で、円周率を41桁まで求めている。
これは内接多角形の周長の段差を等比級数で近似するという、高度な数値解析的手法によっている。
さらに松永良弼によって下記の公式を与えられることになる
この式を用いると、円周率は小数点以下49桁まで正しくもとめることができる
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【習文:目次】
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