2010年7月19日月曜日

★ 「新中流」の誕生:はじめに:和田秀樹


● 2006/09



 2006年の5月にフィンランドを訪れた。
 ある雑誌の取材で、表向きは経済協力開発機構(OECD)の学力調査で、フィンランドの義務教育卒業時での学力が、読解力・科学的リテラシーが調査参加国中1位、数学的リテラシーが2位というすばらしい成績を収めた教育の秘密を探るためだった。
 (日本は読解力は参加国の平均以下で、科学的リテラシー以外はアジア諸国の全てに負けていた)

 しかし、それ以上に興味があったのは、世界経済フォーラムで2003年から2005年の3年連続で国際競争ランキング首位が、この国だったことだ。
 フィンランドの国民負担率は北欧のほかの国々と同じくきわめて高く「約65%」と日本の2倍近い。
 (国民負担率とは租税負担率と社会保障負担率の合計である)
 この国は、スエーデンやデンマークほどでないが、行き届いた社会保障と教育にお金をかけていることで知られている。
 (これらの国々も国際競争力ランキングで上位5位以内に入っている。日本は2005年で12位である)
 この国の人は、パリやロンドンの街で見かけるようなブランド品のバッグを手にする人は目立たず、国際競争力トップという漢字の豊かさを感じさせない。
 しかし、貧し気な人をほとんど見かけない。
 裏町に入っても、ヨーロッパでもアメリカでもアジアでも大都市につきもののスラムのようなアパート街のようなものをみかけない。

 これを見て、アメリカの留学体験がよみがえった。
 1991年から1994年のアメリカであり、留学先は、決して景気のいいとは言えない、中西部のカンザス州で、」共稼ぎで夫婦の年収が3万ドル台ということがザラにある地域だ。
 人々は「安い」ものに飛びつき、ウオールマートは大盛況。
 いたるところに中国をはじめとするアジア製品であふれかえり、「maide in USA」を探すのに苦労した。
 一方で、日本の家電品は、日本の最新式と比べて3~5年落の製品が、日本の半分くらいの値段で売られている。
 それでも日本製品の信頼は厚かった。
 庶民がホンダのアコードを手に入れたときの嬉しそうな顔は、まさにアメリカ人の幸せファミリーの象徴のような印象をうけた。
 
 そのときに直感した。
 アメリカは貧富の差を大きくすることで、国際競争力を失った、ということだ。
 金持ちはヨーロッパ製品を買い、貧しい人はアジア製品を買う。
 この結果、アメリカの製造業は総崩れになる。
 中流がいなくなってマーケットを失うのはアメリカ企業なのだ。
 中流層の分厚い日本の製造業は、時刻である程度の値段で品質の高い製品が作れる。
 アメリカの中流は、それに憧れる。
 まさにそれは、1960年代くらいまでの日本人がアメリカの中流の使う製品に憧れたように。
 日本はアメリカのような国になってはいけない、と思っていたが、どんどんと雲行きが怪しくなってきている。
 そんな中で、フィンランドの姿は衝撃的であった。
 「中流層の分厚い国は強い」と再認識させられたからだ。

 日本人の改革は、何のための改革であるかということや、どういう結果をもたらすのか、ということを長期戦略の中で冷静に分析することなく、変革のためなの「新奇なもの」に飛びついてしまうきらいがある。
 「本当にいいものかどうか」という顕彰をしないまま変更してしまう。
 ダメでなかったところまでも、ダメだと思って改革の対象にしてしまい、「いいところは残して」おかなければいけない、という考え方に乏しい。
 その結果として、ひじょうに「いびつな改革」を行ってしまったのではないか。

 たとえば、「ゆとり教育」にはこうした日本の改革の悪いところが顕著に現れていたと思う。
 「変えなければいけない」と勝手に決めつけて、旧来の良かった部分をまったく評価しないままに教育改革に邁進してしまった。
 そして、ほとんどのマスコミもその風潮に乗った。
 その結果、かっての日本の教育のマネをしたアジア諸国が、いまでは学力ランキングで世界のトップクラスにランクされるようになってきている
 現在の日本の子どもの学力では、こうしたアジア諸国に抜き去られ、北欧の国々の後塵を拝するのを傍観するほかなくなった。
 日本は国際的にも通用する良さが崩れる、ことのデメリットを全く自覚してこなかった。
 そのために、日本の本当の強さを短時間で急速に崩してしまい、みすみす捨て去ろとしている。

 改革というと、必ずと言っていいほどアメリカ型の社会に変えていくことを意味していた。
 しかし、世界は今、アメリカよりヨーロッパを評価しているのである。
 本当の意味で強い国々はヨーロッパ諸国でであり、中でも北欧の国々なのである。
 しばらく前まで国中がめざしていた中流社会時代の良さを見直し、
 「ポスト階層分化社会
へ向けて、私たちは何を失いつつあり、何を失ってはならないのかを見定める必要があるだろう。

  そのようなポスト階層分化社会への期待をこめて、国民の多くが新中流社会を模索して欲しいという願いをこめて、日本の現状分析とこれからのあり方につい て、経済のシロウトではあるが、教育問題と心理学に長年携わってきた経験と、アメリカの真の姿を見た経験から、本書をしたためてみた。
 (「アメリカ帰りの日本人」の多くは、東部と西海岸のアッパーミドルと一緒に暮らした経験しか持っていない。アメリカの悪い部分を知らないように思えてならない)





 【習文:目次】 



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