2012年3月24日土曜日

: 凡例

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 凡例

一.
 この書はオランダ人ヨハン・アタン・キュルムスが著した「ターヘル・アナトミア」という書物を訳したものである。
 ここ二百年来、オランダ人を招き、彼らにオランド医術を学んだ者は多かった。
 だが、その人々はわずか一、二の治療法を学んだだけでオランダ医術を生活の資としていた。
 とても蘭書を読んで、医術を修業するまでにはならなかった。
 思うにオランダの国の技術はひじょうにすぐれている。
 知識や技術の分野において、人力の及ぶかぎりきわめ尽くしていないものはない。
 そのなかでももっともすみやかに世界に恩恵を与えることができるものは医術である。
 ただ、その言語がチンプンカンプンで、文字が曲がり釘のようであり、文法がまた違うので、よい本やよい治療法があるといっても、それらがせけんに広く流布されて、ほめたたえられることはなかった。

 自分の家は代々オランダ流の外科を家業としてきた。
 また、それに関する日本語本も所蔵する。
 私は家業を継いで、子供のときからつねにこの方面に慣れ親しみ、見習ってきた。
 それで外科書を覗き見ることもあったのである。
 しかし世人の目にふれることのひじょうにまれな本であるから、むずかしくて分からないことについて質問しようにも質ねようがなく、どうしてよいかわらず、コ師[目の見えない楽士]が介添えを探しているような思いをしていた。
 こうした状態におかれ、思い切って気持ちを切り替え、新たに中国の古今の遺書を読み始めることにして、ここ数年それをくり返し、ていねいに読んできたのである。
 つづいて中国の治療法や学説を研究してみると、それは無理なこじつけが多く、しかも抜けたところがあるため、これをはっきりさせようとすると、ますますわからなくなり、これを正そうとするといよいよ間違ってしまい、日常使えるような治療法は一つもない。
 それで疲れ果ててしまい、ちょうど邯鄲で歩き方を真似た少年のようになってしまった。
 思うに蘭書の分かりにくいところは十のうち七に過ぎない。
 だが、中国の学説は、使えるものは十のうち一つあればよいほうである。
 そこで再び家学[オランダ流外科]を一所懸命に勉強して、他の流派に目を向けないことにした。

 近頃、私の医術も多少人に知られるようになって、治療を求めてくる病人の数は、日を追ってふえてきた。
 こうなるとまた漢方も蘭方も不十分なことに情けなく思うことがある。
 そこで広く世間に同学の士を求めると、一、二人私の気持ちをよく分かってくれる人を得ることができたのである。
 このような状況のなかで、しだいにオランダの医書を読もうということになり、それをあわてずゆっくりと、相談しながら読んでいったところ、歳月はどんどん過ぎ去っていったが、そのうちじつに氷が解けるようにすらすらと筋道が分かるよになったのである。
 その後、この内容を実物に照らし合わせて調べてみると、ぴったり一致して心理を得とくすることができた。
 したがって解剖書を読み、そこに述べてある学説どおりに解剖して視れば、しくじることはひとつもない。
 内蔵、関節、骨、脳、血管、神経の位置と正しい配列をはじめて知ることができたのである。
 なんと愉快なことではないか。
 
 そこで漢方の学説をみると、前者[蘭方]はほぼ正しいけれど、後者[漢方]はひとんどでたらめに近い。
 ただ、霊枢[中国のもっとも古い医書]に
 「解剖して、観察する」
という文章があり、中国でも大昔、解剖が行われたのは確かである。
 ただ後世の人にそれが伝わらず、そのかすだけを信じて、でたらめを言い、そのまま数千年にわたって真実を識らなかったとはなんと哀しいことではないか、ほんとうに残念なことである。
 よく考えると、解剖は外科の要となるものでかならず知っておかなければいけない。
 いろいろな症状が生ずる場所は解剖を学ばないで知ることはできない。
 オランダ人の医術が素晴らしいのもここにその根元がある。
 だからとくに医術の上達を望む者は、かりそめにも解剖学を土台にして始めるのでなければ、けっして望みを達することはできない。
 そこで、わが国の医者で解剖学を無視している者は、はたしてどういう心構えでいるのであろうか。
 彼らは骨身を削って為し遂げた業績がないことはもっともなことである。
 だから自分は多くの蘭書のなかからとくに解剖書を抜き出して翻訳を行い、初心者に手本として示した。
 ひとたび道がひらければ、あとはすみやかにすべてが理解されるようになる。
 その時がくれば、あとは死体をうまく活用し、骨と肉とのじつに巧妙な関係を会得することができるようになることを期待する。

