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● 2007/08
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アメリカの子どもの1/3は太りすぎ、つまり肥満症だ。
人数にするとおよそ2,500万人。
過去30年間で、2歳~5歳児の肥満率は2倍に、6歳から11歳の肥満率はおよそ3倍になった。
2000年に生まれた女の子は将来40%の確率で成人型糖尿病になると推定されている。
この子たちは、まだ子どもだというのに大人と同じ肥満関連の病気の症状を示している。
最近の調査によれば、5歳児~10歳児のおよそ60%に、高コレステロール、高血圧、高脂血症、高血糖などの心臓病のリスク因子が少なくとも1つあり、そのうちの25%は2つ以上のリスク因子があるという。
アメリカ人の平均寿命は今後、肥満児の急増によって今より5歳短くなるであろうとも言われている。
親、とりわけ母親の妊娠初期の食習慣が生まれてくる子どもの代謝作用に影響している、という結果が報告されつつある。
つまり、あなたがこれから子どもを作るつもりでいるなら、ビックマックにかぶりつく前に、2つのことを考えてみたほうがいい。
あなた自身のウエストと、未来の子どものウエストと。
これは言っておくが、親が獲得した、太りすぎという形質を子どもに遺伝させているわけではない。
遺伝子に書かれている指示が「実行されるか否か」、という話だ。
遺伝子の指示が実行されて、指示通りの結果が出ることを「発現」という。
どんなふうに「発現」するかということについての理解は、ここ数年で急速に変わりつつある。
過去5年間に行われた一連の画期的な研究によると、ある種の化合物は特定の遺伝子に付着して、その「遺伝子の発言を抑える」ことがわかった。
遺伝子にスイッチがついていると過程するなら、それが「オフ」になるのだ。
そして、食べ物やタバコなどの環境要因が、このスイッチをオンにしたりオフにしたりしていることが分かってきた。
この研究結果は遺伝学の世界全体を変えつつある。
遺伝学の下に「後成遺伝学:エピジェネテイクス」という一つのまとまった学問分野すらできてきた。
エピジェネテイクスとは、親から受け継いだDNAを変えずに、親が獲得した形質を子どもがどう発現すること
になるのか、を研究する学問である。
DNAに書かれている指示そのものは変わらなくても、それ以外の何かが指示を出す出さないの干渉をしているらしい。
遺伝子があるということと、その遺伝子が機能するということは、別のことなのだ。
エピジェネテイクスという言葉は1940年代に作り出されたが、今日の学問分野としてはまだ幼い。
初の大きな突破口が開かれたのは2003年のデューク大学の実験で、その主役は一匹のやせ細った茶色のマウスであった。
というのはその両親は太ったクリーム色の形質を何世代もわたって伝えてきている特別な系統のマススだった。
この系統のマウスはどれも、白っぽい毛の色と肥満を」特徴とする「アグーチ」という遺伝子をもつ。
アグ-チ・マウスのオスとメスが交尾すれば、アグーチ・ベイビー、つまり太ったクリーム色のマウスが生まれてくる。
それが延々と繰り返されてきた。
デューク大学に連れていかれるまでは。
実験チームはマウスを2つに分けた。
片方は、特別なことは何もしない比較のための「対照群」。
対するもう片方は「実験群」である。
この実験群には普通の食事のほかに、ビタミンのサプリメントを与えた。
ビタミンB12、葉酸、ベタイン、コリンと、人間の妊婦管理で処方されるものと同じ成分のものである。
このなんでもない実験の結果が、遺伝子の世界を揺るがしたのだ。
太ったクリーム色のオスとメスから、やせた茶色い赤ん坊が産まれたのだ。
これまで当然と思われてきた常識が、吹っ飛んでしまった。
またひとつ、遺伝学の謎が増えた。
子どもマウスの遺伝子が消えたり、あるいは突然変異したわけではない。
やせた茶色の子どもマウスのアグーチ遺伝子は、本来あるべきところにちゃんとあって、太ったクリーム色のマウスを作る指示を用意していた。
いったい何がおきたのだろう?
真相はというと、妊婦マウスが食べたビタミン・サプリメントの成分の一部が胎内の胚にとどいて、アグーチ遺伝子のスイッチを「オフ」にしていたのだ。
子どもマウスが生まれるとき、そのDNAにはもちろんアグーチ遺伝子が入っていたが「発現」しなかったのだ。
その遺伝子に付着した化学物質が、遺伝子の指示の実行を抑えていたのだ。
このような遺伝子の発現抑制をもたらす改変を、DNAの「メチル化」という。
メチル化とは、メチル基という化合物が遺伝子に結合することで、DNA配列を変えずに遺伝子の発現作用だけがオフになることをいう。
ビタミン・サプリメントの成分の中には、発現抑制を引き起こすメチル基由来の分子が入っているのである。
子どもマウスがメチル化の影響をうけたのは、スリムな体系と茶色の毛皮だけではない。
アグーチ遺伝子のスイッチをオフにされたマウスは、その親たちよりも癌や糖尿病を発症する割合が大幅に低かった。
この実験の衝撃は大きく、それ以降エピジェネテイクス研究は爆発的に増えた。
その衝撃がどんなものかを紹介しよう。
まず、遺伝子設計図は「消えないインク」で書かれているとされていた常識を消してしまった。
これ以降、遺伝子は不変でも指示は変わりうるという概念を考慮しなければならなくなった。
まったく同じ遺伝子セットであっても、個々の遺伝子がメチル化されるかされないかで異なる結果を生み出すことがわかった。
遺伝子コードという土台だけではなく、その上にかぶさる別の層の条件が出現したのだ。
(エピジェネテイクスの「エピ」とはギリシャ語の接頭語で、まさに「上にある、あとから、別の」という意味である)
つぎに、母親が生きているときの環境要因が子どもの形質遺伝に影響することが示されたことになる。
環境要因はベビー・マウスが受け継いだDNAを変更してはいないが、DNAの発現の仕方を変えている以上、やはり遺伝を変えていることになる。
DNAは一切変わっていないのに、発現する、しなしが変わっている。
母親の経験が子どもの遺伝子発現に影響をあたえるというこの現象は「予測適応反応」、あるいは「母性効果」と呼ばれている。
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【習文:目次】
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