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● 2009/06
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数学の歴史の大きな流れを、文化史・文明史的な視点から、できるだけ整合性のあるまとまりとして一望したい、というのが本書において筆者が目指したことである。
日本人が数学の歴史を眺めるときに、特に興味深い流れが2つある。
一つは古代ギリシャ世界から始まり、中世アラビア世界を経由して、その後ヨーロッパ世界に流入した、いわゆる「西洋数学」の流れである。
もう一つは古代中国に起源を発し、近世以降に日本に和算という独特の数学の伝統をもたらした、いわゆる「東洋数学」の流れである。
いわゆる西洋数学のルーツは、主にエジプト文明とメソポタミア文明にあると思われるが、中世アラビアにおいてはインドや中国の影響も受けている。
西洋数学は、言わば、多くの数学の伝統が融合したブレンド数学なのである。
そのブレンドに要した時間は、アラビア期だけでも700年もの長きにわたるわけで、その後年への影響は、当然ながら極めて重大なものがある。
一方の東洋数学は、これに対して、中国文明が古代より現代に到るまで、完全な崩壊を経験することなく連続性を保ち続けた唯一の文明であることを反映してか、良くも悪くも直線的な発展を遂げてきたようだ。
そもそも人間が「数学する」ことにおいて、最も重要な行為は「計算する」ことと「見る」ことである。
「計算する」ことは、例えば数の計算や記号の演算などを通して問題に答えを与えたり、論証したりすることであり、形式的で機械的な作業の意味合いが強い。
他方、「見る」ことは、線分の長さや図形の面積、角度といった外延的な量について、問題をと至り論証したりすることであり、より直感的な行いである。
要するに、数学には形式的な式の計算もあれば、直感的な図形の取り扱いもある、という二面性があるわけだ。
この二面性はその表彰において、算術か幾何か、離散か連続か、アルゴリズムか外延か、といった数々の二分法を、その歴史の折々にもたらしている。
この二つの側面を一つに統合することが西洋数学の悠久の目標であり、あおの苦悩の原点であるように見える。
そして、西洋数学精神固有の苦悩を経て、西洋数学は「集合論」の中にその統合の望みを託す。
しかし、それはまたしても体系の危機を引き起こず不協和音を抱えていた。
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【習文:目次】
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