 ああ、私がこの仕事をこれまでにやり遂げることができたのじゃ、実に天の恵み深い心によるものである。
 それがなくしてどうして人力のみでこれを成し遂げることができたであろうか。
 世間の人々のうちオランダ医学に関心ある人に対して、私はみずからそそかに郭槐(注:カクカイ:カイは当て字:)[中国戦国時代の燕の賢人。言い出した当人から始めることのたとえを引いた人として有名]にたとえている。
 もし、そのことで世間から非難や攻撃を受けても、それに負けてはいない。

一.
 アナトミイは解体と訳す。
 ターヘルは表である。
 したがって、いまこの本を『解体新書』と題した。

一.
 原本には注があったが、今回は形体に関するものだけ選んで訳し、他はすべて省略した。

一.
 本書における文章の行のとりかたは原本に従っていて、翻訳の過程で改めてはいない。
 「これに属するもの」とあると、そこで行を改めて一字下げて書き出している。
 さらに「これに属するもの」とあると改行して一字下げて書き始めているが、これ全体を一章とみなして読んでほしい。
 このような書き方は和書や漢書、古今の書籍で見るものとまったく違うところであるが、これは原書の姿をできるだけそのままに示したためである。
 読者はこの点をよく了解してほしい。

一.
 解剖書は図と学説を照らし合わせて読むことがもっとも重要なことである。
 したがって文節ごとにかならず図がある。
 両者に符号をつけて図を見るための便宜をはかっている。
 読者は称号してうまく図を見ることができる。
 これをおろそかにしないでほしい。

一.
 原書の符号はすべて国字[アルファベット]を使っている。
 ここではそれに変えて日本の国字[イロハ]を用いて、図を見やすいようにした。

一.
 本書に掲載した図と学説はみな、オランダの解剖書を参考にしてもっとも明瞭なものを選び、これを採用して理解しやすいようにした。
 そのような図を採った書物は、
 ⅰ.トンミュス解体書(官医桂川法眼所蔵)  
 ⅱ.ブランカール解体書(同)
 ⅲ.カスパル解体書(翼{玄白}所蔵)
 ⅳ.コイテル解体書(同、ラテン語で記す)
 ⅴ.アンブル外科書解体編(中津侍医前野良沢所蔵)
である。
 
 学説を引用した書物は、
 カスパル解体書(官医桂川法眼所蔵、ラテン語で記す)
 ヘリンスキース解体書(官医山脇法眼所蔵)
 パルヘイン解体書(小浜藩中川淳庵所蔵)
 パルシトス解体書(同)
 ミスケル解体書(処士[民間人]石川玄常所蔵、アルメニア国の本)
である。
 ここで図を引用した本の上にすべて符号をつけてあるのは、図の符号と称号して見るように読者の便宜をはかったのである。

一.
 原本の図で微細な部分の見にくいところは、ことごとく顕微鏡(オオムシメガネ)でこれを見て模写したのである。

一.
 難解な個所はすべて、いろいろなオランダの解剖書および動物、植物の図譜、および天文、地理、器械、衣服等の書物を参考にし、それをその個所の下に注としてつけた。
 あるいはそれらの本から説をとり、それをもとに作った解釈を傍らに書き、読者の便宜をはかった。

一.
 訳し方には三通りある。
 第一は翻訳という。
 第二は義訳という。
 第三は直訳という。

 オランダ語で「ベンデレン」という言葉は骨である。
 これを骨(ほね)と訳すことが翻訳である。
 また、「カラカベン」という言葉は、骨であるが軟らかいものを指す。
 「カラカ」というのは鼠が器物を齧るときに立てる音をいうのである。
 そこで軟らかいという意味をとり、「ベン」というのが「ベンデレン」の略であるからこれを訳して軟骨とした。
 これが義訳である。
 また「キリイル」と発音する」言葉は、それに相当する言葉が東洋の医学にはなく、意味をとろうにもその解釈ができない。
 そのような場合には、そのまま「機里爾(キリイル)」と訳した。
 これが直訳である。
 私の訳はみなこの例に示した通りである。
 読者はこれを了解してほしい。

