2010年12月15日水曜日

: ジャンピング遺伝子とワイスマンの壁

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● 2007/08



 植物は大きなストレスを受けると、DNAの特定の塩基配列をごっそりある場所から別の場所に移動させたり、ときには活動中の遺伝子の中に挿入させたりすることがわかった。
 これらの遺伝子は自分たちを別の遺伝子内に切り貼りしていくとき、周囲の遺伝子に影響を与えることになる。
 つまりDNAの配列をを変えながら、遺伝子を活性化させたり、あるいは休眠させたりしている。
 このように動き回る遺伝子はでたらめに行動しているわけではなく、規則性をもっている。
 まず、遺伝子はゲノムのある部分に集中して移動し、他の部分には向かわない。
 つぎに、こうした大胆な変異は外部からの影響が引き金になるようにみえた。
 外部からの影響とは、干魃や気温上昇などトウモロコシの生存を脅かす環境変化だ。
 簡単にまとめると、でたらめに変異したり、ごくたまに変異したりするのではなく、目的と目標をもって変異しているようなのである。
 この発見はバーバラ・マクリントックによってなされたが、この「転移遺伝子群」は「ジャンピング遺伝子」と呼ばれ、われわれの認識を刷新した。

 このジャンピング遺伝子の発見は、でたらめでめったに起きない微小な変異という思い込みから、もっと力強い変異の可能性に通じる扉を開いた。
 このことは、進化というものが、それまで考えられていたよりもずっと速く、勢い良く起こる可能性をも示している。
 科学者たちはジャンピング遺伝子---正式名は「トランスポゾン」---がどうはたらくのか、やっと理解し始めたところだ。
 たとえば、トランスポゾンは、自分自身のコピーを作り、それをゲノムの別の場所に差し込んで貼り付ける。
 もとの場所には元の遺伝子を残したままで。
 これは「コピー&ペースト」だ。
 あるいは「カット&ペースト」もする。
 もといた場所をカラにして、別の場所に移動するのだ。
 新しくやってきたジャンピング遺伝子は居座ってしまうこともあれば、それが「校正」システムではじき飛ばされることもあり、別の違った方法で削除されることもある。

 はっきりしていることは、トランスポゾンの遺伝子群は自分自身を他の場所に移すとき、「活性状態」で入っていくことだ。
 これにより、その場所から新しい指示が出て、形質に確実に変化がもたらされることになる。

 次なる最大の疑問は、なぜトランスポゾンがいきなり転移するかだ。
 マクリントックは、細胞レベルでは対応しきれない圧力が内部あるいは外部からかかったとき、遺伝子レベルで対応するのがこの転移なのだと信じている。
 生存と種保存が危機にさらされたときにふられるサイコロのようなものだ。
 とすると、サイコロの目がどう出るかは、誰もわからない。
 いい目が出れば、つまり有利な変異ができれば生き延びられる。
 悪い目が出れば消えていくしかない。
 サイコロと同じくいい目を期待して遺伝子レベルで転移するのだろう、とマリントックは結論づけた。
 気温が高すぎるたり、水が少なすぎたりといった状況が引き金になって、トウモロコシは生存を確実にする変異を探すために「賭けに出る」のだと。
 ともかく、変異をこしさえすれば、その後は校正システムが調整してくれる。
 さらに自然淘汰が適応する変異を子孫に残し、適応しない変異を断絶させる。
 そう、これが進化だ!
 マリントックは、ジャンピング遺伝子がストレス時にジャンプしがちなことだけでなく、ある特定の遺伝子のところにジャンプしがちなことにも気がついた。
 とすると、これは意図的な転移となる。
 行き当たりばったりでジャンプしているのなら、着地点はゲノム全体に広がるはずだ。
 どうやらゲノムは、ジャンプする遺伝子を変異させたい場所に誘導しているらしい。
 つまり、少しでも特定の目が出やすくなるようにサイコロに細工しているのではないかと彼女は考えた。
 現在では、科学者たちはマクリントックのゲノムに対する見方を引き継いでいて、変異や進化はめったに起きないでたらめなエラーによる偶然の結果だ、という見方からは離れている。

 そう、ゲノムは部屋の模様替えが好きらしいのだ!

