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● 2007/08
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植物は大きなストレスを受けると、DNAの特定の塩基配列をごっそりある場所から別の場所に移動させたり、ときには活動中の遺伝子の中に挿入させたりすることがわかった。
これらの遺伝子は自分たちを別の遺伝子内に切り貼りしていくとき、周囲の遺伝子に影響を与えることになる。
つまりDNAの配列をを変えながら、遺伝子を活性化させたり、あるいは休眠させたりしている。
このように動き回る遺伝子はでたらめに行動しているわけではなく、規則性をもっている。
まず、遺伝子はゲノムのある部分に集中して移動し、他の部分には向かわない。
つぎに、こうした大胆な変異は外部からの影響が引き金になるようにみえた。
外部からの影響とは、干魃や気温上昇などトウモロコシの生存を脅かす環境変化だ。
簡単にまとめると、でたらめに変異したり、ごくたまに変異したりするのではなく、目的と目標をもって変異しているようなのである。
この発見はバーバラ・マクリントックによってなされたが、この「転移遺伝子群」は「ジャンピング遺伝子」と呼ばれ、われわれの認識を刷新した。
このジャンピング遺伝子の発見は、でたらめでめったに起きない微小な変異という思い込みから、もっと力強い変異の可能性に通じる扉を開いた。
このことは、進化というものが、それまで考えられていたよりもずっと速く、勢い良く起こる可能性をも示している。
科学者たちはジャンピング遺伝子---正式名は「トランスポゾン」---がどうはたらくのか、やっと理解し始めたところだ。
たとえば、トランスポゾンは、自分自身のコピーを作り、それをゲノムの別の場所に差し込んで貼り付ける。
もとの場所には元の遺伝子を残したままで。
これは「コピー&ペースト」だ。
あるいは「カット&ペースト」もする。
もといた場所をカラにして、別の場所に移動するのだ。
新しくやってきたジャンピング遺伝子は居座ってしまうこともあれば、それが「校正」システムではじき飛ばされることもあり、別の違った方法で削除されることもある。
はっきりしていることは、トランスポゾンの遺伝子群は自分自身を他の場所に移すとき、「活性状態」で入っていくことだ。
これにより、その場所から新しい指示が出て、形質に確実に変化がもたらされることになる。
次なる最大の疑問は、なぜトランスポゾンがいきなり転移するかだ。
マクリントックは、細胞レベルでは対応しきれない圧力が内部あるいは外部からかかったとき、遺伝子レベルで対応するのがこの転移なのだと信じている。
生存と種保存が危機にさらされたときにふられるサイコロのようなものだ。
とすると、サイコロの目がどう出るかは、誰もわからない。
いい目が出れば、つまり有利な変異ができれば生き延びられる。
悪い目が出れば消えていくしかない。
サイコロと同じくいい目を期待して遺伝子レベルで転移するのだろう、とマリントックは結論づけた。
気温が高すぎるたり、水が少なすぎたりといった状況が引き金になって、トウモロコシは生存を確実にする変異を探すために「賭けに出る」のだと。
ともかく、変異をこしさえすれば、その後は校正システムが調整してくれる。
さらに自然淘汰が適応する変異を子孫に残し、適応しない変異を断絶させる。
そう、これが進化だ!
マリントックは、ジャンピング遺伝子がストレス時にジャンプしがちなことだけでなく、ある特定の遺伝子のところにジャンプしがちなことにも気がついた。
とすると、これは意図的な転移となる。
行き当たりばったりでジャンプしているのなら、着地点はゲノム全体に広がるはずだ。
どうやらゲノムは、ジャンプする遺伝子を変異させたい場所に誘導しているらしい。
つまり、少しでも特定の目が出やすくなるようにサイコロに細工しているのではないかと彼女は考えた。
現在では、科学者たちはマクリントックのゲノムに対する見方を引き継いでいて、変異や進化はめったに起きないでたらめなエラーによる偶然の結果だ、という見方からは離れている。
そう、ゲノムは部屋の模様替えが好きらしいのだ!
