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● 2007/08
『
ハッチンソン-ギルフォード早老症候群という病気がある。
いわゆるプロゲリアだ。
プロゲリアは、生まれてくる子どもの400万人~800万人に一人というまれな病気だ。
その名のとおり早く老けてしまうので、この病気をもっている子どもの運命は残酷だ。
他の子どもの100倍ものスピードで老化が進む。
プロゲリアの赤ん坊は一歳半になるころには、皮膚にシワが出て、髪の毛が抜ける。
やがて動脈硬化などの循環器系の問題や、関節炎などの変性疾患もはじまる。
患者の大半は、10代のうちに心臓発作や脳卒中で世を去る。
この病気で30歳まで生き延びたという記録はない。
2003年、プロゲリアを引き起こす変異遺伝子を特定したという発表があった。
変異が起きていたのはラミンAというタンパク質を作っている遺伝子だった。
ラミンAは通常であれば、細胞の核膜を支える足場の役割をする。
テントを想像してみるといい。
天幕にあたるのが核膜で、それを支える骨組みがラミンAだ。
プロゲリアの人はラミンAが欠けているため、細胞が急速に劣化するのだ。
2006年には別のチームがラミンAと正常な老化の関係を確認した。
正常な高齢者の細胞にもプロゲリア患者の細胞と同様の欠損があったと報告したのだ。
これは画期的は発見だった。
それは、プロゲリアの特徴である加速度的な老化と正常な老化には、遺伝子レベルで共通する要素があることがはじめて確かめられたからだ。
正常な老化に遺伝子が絡んでいるとわかったことは、大きな意味をもつ。
これまで科学者たちは、ダーウインが適応と自然淘汰、進化の説を唱えてからというもの、その全体像の中で「老化」はどこにあてはまるのかということに悩んできた。
老化とは進化の結果なのだろうか? と。
言葉を換えれば、老化は計画外の付随的なものか、それとも意図的に計画されたものなのか?
プロゲリアその他の老化加速型の病気を見ているかぎり、老化はあらかじめプログラムされたもの、つまり意図的に計画されたものに思える。
たったひとつの遺伝子エラーが赤ん坊や思春期の子どもに老化を加速させるなら、老化の道筋は決まっているということになる。
老化を遺伝子がコントロールしているからこそ、遺伝子エラーでプロゲリアが起こるのだ。
ということは、もうひとつの疑問に突き当たる。
人間とは最初から「死に向かう」ようにプログラムされているのだろうか?
レオナルド・ヘイフリックは現代の老化研究の基礎を築いた人物の一人だ。
彼は1960年代に、細胞は決まった回数だけ分裂するとじみょうが尽きてしまうことを発見した(例外もあるのだが、それについてはあとで説明する)。
この細胞分裂回数制限は「ヘイフリック限界」と呼ばれていて、人間の場合は「52回から60回ほど」だ。
ヘイフリック限界は、染色体の末端を保護するキャップにあたる「テロメア」がすり減っていくことに関係がある。
細胞は分裂するたびにDNAの破片を少しづつ失う。
DNA情報を確実に複製するためには、失った破片部分の情報を補わなければならない。
その情報補充に使われるのがテロメアだ。
テロメアは細胞分裂のたびに短くなっていくが、そのおかげでDNAの全情報が守られる。
しかし、細胞が50~60回分裂するとテロメアはなくなり、情報伝達はそこで終了となる。
つまり、細胞分裂は行われなくなる。
では、細胞分裂に限界を設けるように進化したのは何のためなのだろう。
答えを先に言おう。
「癌だ!」。
すでにご存知のことと思うが、「癌」というのは特定の病気の名前ではない。
それは、「細胞増殖が軌道を外れて暴走してしまう病気」の総称である。
実際のところ、癌の中には治療可能なものもあり、その場合は生存率も回復率も心臓発作や脳卒中に比べればずっといい。
人の体には、癌になることを防ぐための何層もの防御機構がある。
腫瘍を抑制する役目を負った特別な遺伝子もあれば、癌細胞を探し出してやっつけるタンパク質を作る遺伝子もある。
癌と闘う遺伝子を修復するための遺伝子まである。
細胞には「切腹メカニズム(ハラキリメカニズム)」がある。
これはアポトーシスというプログラムされれた「細胞死」で、ある細胞が感染をウケたり損傷したりしたと気づいたとき、あるいはたの細胞からそれを「指摘」されたとき、その細胞が自殺するメカニズムだ。
その一番手が、ヘイフリック限界ということになる。
ヘイフリック限界はあなたを癌から守る。
細胞がおかしくなってもヘイフリック限界がその増殖を断つことで、それ以上に広がりを防いでくれる。
決められた回数しか細胞分裂できない、しない、ということは、悪い細胞が無制限に増殖しないということだ。
そう、そこまでは正しい。
が問題は、癌細胞とはさらにズル賢いということだ。