 人間の遺伝子に入る前に、いくつか確認しておきたいことがある。
 まずは、「ワイスマンの壁」と呼ばれて広く親しまれている遺伝子原則についてだ。
 アウグスト・ワイスマンは19世紀の生物学者で、生殖質という理論を打ち立てた。
 この理論は、細胞を生殖細胞と体細胞の2種類に分けるというものだ。
 生殖細胞には子どもに伝える情報が入っている。
 卵子と精子は究極の生殖細胞である。
 それ以外のすべての細胞、たとえば赤血球、白血球、皮膚、髪の毛の細胞などは体細胞になる。

 「ワイスマンの壁」とは生殖細胞と体細胞を分ける壁のことで、体細胞の情報はこの壁を越えて生殖細胞に行くということは絶対にありえない、という意味である。
 これにより体細胞側で起きた変異は生殖細胞側には伝わらないため、子どもには遺伝しないことになる。
 もちろん、生殖細胞で起きた変異は子孫の体細胞に引き継がれる。
 じつは最近、この壁が必ずしも通過不可能ではないことを指し占める証拠が出てきている。
 それがある種のレトロウイルスだ。
 レトロウイルスの一部はワイスマンの壁を突き抜けて、体細胞のDNAを生殖細胞に伝えることができるらしい。
 もしそうなら、後天的に獲得した形質が子孫に伝わるという考え方のドアが、理論上開いたことになってくる。

 進化というと、ふつう生殖細胞での変異を考える。
 卵子か精子の遺伝子の一部が、いままでとは異なった形質を子どもに伝える遺伝子に変わってしまうという変異だ。
 そして、子どもに出た新しい形質が生存と種保存に有利であれば、それは子孫の世代にどんどん伝えられ集団全体に広がる。
 新しい形質が生存と種保存に不利であれば、とうからず消えていく。

 変異は生殖細胞以外では日常的に起きていることなのだ。
 一番身近な、そして恐ろしい変異は癌だ。
 癌は、本来なら癌細胞の増殖を抑えるはずの遺伝子が変異したため、癌細胞が野放しに増えてしむ病気だ。
 癌の一部は少なくとも遺伝性だ。
 その変異遺伝子は子孫に伝わる。
 遺伝性でない癌は、喫煙や放射能汚染などの外部要因が引き金になる。

  変異とは、定義上、単に「変わる」ことを意味するだけである。
 ジャンピング遺伝子による変異は、人間が人間であるために不可欠な2つのの重要な機能を支えているらしいことが分かってきた。
 一つは脳であり、もう一つは免疫である。

 ジャンピング遺伝子は、脳発生の初期段階で爆発的に活性化する。
 脳のあちこちに遺伝物質を挿入し引っ掻き回すのだが、その混乱状態こそが脳発生の一過程でもある。
 この遺伝子ジャンプ・パーテイには重要な目的があるらしい。
 脳を一人ひとりの独特な脳に作り変える、つまり多様な個性を産み出そうとしているようなのだ。
 発生段階での遺伝子コピー&ペースト競争は、脳の中でしか起こらないのである。

 多様性を歓迎するシステムは脳神経系のほかにもう一つある。
 免疫系である。
 免疫系は歴史上もっとも「柔軟な労働力」を求めてきた。
 外からやってくる膨大な種類の有害微生物やウイルスと戦うために、人間の免疫系は無数の抗体---外敵一つひとつに対応するタンパク質---を作らねばならない。
 こうしたタンパク質を作りだすメカニズムはまだ完全に解明されていない。

 体は、特定の外的に対する抗体を一度作れば、その抗体をずっと持ち続ける。
 同じ外的に再度侵入されても2度目からは戦いが有利になる。
 「はしか」のように一度かかったら一生かからない免疫力を獲得することもある。
 B細胞で起こした変異は生きている限り有効だが、それを子どもに受け継がせることはできない。
 B細胞はワイスマンの壁の体細胞側にいるのだから。
 生まれたばかりの子どもにはわずかしか抗体がないので免疫系はフル回転で創業する。
 母乳育児がいいとされる理由の一つは、赤ん坊の免疫系の準備が整うまでのあいだ、母乳に含まれている抗体が一時的な予防接種のような作用をして感染を防いでくれるからだ。
 だが、転移可能な遺伝物質、つまりジャンピング遺伝子が生命維持と進化に具体的にどう貢献しているかはまだわからない。
 その謎を得入り口にやっと立ったばかりなのだ。
 人間の遺伝子のうち、実際に指示を出している遺伝子の1/4は、ジャンピング遺伝子からのDNAが組み込まれいる形跡があるのだ。

