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● 2009/04/10
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第二章 誰がはじめて植木算で木を植えたのか
明治時代には植木算がなかった?
植木算と植え木算でないものの違いとは
江戸時代には植木算はなかった
誰が最初に植木算で木を植えたのか?
植木算が自覚される
明治時代の初めの教科書に次の問題があります。
問題1 (注:メートル法に直して記述する)
15mの地に、松の木5本あり、しかる時、松の木の間は何mなりや。
問題が載っている教科書は、明治6年に刊行された「小学算術書 巻之四」で、小学3年後期用のものです。
刊行したのは文部省、編集したのは師範学校。
当時は、国定教科書ではなかったので日本中で使われたものではありませんが、広く普及した代表的な教科書です。
「植木算」で考えることを知っている私たちは、木は両端にも植えられているのかどうかが、とてもキになります(!)
図2-1を見てください。
両端に植えられていれば木と木の間は4カ所になり、ひとつの間の長さは「15÷4=3.75m」となります(①)。
両端に植えられていなければ②で、間は6ケ所になり、「15÷6=2.5m」。
しかし、この問題の教科書による正解は、「15÷5=3m」なのです。
木の植え方を③のように考えているわけです。
①の計算方法を「植木算」といいます。
植木算のポイントは、道の両端に木を植えるから、木と木の間の数は、木の本数より「1」少なくなる、
すなわち「木の本数-1=木の間の数」と考えることにあります。
明治31年に出た『算術問題の解き方』という本では、植木算の考えか方を
「片手を広げるとき、5本の指と指との間隔は4つあり、このことを心裡に銘記すべし」
と説明しています。
』
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「植木算」なる言葉があることをはじめて知った。
少なくとも私は小学校でも中学校でもこの言葉は習っていない。
経験としては半世紀以上も昔に出会っている。
小学校の時である、先生がこんなたぐいの問題を出した。
「3mのところに、50cmおきに花を植えると花は何本いるか」
算術的には6本になる(300cm÷50cm=6)。
50人クラスのほとんど(中には問題の意味がわからない生徒が一人二人いた)が「6本」と答えていた。
だが、どういうわけか自分だけ「7本」にしていた。
どうやったかというと、なんてことはない試験用紙に線を引いて、その線を短い縦線で区切っていった。
一つの線分を50cmとして6つの線分が引けたところで3mとして、その線とタテ区切り線の交点’を数えたら「7ケ」であり、答えを「7」としたのである。
実をいうとその前に伏線がある。
試験で先生が「300÷50=6」なんて簡単な答えを求めるような問題を出すはずがない、
どこかにヒッカケがあるはずだと、と思い込み、これは絶対「7本」だ、これが正解だと思ったわけである。
で、先生の正解はというとなんと素直に「6本」なのである。
ヒッカケはなかったのである。
逆に先生に呼ばれて「なんで7本なのだ」と質問された。
図にして説明すると、「ああそうか、そうだな」といって、私のもマルにしてくれた。
つまり、先生自身が「植木算」なるものを知らなかった、ということなのである。
たまたま私は絵で解法したために説得力に富んでいた、というわけである。
では、「6」か「7」のどちらが正解かというと、どちらも正解である、ということである。
言い換えると「問題の出し方が間違っている」ということである。
問題が悪い、ということである。
問題は異論のでないように作成すべきだということである。
でも、最近の教育では「植木算」が強く刷り込まれているようです。
本書から別の例をあげてみます。
『
今の私たちは「4km2の土地に1km2ごとにマクドナルドがある」と聞くと、店の数は4店と思うのが普通だと思います。
図3-1の①のように。
では、「3kmの道に1kmごとにマクドナルドがある」と聞くと、店の数は何店と思うでしょうか。
mixi のあるコミュで、この質問をしたところ、「3店」と答える人と「4店」と答える人が半々でした。
(http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=29978834&comm_id=63370)
4店と答えた人は、植木算的に③のように考えているのでしょう。
長さの場合は、わたしたちには植木算の考え方が刷り込まれているために、
起点がどこなのか、
その起点と店との関係はどうなっているのか
が意識に上り、長さの起点に店を置く人が、半数はいるということのようです。
』
単純にいうと、これも問題が悪いという典型でしょう。
【習文:目次】
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