2010年7月7日水曜日

: 「活字離れ」の間違い

_

● 2009/02


『  
 インターネット時代に入り、「新聞離れ」「本離れ」「雑誌離れ」が確実に進行している。
 それは「活字離れ」「文字離れ」とも表現されている。
 だが、間違った表現である。
 安易にそういう言い回しをすべきでない。

 19世紀のドイツで活版印刷技術が発明された。
 それにより、「活字」が生まれた。
 「活字」を現代風に解釈すれば、
 「機械によって打ち出された文字
ということになるだろう。
 決して、紙の上に印刷されているものだけが、「活字」や「文字」ではない。
 パソコンや携帯電話の画面に現れる字は、断るまでもないことだが、「活字」であり「文字」である。
 こう考えると、「活字離れ」「文字離れ」というのは、いかにもお門違いに表現であることがわかる。

 それを列証してみよう。
 「日本語ブログ世界一
 2008年7月2日の毎日新聞の一面のトップに、こんな記事が掲載された。

 総務省の情報通信政策研究所の調査によると、ブログは世界に約7千万あり、使用言語別では日本語が「約37%」と、2位の英語の「約36%」、3位の中国語「約8%」を抑えて、トップであることがわかった。

というのである。
 また調査では、2008年1月末時点での国内のブログは「約1千690万」あり、国内のネット利用者「8千811万人」の約2割が利用している。
 記事総数は「約13億5千万本」で、単行本「約2千700万冊」の情報量に匹敵する、とういう。
 また、ビデオリサーチ・インタラクテイブの別の調査では、2007年の1年間のブログサイトへの推定訪問者数は「約3千500万人」だった。

 高校生以下ではネット接続はパソコンではなく、携帯電話からである。
 日本は携帯電話をインターネットに繋げた最初の国である。
 高機能、多機能という点では世界で群を抜いており、独特の「ケータイ文化」が出来上がっている。
 よって、携帯電話のハードも世界の低水準からかけ離れているため、進化の極限として「ガラパゴス進化」とも自嘲されている。

 日本の子供たちにとってケータイは、最強の情報端末になっており、携帯依存は大人の想像をはるかに超えている。
 それも低年齢化が進んでいる。
 日本PTA全国協議会の2007年度の「子どもとメデイアに関する意識調査」によると、携帯電話を持っているのは、小5で19.3%、中2で42.9%。
 一日の携帯メールの平均送受信数は中2の場合で、「11~20通」が17.0%で最多だったが、「51通以上」が16.2%いた。
 「深夜でもかまわずメールのやりとりをしてしまう」子どもも51.4%いた。

 パソコンや携帯電話に慣れきったことにより、漢字の読み書き能力が落ちたと実感している人が多い。
 文章もブツ切れの短文が多くなり、表現がぎこちなくなったようだ。
 日本語がさらに乱れだした、とも指摘されている。
 だが、嘆くべきことでもない。
 パソコン、携帯電話による漢字変換も文章などを作る点では同じである。
 漢字の書き取り能力を高めたいなら、スポーツと同様、手を使って紙に書いて覚えないと身につかないだろう。
 しかし、同音異議語を正しく変換できるかどうかは、手書きもパソコンも変わらない。
 視覚からの除法が増えるネット社会では、手書き時代よりも読める漢字が増えていく。

 電子メールやブログの隆盛をみると、インターネットによってむしろ、漢字や活字に接する機械は増えている。
 電子メールやブログの発信とは、
 「文章を作りあげる作業
である。
 「手書き時代」の人々は、日々これほどの文章を綴っていただろうか。
 小中学生や青少年が、これほどたくさんの文章を綴り、電子メールに夢中になるなど、「手書き手紙の時代」には考えられなかったことである。
 ネットには、ヤフー、グーグルに代表される検索サイトやニュースサイトがあるが、その閲覧も文字や活字を読み取る作業である。
 日々、こうしたサイトのぞく多くの人たちがいる。
 ネットがなかった時代の人々が、紙の辞典や辞書でこれほど多くの調べ物をしただろうか。

 若者や青年を「活字離れ」「文字離れ」と決めつけるのは、やめたほうがいい。
 新聞、本、雑誌といった「紙メデイア」から離れだしているのである。
 「紙離れ」が正解なのである。


[注:ガラパゴス進化
 日本の携帯電話は、技術的には世界の最先端を走っている。
 外国製の端末を開けると、電波の周波数を制御する水晶部品の6割ほどは、日本製品である。
 ところが、年間10億台に乗る世界の携帯電話の日本製のシェアは7%ほどに過ぎない。
 日本の携帯電話会社(キャリアと呼ばれる)や携帯端末メーカーで、世界の相手にビジネスできているところはまったくない。
 日本の携帯電話は、独特の進化を遂げており、最先端、高機能、高価格すぎて、世界市場には入っていけなくなっている。
 つまり、日本のケータイは文化として特異な進化を歩んでいるのだ。





 【習文:目次】 



_