 ジャンピング遺伝子は、プログラム実行中に変更処理をどんどん咥えていく「オン・ザ・フライ方式」の遺伝子組み換えを、自然にやっているようなものだとかんがえられるようになってきた。
 その仕組が理解できるようになれば、人間の免疫系が病気をどう防いでいるのかや、人間の遺伝子構造が環境ストレスにどう対応するのかとかなど、もっと多くのことが解明されるであろう。
 そうなれば、その知識を病気の予防に応用したり、弱った免疫系を回復させたり、有害な変異を遺伝子レベルで修復したりといった、まったく新しい医療の未来が開けるかもしれない。








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: 突然変異は偶然ではない

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● 2007/08



 人間はみな、たった一つの細胞から生まれる。
 その細胞は「接合子」とよばれる。
 父親からきた精子と母親からきた卵子の細胞が合体した、命のはじまりの細胞だ。
 何万年ものあいだに経験してきた進化の圧力、反応、適応、選択のすべてがこの細胞に詰まっている。
 人体を隅々まで形作るタンパク質を製造するための遺伝子の指示がすべて、この細胞に入っている。
 その指示はおよそ「30憶」の「DNA塩基対」の上に記憶されているが、遺伝子の総数は3万個もないといわれている。
 それらが「23対」の染色体、つまり「46本」の染色体に入っている。
 23対の染色体の片方は母親から、もう片方は父親からきたものだ。
 23番目の「性染色体」以外は、指示する対象の同じものどうしが対になっている。
 ただし、体のどの部分にどんなことをさせるかの指示はが「どう出るか」はその組み合わせによって決まる。
 たとえば、あなたの指に毛が生えるか生えないかの指示について考えてみよう。
 父親からきた染色体には「毛を生やさない」指示が、母親からきた染色体には「毛を生やす」指示があったとする。
 この場合、あなたの指には毛が生える。
 指に毛を生やす形質は「優性(1)」で、毛を生やさない形質は「劣性(0)」なので、毛を生やす遺伝子が一つあるだけでその形質は出現する(1+0=1)。
 指に毛が生えないためには、毛を生やさない遺伝子が二つ揃わなければならない(0+0=0)。

 あなたの体の細胞は同じDNA---あらゆるタンパク質、あらゆる種類の細胞を作るための指示がすべて入った染色体セット---を含んでいる。
 だが、例外が一つある。
 それは子孫を作り出すための「生殖細胞」だ。
 生殖細胞である精子と卵子は各々23本の染色体しか含んでいない。
 精子と卵子が合体して、接合子になってはじめて、46本の完全な染色体セットをもつ細胞になる。
 この瞬間から、その後に細胞分裂してできる細胞のすべてが共通の設計図を持つことになる。
 皮膚細胞から血液細胞まで、あなたの体にあるすべての細胞の作り方を知っているのである。

 人間の細胞のほとんどすべてには「ミトコンドリア」という、細胞を働かせるためのエネルギーを作りだす発電所のような場所がある。
 現在では科学者の大半が、ミトコンドリアはもともとは独立した細菌だったのが、長い間寄生しているうちに宿主の役に立つように進化したものだと信じている。
 この「もと細胞」は、人間のほとんどすべての細胞の中で生きていると同時に、それ自身で遺伝させることのできるDNAをもっている。
 このDNAを「ミトコンドリアDNA(mtDNA)」という。
 人間がともに暮らすことにした有機体は、この「もと細菌」だけではない。
 人間のDNAのおよそ1/3は、「もとウイルス」だと科学者たちは信じている。
 つまり、人間の進化とはウイルスや細菌に適応するように形作られたというより、ウイルスや細菌を組み込むように形作られてきた、というのだ。

 科学界ではつい最近まで、遺伝子変異は「ごくたまに、でたらめに起こる間違い」、つまりエラーによる偶然の産物だとだれもが信じていた。
 ここで、変異がどう起こるかの説明をしておこう。
 細胞が作られるとき、DNAは「母細胞」から「娘細胞」にコピーされる。
 この作業でふつうは同一の複製ができあがるが、なにせDNA量は膨大なため、ときにはどこかでエラーが起こる。
 このエラーを防止するために、複製過程では「校正」作業が加えられる。
 この校正でエラーを見逃す確率の低さは驚異的で、10憶回のコピーで1カ所ほどのエラーしか残さない。
 しかし、エラーが見逃されたDNA配列の新しい組み合わせは、たとえそのエラーがどれほどわずかであっても、変異となる。

