2010年12月5日日曜日

: インド、手のつけようのないほどの落伍者

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● 2007/05[2003/11]



 インドは「暴力と政治の不安定」さが特徴の国である。
 国としての存続は、さまざまな少数民族による分離運動だけでなく、多数を占める民族内の暴力的なヒンズー過激派によって脅かされている。
 1947年以来、残虐行為が生活の一部といっていいほど日常化してしまっている。
 独立以後、パキスタンにいたヒンズー教徒とインドにいたイスラム教徒が、それぞれの国の多数はによって何十万人も殺され、少なくとも1,200万人の難民がどちらかの側へと避難した。

 過去30年年間、インドは近隣諸国に対して非常に攻撃的だった。
 中国、パキスタン、バングラデシュと戦争をし、スリランカとは代理戦争を行った。
 インド人たちはインド洋のいくつかの島じぇ進軍し、占領してしまった。
 独立以来、どの隣国とも安定した関係を築いたことがない。
 さらには、自分自身ともうまくやっていけるという証明ができていない。
 国の半分は、残りの半分が実際なにをやっているのか全く判っていないのだ。
 カルカッタの人たちはマドラスの人たちとはまったく関係がない。
 議会では、ベンガル出身の大臣は、パンジャブ出身の大臣とは無関係であり、そのパンジャブ出身の大臣とは何も共有するものがなく、その南部出身の大臣は北部の大臣とはぜんぜん関わりがない、といった具合である。
 この国は手のつけようもないほどの役人根性、性差別、保護主義の典型である。

 「われわれはインド人だから他の誰よりも賢い」
と言うのが今の論調だ。
 ITブームが彼らにそう思わせたのだ。
 ITの生みの親を自負しているくせに、インドでは全国で使える携帯電話さえない。
 ほとんどどの街でも、都市ごとに携帯電話を買い直さなければならなかった。
 中国では携帯電話は国の何処へ行っても使える。
 1980年代までインドは中国より豊かだったので、インド人は中国人を非常に疎ましく思っており、彼らに嫉妬している。
 中国は民主主義ではなく、自分たちインド人は世界最大の民主主義国の国民だと彼らは言う。
 たしかに彼ら「中産階級は2憶人」と巨大である。
 しかし、それは8億人が中産階級に属していないということでもある。
 また、民主主義であることを重視するなら、国としてのインドの劣悪なパフォーマンスが暴かれてしまう。
 彼らは、共産主義国やその他の全体主義国家の政府のような
 落伍者としての言い訳さえできない

 過去20年の間に、中国はインドよりはるかに成長し、インフラ-高速道路、電話回線、携帯電話-も整った。
 インドにはそのいずれもほとんどない。

 私たちは西海岸から東海岸、ムンバイからカルカッタへと走った。
 2つの街はたかだか2,000マイル(3,200キロ)ほどしか離れていない。
 私たちは毎日、一日中、車を走らせたのだが、平均時速30マイル(48キロ)出せればよいほうだった。
 道は舗装されていたが2車線しかなく、トラック、ラクダ、ロバ、すべてが同じ車線を走っていた。
 インドを横断するトラックの運転手は平均時速12マイル(19.2km/h)ほどで走る。
 トラックがその4倍のスピードで国を股にかけて走っている中国と、いったいどうやって競争できるだろう。
 これらはすべて、ジャワハルラル・ネルーとその娘インデイラ・ガンジーの国民会議派が、独立以来実質的にずっと国を支配してきた時代の遺物である。
 役人や政治家、保護を受けた少数のビジネスエリートだけが栄えていた。

 インドにはいくつかの巨大企業があるが、世界市場では競争していけないことははっきりしている。
 この国は農耕面積で世界第2位だが、面積あたりの収穫量は世界平均のわずか「30%」である。
 対照的に中国はさまざまな製品や農産物を輸出しはじめている。
 規模の経済が-国内の保護された市場は10億人規模だ-大いに得られるにもかかわらず、資本や知識の蓄積、そして国境の外で競争するのに必要な品質が確保されていないため、世界で車で走っていても、インド製品を目にすることはあまりない。
 保護主義経済の国すべてと同様、インドには「品質という考え方」は存在しない。
 旧ソビエト連邦も製品を輸出したことはなかった。

 デリー・スクール・オブ・エコノミクスとインド社会研究所の研究によれば、1憶6500万人いる6歳から10歳の子どもののうち小学校を卒業するのは約3,500万人にすぎない。
 インドの大学はエリートとコネを持つ者のための場所なのだ。
 あれほど多くのインド人が外国の大学で学んでいるのは、人口の増加で需要は増えているのに、政府が彼らに学ぶ場所を国内に作ることに、ほとんどお金を使っていないからである。





 【習文:目次】 



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