2010年12月22日水曜日

: 何気ない一言

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● 2007/09



 妻の何気ない一言も大きな重みをもっている。
 ふつう、夢中でテレビを見ている哲学者に声をかけるのは、はばかれるものである。
 だが、妻ははばかる様子もなく、わたしがテレビを見ている最中に「ジャムの瓶のフタどこやった?」などと言う。
 テレビに注意を向けたままだと「聞く気がないのね」と言う。
 そこまで分かっているなら、なぜ聞くのか。
 こうなると、売り言葉に買い言葉だ。
 わたしが「聞いているよ、本当だよ」と突っぱねる。
 と、妻が「じゃ、答えてみなさいよ」と挑戦し、フタなど知らないので答えられないため激論となり(「激論」と言う理由は妻の発現が激烈だからだ)、テレビどころではなくなる。
 だから、テレビを見続けようとするなら、どんなにテレビに釘付けになっていても、妻の言葉に注意を怠ってはならない。

 悪いことに、妻はここぞというときに限って話しかけてくる。
 テレビでモスクワの天気予報をしているとき、ふだんモスクワの天気予報にも興味をもたないわたしが興味をもったとたんに、「新聞どこへやったの?」と言う。
 タイミングを見計らってテレビ鑑賞を妨害しているとしか思えない。
 先日、わたしが格闘技の試合を見ていると、妻が「あっ!」と言った。
 「あっ」という言葉は、驚くべきことが起きたことを伝える表現だ。
 もしかして家が燃えているといった重大事とか、妻の歯が折れたといったどうでもいいことかもしれない。
 間違っても「お疲れさま」とか「茶摘みの季節になりました」という言葉が続くとは考えられない。
 「あっ」を無視するとどんな結果が待っているか分かったものでない。
 だが、テレビでは試合がちょうど倒すか倒されるかの、目が離せない場面だ。
 決断を迫られたわたしは、自分の欲求を優先させることを抑え、やむえずテレビから目をそらした。
 そうしないと、果てしない激論を招き、試合全部を見逃すことになる。
 何日も前から楽しみにしていた試合だ。
 絶対に逃せない。

 目を妻に向けると、まんじゅうをほおばっていた。
 そしてこう言った。
 「クルミが入っている!」
 わたしは怒った。
 クルミまんじゅうの中にクルミが入っていたからといって「あっ」と言うな。
 本人は何気なく言ったつもりかもしれないが、わたしには原発爆発警報に等しい重みをもっているのだ。
 突然テレビから歓声が上がり、画面では目を離したすきにノックアウトで決着がついていた。
 貴重な一瞬を見逃してしまったのだ。
 「<あっ>と言うなら、食べられないものが入っていたときにしろ」
と叱ると、妻は
 「じゃあゴキブリが入っていたら<あっ>と言ってもよかったの?」
と反抗的態度で言う。
 その後、格闘技を上回る激しい闘いに発展した。
 が、他人にはわたしが一方的に叱られているように見えたかもしれない。








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