2010年2月18日木曜日

: 都市

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● 2007/05[2002/04]



 コルビジェら近代の建築家による都市提案は、その後の世界中の都市建設の指針として多大な影響を与えました。
 しかしそれらは、抽象的な、図式的に過ぎるものであったがゆえ、それ自体ほとんど現実とは相容れないまま建築家の夢想として終りを迎えることになります。
 コルビジェにしても、建築はさておき、都市に関する提案については、連戦連敗でした。
 その中で唯一実現した例として、戦後のインドのチャンデイガール都市計画がありますが、これもコルビジェの抱いた理念とインドの現実との、その余りの落差によって、結果インドの人々には否定的に受け取られています。

 他にも近代都市計画の実現例として、ブラジルの新首都ブラジリアや、オーストラリアのシドニーの近くにつくられた新都市キャンベラなどがあります。
 これらも機能主義に基づく理想的な都市としてつくられはしたものの、その都市空間の画一性、それによる疎外感などから現在では批判の対象になっています。

 何故上手くいかなかったのか。
 それは、都市が都市であるために必要な固有の論理というものを、それらの計画が考慮しなかったからです。
 それは共同体としての都市を営む住民自身の手によって長い時間の中で育まれるものであり、決して一人の計画者の手によって与えられるものではないのです。
 近代に提出された都市計画概念は、社会をより良いものにしようとする理想を語ったものでした。
 一方では「全てを思い通りに計画できる」という、独善的な態度があったのも否めません。

 1960年以降になると、このような近代主義的都市計画に反発するかたちで、都市計画に生活者の論理を組み込んでいこうという提案が提出されるようになります。
 なかでもとりわけ有名なのが、クリストファー・アレグザンダーの1965年の論文「都市はツリーではない」です。
 この中でアレグザンダーは「ツリー」と「セミラテイス」という2つのモデルを用い、明快かつ論理的に近代主義的都市計画の限界を指摘しました。
 近代主義の都市計画が単純な思考形態(ツリー構造)に従ってできているのに対し、現実の都市はもっと複雑な在り方(セミラテイス構造)を呈している、都市計画もまたセミラテイス構造をとるべきだ、というのが彼の主たる論旨です。



 確かに都市の魅力とは単純な機能分化の崩れた、計画概念では生み出しえない部分にこそ存するものです。
 計画論理の整合性のみで人間を満足させることはできません。
 このような視点で都市の在り方を考えたとき、再び陰影の深いパリの都市空間が浮かび上がってきます。






 【習文:目次】 



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