2010年2月18日木曜日

: つくりながら考える=ワッツタワー

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● 2007/05[2002/04]



 ワッツタワー(ロスアンジェルス)は今から半世紀近く前に、建設作業員であったサイモン・ロデイアの手によって1921年から1954年まで、実に33年間もの歳月をかけてつくられた<無用の>塔です。
 彼は、自宅と仕事場の日々の往復の過程で拾った路上の廃物(例えば鉄、金網、石やレンガや小さいガラスの破片といったもの)を材料として、自分の手の届くところから少しずつ建設に取り組んでいき、絶えず変更を加えながら、ひたすらこの塔をつくり続けました。
 変更といっても、そもそもはじめから計画があったわけでもなく、彼自身最終的にどのようなものができるか分かっていなかったというのですから、まさにこれはつくりあがら考えられた建造物です。



 何ら機能を持たず、もちろん建築の許可など得ているわけではない。
 建築には普通限られた予算があり、時間の制限があり、求められる機能があり、何よりつくるべき何らかの目的があるものですが、この建物にはそれら全てがない。
 ワッツタワーは、社会に現れる建造物としては、実に異様な状況でつくられたものなのです。

 ほぼ現在の姿が出来上がった1954年に、ロデイは突然、つくるのをやめて姿をけしました。
 サンフランシスコの片田舎で発見されたロデイは、何故あのようなものをつくったのかと問われても、何もしゃべらなかったといいます。
 思うに、オデイアにとって、この建物をつくることは、生きることと同義だったのではないでしょうか。
 自己の存在証明だったといっても良いかもしれません。
 ロデイアにとって、意味を持っていたのは塔をつくるという、プロセスそれ自体だったのであり、行為が終わった後の虚無感から逃れるために、次の創造の対象を求めるために、旅立ったのではないかと思うのです。

 現代社会の発展とは、個人の叫び、個性というものを、分散させて、切り捨てて、全体性を保持することで成立してきたものでした。
 高度に管理された社会の中で、個人が思いを貫いて建築をつくっていくには、大変な勇気と、労力が必要とされます。
 だからこそ、ロデイアは、働いて資金を稼ぎながら、たった一人で、この塔をつくりあげたのです。
 誰の手も経ずに、ロデイア一人の手によってつくられたことで、ワッツタワーは、部分がそれぞれ激しく主張しながらも、辛うじて一つの表現として全体性が保たれています。
 ロデイアがワッツタワーにおいて勝ち取った自由、そこにある圧倒的にまでの「つくる」という意志は、つくることがこれほどに自由で有り得るのだということを、制約でがんじがらめになった現代社会に対し、訴えているかのようです。







 【習文:目次】 



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