2010年8月25日水曜日

: 「食」とは健康のためではない

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● 2008/04



 アメリカに在住する日本人の食行動について研究している。
 日本で進行しつつある食文化のアメリカ化が、アメリカに在住している人たちでは、より顕著に示されているのではないかと考えられるからだ。
 その結果、分かったことに一つは、日本人でもアメリカに長く生活すればするほど、
 「ご飯を主食とする考え方
が薄れていくことだ。
 コマが回るためには炭水化物をしっかり摂ることが重要なのだが、穀物摂取を支えている「主食」という考え方が薄れているのだ。
 実は、、食事バランスガイド(「食事バランスガイド」はアメリカの食事ガイドピラミッドを参考にして作られたものだ。
 日本版の「コマの形」よりも、アメリカの「ピラミッドの形」のほうが、土台が炭水化物であることを示して分かりやすく、全体を支える土台をしっかりさせる食事が必要であることは共通している。
 だが、その土台となる「主食」という枠組みが崩れているのだ。

 アメリカではもともと、主食という概念が薄い。
 アメリカに長い間住んでいる日本人の方々の食事を見ると、私の感覚では、おかずだけ食べているように見える。
 「穀物はなくても、サラダがあるからそれでよい」
という人もいる。
 「ポテトも少しは入っているし」というわけである。
 アメリカで長く暮らしている人ほど、食べ物を「健康」のために重要なものと考えるようになっている。
 これは非常に不思議な感じがする。
 つまり、「食べものを健康という観点から考えている」こと自体が、アメリカ文化の影響なのだということである。

 こうした現象は日本では、若い世代で起こりつつある。
 日本人の主食である米の消費量が減少しつつあるのだ。
 人間の行動は考え方に影響される。
 日本人が「長寿を維持」していくということを目指すなら、主食という考え方を維持することは、食育の大きな目標になる。
 日本に住む日本人は、アメリカ人ほど食を健康のためだとは思っていない。
 フランス人は、日本人よりもさらに「食べものを健康のため」とは考えていない。
 アメリカではありふれている脱脂食品がフランスには少ない。
 フランス人はアメリカ人のように、健康のために脂肪分の少ない、低エネルギーの食品を食べたいとは思わないのだ。
 フランス人のとって食べものとはなんのためのものか。
 当然、「人生の楽しみ」のためのものなのである。
 アメリカで長く暮らす日本人は、「おいしいもの」とは「健康によくない」と答える傾向にある。
 これは、食べものが人生の楽しみと考えることと、ちょうど逆の考え方だ。

 食べることから「楽しみ」が消えれば、それは自動車にガソリンを入れる作業とかわらなくなる。
 実際、現在では食べものとカラダの関係は、ガソリンと自動車の関係とぴったりおなじだと考えている若者が少なくない。
 そのため、空腹でもないのにたくさん食べる、ということになる。
 これはアメリカ人の食行動である。
 食べものは健康のためと考えるアメリカ人が陥っている落とし穴である。
 食を通じて健康になりたいなら、選択すべきは「健康のためではなく、楽しみのために」食を大切にする、という考えをもつことである。
 「食」とは健康のための道具ではないのである。







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