一.
 西洋諸国が支那(シーナ)と読んでいるのは、すなわちいまの清国である。
 わが国の昔からこの国を、漢あるいは唐のようにいろいろな呼び方をしてきた。
 元の陶宗儀の「輟耕録」、清の廖リンキ(廖文英)の「正字通」の序文にはいずれも漢とある。
 そこで、この本ではこの二人にならって漢と呼ぶが、これは東西の両漢[前漢と後漢]をさしているのではない。

一.
 この本で直訳したときにあてた文字は、すべて中国人が訳した西洋諸国の地名をオランダバンコク地図と照合し、それを集め、当てたものである。
 これらはその横に倭訓を記し、読者の便宜をはかった。
 その訳語には憶測で作ったものは一つもない。

一.
 格致編[第三編]では医学の基本になるものをことごとく挙げている。
 したがってオランダ語で名称を記し、その訳語を注につけた。
 これはただ学者のために便宜をはかるために行ったことである。
 その他、門脈[第18編]などのところでときどきオランダ語名を記しているが、それも」格致編の場合と同じような理由からそれにならったのである。

一.
 この本を読んだ者は、十中八九まで考え方が当然変わるであろう。
 中国では、古今の医科で臓腑骨折[からだの構造]について説いた者は少なくない。
 しかし、そのなかで古代の論には真実をついたものもときにあり、きわめてつまらないように見えても価値があるものもある。

 ところが後世の馬玄台[明代の医家]、孫一奎[明代の医家]、滑伯仁[金・元時代の医家]、張景岳[明代の医家]といった人の学説は、三蕉や椎節[脊椎骨の数]の理論がみな一致しない。
 それぞれが自分の都合の良いように考え、憶測し、こじつけており、大昔から今に至るまで一つの学説にまとまったことがない。
 ああ、なんとまあずいぶん粗略な医学であることか。
 もし内臓や骨節がその場所を少しでも違うことがあれば、人間はどうして生きられようか。
 治療はなにを基準にすればよいのであろうか。
 
 わが国では、先輩たちが真実を知りたいと、ときどき解剖を行って視た。
 しかし、古い考えに染まっているために、内臓や骨が旧説と違うのを見ると、いたずらに事実を疑うのである。
 それはまるで燕国の人が永く国外にいて帰郷したとき、国を前にしながら、他国を燕だといつわられてもそれを疑わなかった話と似ている。
 また、解剖したからといっても、九にそれを活用することができず、かえって混乱におちいってしまう。
 あるいはまた解剖で名医として天下に名をとどろかせた者がいたが、だれも解剖の方法を知らず、おしいことに結局はとりとめのないことで終わった。

 世間には小事にこだわらない人もいるけれども、汚れた習慣に耳目がまどわされて、いまだ雲や霧をかきわけ青天[真理]を見ることができないのである。
 つまり、考え方を一新しなければその室[真理]のなかに入ることができない。
 ああ、人には有能、不能がある。
 私は才能がないから他の仕事はとてもできないが、ただこの仕事にあらんかぎりの努力を尽くしてきて、医学を明らかにすることができた。
 これは昔の先輩たちに対しても少しも恥じることではないが、そもそものはじまりは、要するにものの考え方を一新させることにある。
 もし私と同じ志を持ち、この本に述べることに従えば、考え方を一新するであろう。
 そうなることを切に望んでいる。
 しかし、そうは言うものの私はうまい文章を作ることに慣れていない。
 それでこの本では、その内容が分かるようにすることだけを心掛けた。
 これを読んで理解できないことがあれば、私が生きているかぎりいつでも質問をし、訪ねてくれることはかまわない。

 私の友人、杉田玄白が訳したところの「解体新書」が出来上がった。
 自分にこの本の図を写してくれという。
 それはまさに紅毛の画[洋画]で見事なものである。
 自分のように才能がない者があえて背伸びをしてやってもとても追いつけるものでない。
 そうはいっても画くことができないといえば、友人が大いに困るであろう。
 ああ、友人を困らせるよりは、むしろ悪臭[恥]を永遠に流すことににしよう。
 世の君子、このことを許してくれれば幸いである。
                                  東羽秋田藩 小野田直武





 【習文:目次】 



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