癌はちょっとしたトリックを使ってくる。
その一つがテロメラーゼという酵素だ。
テロメラーゼは、染色体の末端にあるテロメアを延長させることができるのだ。
正常な細胞ではテロメラーゼは眠っており、テロメアはきちんと短くなる。
しかし癌細胞ではこのテロメラーゼが目覚めていて、テロメアをどんどん補充する。
これにより細胞に貼られていた「賞味期限」のシールは剥がされ、癌細胞は永遠に増殖し続けることになる。
「癌になる」というとき、これはたいてい「テロメラーゼが活動」している状態をいう。
人間の癌性腫瘍細胞の90%以上はテロメラーゼの助けを借りて勢力を伸ばす。
テロメラーゼがヘイフリック限界を向こうにするからこそ、癌細胞は無制限に増殖して人の体を蝕むことになる
優秀な癌細胞はプログラムされた細胞死、つまりアポトーシスを回避する道を見つけるのだ。
癌細胞は、正常な細胞なら何かがおかしくなったときに指示される自殺命令を無視して、永遠に分裂できる「不死細胞」になる。
科学者たちは現在、テロメラーゼの活動が増大したかどうかを検知する検査方法を確立すべくやっきになっている。
そうなれば、癌の早期発見は今よりずっと容易になるだろう。
ヘイフリック限界にはもう一つ例外がある。
いま世間で注目の細胞、「幹細胞」だ。
幹細胞は「未分化」の細胞で、いろいろな種類の細胞に分裂することができる。
細胞分裂というとふつう、抗体を作るB細胞からはB細胞しかできないし、皮膚細胞からは皮膚細胞しかできない。
ところが幹細胞は分裂するとき別の種類の細胞を作ることができる。
あらゆる幹細胞の元にあたるのは、精子と卵子が結合した接合子だ。
この接合子というたった一つの細胞が、体を構成するすべての細胞を作りだす。
幹細胞は癌細胞と同じようにテロメラーゼを使ってテロメアの長さを一定に保つ。
幹細胞もまた、ヘイフリック限界の干渉を受けない「不死細胞」なのだ。
科学者たちが幹細胞に熱い視線を注ぐのは、望む細胞を無限に作り出せるという幹細胞の潜在能力を使えば、病気治療の可能性が大きく広がると信じているからだ。
細胞分裂に制限回数があるというのは、癌を防ぐ目的で発達したメカニズムだろうと考えられるが、ものごとには必ずプラスとマイナスがある。
ヘイフリック限界のプラス面が「癌予防」なら、マイナス面は「老化」だ。
細胞は決められた回数だけ分裂すると、それ以上は分裂せず、置いて死を待つだけになる。
もちろん、生き物に老化のメカニズムが進化した理由は、癌予防とヘイフリック限界だけでは説明できない。
何よりも、これだけでは動物の種ごとに寿命の長さが違う理由が説明できない。
寿命の長さは種によって---たとえごく近い種どうしでも---大きな差がある。
哺乳類に関しては、一部の例外を除いてほぼサイズと寿命は比例している。
体が大きいほど長く生きる。
ここでいう体の大きさとは、個人差や個体差ではない。
種としての平均的なサイズが大きければ、種としての平均寿命が長いという意味だ。
大型哺乳動物の寿命が長い理由は、一部には、大きい動物のほうがDNA修復能力が発達しているからだ。
DNA修復能力がたかければ長生きできるのはわかる。
ではなぜ、大きい動物の方がその能力が発達しているのだろう。
まず考えられるのは、寿命の短さと外界の脅威の大きさには直接の因果関係があることだ。
これは単に、捕食者に食べられた時点で死ぬから寿命が短いという意味ではない。
捕食者に食べられるリスクの高い動物は、たとえ食べられなくとも最初から長く生きないように設計されているということだ。
ある種が環境的な脅威にさらされているとき、その種は早く子孫を作る方向に進化の圧力がかかる。
つまり早く大人になるということだ。
寿命が短いということは世代交代の時間も短いということで、その種の進化は速くなる。
進化が早ければ外界の脅威にそれだけ速く適応できるということだ。
おそらく、老化がプログラムされていることは個人にとって有益なのではなく、種の進化にとって有益なのだろう。
老化とは「計画された旧式化」の生物版だと言えないだろうか。
計画された旧式化とは、賞味期限を与えるという概念だ。
賞味期限を過ぎた、つまり決められた年数を過ぎた古いものは保証しないということだ。
その生物版である老化もこれにこれに似ている。
第一に、老化は旧モデルを退け、新モデルのための余地、つまり進化による変化を生み出す余地を作る。
第二に、老化は寄生生物のどっさりいる旧世代の個体を消して、新世代を守る。
つまり、老化とは「種のアップグレード戦略」なのだ。
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【習文:目次】
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