2010年2月18日木曜日

: 場をつくる=シドニーのオペラハウス

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● 2007/05[2002/04]



 建築とは、決して理念のみで成立するものではなく、その建築と場所、歴史、社会といった様々なものと近代の論理の「対話」があって、初めて生み落とされるものだと考えています。
 今世紀、西欧に生まれた近代建築は、経済の合理性を唯一の論拠とする現代の制度によって、ゆるぎない地位を与えられ、地域、風土といった、近代の論理と相容れないものを容赦なく切り捨ててきました。
 なにより「場所性」を無視してつくることは、建築によって場の力を顕在化させる、すなわち敷地を味方につけてより豊かな環境を形成する好機を放棄することになります。

 「建築と場所」の問題を考える上で、また社会に与えたインパクトを考える上で、1973年に完成したシドニーのオペラハウスほどに計画段階から多くの人々の興味を引いた建物はありません。
 十数年にも及んだその計画と建設のプロセスは建築がどれほどに場所性と深くかかわり、また社会に影響を持ちえるかを如実に示しています。

 1956年に催されたオペラハウスの国際コンペで、見事一等を勝ち得たのは、デンマーク出身のヨーン・ウッツオンでした。
 なにより世間を驚かせたのは、彼によって描かれた港に浮かぶ白い帆船を思わせるような大胆な造形的表現でした。
 1950年代、いまだ機能主義全盛の時代にあって、ウッツオンは<かたち>が意味を持った建築を提案したのです。

 ウッツオン案のオペラハウスの最大の特徴は、コンクリートのシェル構造の組み合わせによる大屋根の造形です。
 これは決して内部の機能から導かれたものではなかったので、当時の建築界では、その是非を巡って激しい論争が沸き起こりました。
 なにより問題になったのは、表現の合理・不合理以前に、その屋根が、果たして実現可能なものかという点でした。
 事実、当時の技術水準では、ウッツオン案は、構造的にも、施工的にも実現不可能だったのです。



 その構造設計に、真っ向から取り組み、見事な解決へと導いたのが、今世紀を代表するイギリスの技術集団である「オブ・アラップ・アンドパートナーズ」でした。
 安易に妥協することなく当初のデザインを守り抜くことを決意した彼らは、数年間の悪戦苦闘の後、「球面ジオメトリー」を導入することで複雑な曲面からなる屋根を、見事明快な幾何学的システムとして成立させます。
 屋根を校正するあらゆる曲面の部分を、一つの大きさの球から取り出すことで、建築部材の規格化に成功したのです。



 ウッツオンの案は、一次選考ですでに落選案として処理されていたのを、審査員の一人であったエーロ・サーリネンが後から拾い出し、強く推した結果採用されたものだといいます。
 サーリネンは当時、建築の技術に重きをおく構造表現主義を代表する建築家の一人でした。

 着工から1973年のオープニングに辿り着くまでの14年間、その完成のために費やされたエネルギーは膨大なものです。
 工費は実に当時の金額で400億円にも及び、財源の一部は宝クジで賄われたといいます。
 インターナショナル・スタイルが世界を席巻し、建築が大地から切り離された存在となっていた当時、ウッツオがのオペラハウスによってつくろうとしていたのは文字通り<そこにしかできない場>としての建築であり、彼はオペラハウスによって、建築が単に人々の活動を受け入れる器であることを超えて、都市のイメージを変えるほどの力を持ち得るのだということを我々に示してくれました。
 シドニーの、シドニー港という場所だったからこそ、その美しいオペラハウスが'生まれたのであり、またその実現のために多くの人々が心を尽くしたのです。



<略>



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 「球面ジオメトリー」なるものがよくわからないので検索してみたが、お手軽に説明しているものはなかった。
 wikipedia にもなかった。




 【習文:目次】 



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