人間の遺伝子に入る前に、いくつか確認しておきたいことがある。
まずは、「ワイスマンの壁」と呼ばれて広く親しまれている遺伝子原則についてだ。
アウグスト・ワイスマンは19世紀の生物学者で、生殖質という理論を打ち立てた。
この理論は、細胞を生殖細胞と体細胞の2種類に分けるというものだ。
生殖細胞には子どもに伝える情報が入っている。
卵子と精子は究極の生殖細胞である。
それ以外のすべての細胞、たとえば赤血球、白血球、皮膚、髪の毛の細胞などは体細胞になる。
「ワイスマンの壁」とは生殖細胞と体細胞を分ける壁のことで、体細胞の情報はこの壁を越えて生殖細胞に行くということは絶対にありえない、という意味である。
これにより体細胞側で起きた変異は生殖細胞側には伝わらないため、子どもには遺伝しないことになる。
もちろん、生殖細胞で起きた変異は子孫の体細胞に引き継がれる。
じつは最近、この壁が必ずしも通過不可能ではないことを指し占める証拠が出てきている。
それがある種のレトロウイルスだ。
レトロウイルスの一部はワイスマンの壁を突き抜けて、体細胞のDNAを生殖細胞に伝えることができるらしい。
もしそうなら、後天的に獲得した形質が子孫に伝わるという考え方のドアが、理論上開いたことになってくる。
進化というと、ふつう生殖細胞での変異を考える。
卵子か精子の遺伝子の一部が、いままでとは異なった形質を子どもに伝える遺伝子に変わってしまうという変異だ。
そして、子どもに出た新しい形質が生存と種保存に有利であれば、それは子孫の世代にどんどん伝えられ集団全体に広がる。
新しい形質が生存と種保存に不利であれば、とうからず消えていく。
変異は生殖細胞以外では日常的に起きていることなのだ。
一番身近な、そして恐ろしい変異は癌だ。
癌は、本来なら癌細胞の増殖を抑えるはずの遺伝子が変異したため、癌細胞が野放しに増えてしむ病気だ。
癌の一部は少なくとも遺伝性だ。
その変異遺伝子は子孫に伝わる。
遺伝性でない癌は、喫煙や放射能汚染などの外部要因が引き金になる。
変異とは、定義上、単に「変わる」ことを意味するだけである。
ジャンピング遺伝子による変異は、人間が人間であるために不可欠な2つのの重要な機能を支えているらしいことが分かってきた。
一つは脳であり、もう一つは免疫である。
ジャンピング遺伝子は、脳発生の初期段階で爆発的に活性化する。
脳のあちこちに遺伝物質を挿入し引っ掻き回すのだが、その混乱状態こそが脳発生の一過程でもある。
この遺伝子ジャンプ・パーテイには重要な目的があるらしい。
脳を一人ひとりの独特な脳に作り変える、つまり多様な個性を産み出そうとしているようなのだ。
発生段階での遺伝子コピー&ペースト競争は、脳の中でしか起こらないのである。
多様性を歓迎するシステムは脳神経系のほかにもう一つある。
免疫系である。
免疫系は歴史上もっとも「柔軟な労働力」を求めてきた。
外からやってくる膨大な種類の有害微生物やウイルスと戦うために、人間の免疫系は無数の抗体---外敵一つひとつに対応するタンパク質---を作らねばならない。
こうしたタンパク質を作りだすメカニズムはまだ完全に解明されていない。
体は、特定の外的に対する抗体を一度作れば、その抗体をずっと持ち続ける。
同じ外的に再度侵入されても2度目からは戦いが有利になる。
「はしか」のように一度かかったら一生かからない免疫力を獲得することもある。
B細胞で起こした変異は生きている限り有効だが、それを子どもに受け継がせることはできない。
B細胞はワイスマンの壁の体細胞側にいるのだから。
生まれたばかりの子どもにはわずかしか抗体がないので免疫系はフル回転で創業する。
母乳育児がいいとされる理由の一つは、赤ん坊の免疫系の準備が整うまでのあいだ、母乳に含まれている抗体が一時的な予防接種のような作用をして感染を防いでくれるからだ。
だが、転移可能な遺伝物質、つまりジャンピング遺伝子が生命維持と進化に具体的にどう貢献しているかはまだわからない。
その謎を得入り口にやっと立ったばかりなのだ。
人間の遺伝子のうち、実際に指示を出している遺伝子の1/4は、ジャンピング遺伝子からのDNAが組み込まれいる形跡があるのだ。
ジャンピング遺伝子は、プログラム実行中に変更処理をどんどん咥えていく「オン・ザ・フライ方式」の遺伝子組み換えを、自然にやっているようなものだとかんがえられるようになってきた。
その仕組が理解できるようになれば、人間の免疫系が病気をどう防いでいるのかや、人間の遺伝子構造が環境ストレスにどう対応するのかとかなど、もっと多くのことが解明されるであろう。
そうなれば、その知識を病気の予防に応用したり、弱った免疫系を回復させたり、有害な変異を遺伝子レベルで修復したりといった、まったく新しい医療の未来が開けるかもしれない。
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【習文:目次】
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