 変異は放射線や強力な科学物質(タバコの煙など)にさらされたときにも起こる。
 この場合でもDNA配列が変わってしまう。
 太陽光線でも変異を引き起こす。
 太陽の黒点活動が最大になるときは混乱を引き起こす。
 インフルエンザの大流行はインフルエンザウイルスのDNAに「抗原連続変異」が起こることが原因だと考えられている。
 簡単にいうと突然変異だ。
 重大な抗原連続変異が生じたとき、人間の体はその新種の外来者になじみがなく、抗体も用意していない。
 では、その抗原連続変異を引き起こしているものは何か?
 変異は放射線の照射で起こる。
 そして、太陽から出ている放射線は11年ごとに太々になっている。
 だとすれば------。

 生き物の生殖過程で変異が起こると、これは「進化」につながる可能性がある。
 たいていの突然変異はその生き物に害をもたらすか、あるいは何の影響もおよばさない。
 ところがごくたまに、何らかの突然変異がその生き物の種にとって有利な点がが現れ、生存と種保存の確率が高まることがある。
 自然淘汰の流れから、有利な変異をもっている個体が世代ごとに子孫を増やし、やがてはその種全体に広まる。
 その種は「進化」したことになる。
 有利な変異が起きるかどうかはあくまで偶然による。

 ここまでの話だと、あらゆる生き物のゲノムは自分たちの生存と種保存がおびやかされるような環境変化に遭遇しても、遺伝子レベルでは意図的に対処できないということになる。
 すべては運のおかげになってしまう。
 「自然淘汰は環境の影響を受けるが、変異が環境の影響を受けることは絶対にない。変異は偶然の産物で、自然淘汰はその偶然が有利に働いたときのみに、それを助ける」
というのが科学者たちの考えだった。
 ところがこの考えの問題点は、進化が進化圧力と切り離されて考えられていることだ。
 これでは、環境変化に対応するために進化する、子孫を増やすために進化する、という必要性が進化に直結しないことになる。
 進化の圧力を受けない唯一の部分は、進化そのものだということになる。

 この偶然変異だけが適応につながるという理論は、最近完成したヒトゲノム解析プロジェクトによっても綻びが出てきた。
 遺伝学者たちは当初、遺伝子はそれぞれ一個づつの単一の目的をもっていると信じていた。
 眼の色を決める遺伝子はこれ、耳たぶが垂れる遺伝子はこれ、というように。
 この理論でいくと、遺伝子は少なくとも10万個存在しなければならなくなる。
 しかし、ゲノム地図ができてみると、遺伝子の総数は25,000個しかなかった。
 遺伝子はそれぞれ独立した仕事をしているわけではないということが突然わかったのだ。
 ひとつの遺伝子がひとつの仕事しかしていなかったら、人間の生命維持に必要なタンパク質のすべてはとうてい作り出せないのだ。

 「人間のゲノムは可変である」
という考えかたが入ってきたために、「遺伝子とは何か」という根本的定義がいきなり曖昧になった。
 ある生き物の特定の機能を司どっている特定の遺伝子を人為的に取り除くという遺伝子工学的手法を「ノックアウト」という。
 ところが、ノックアウトした遺伝子の機能が従前どおり働いていて、ノックアウトした影響がどこにも見られないというケースを、科学者たちは数多く目にしてきた。
 それは、他の遺伝子が必要に応じてノックアウトされた遺伝子の仕事を肩代わりしていたからだ。
 そこから科学者たちは遺伝子を、個々の指示が集められたものではなく、何か変化が起これば、それに組織的に対応する複雑な情報ネットワークとしてとらえるようになった。

 とすると、ある生き物から特定の遺伝子を取り除いても何の影響もないのだとしたら、そんなわずかな遺伝子配列の変更ぐらいで、新種への進化が起こるだろうか?。
 起こるはずがない。








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★ 『迷惑な進化 病気の遺伝子はどこから来たのか』


● 2007/08



 進化とは
 
 進化とは本来、「自身の生存」と「種の保存」に役立つ遺伝形質を好み、健康を脅かす(とくに生食可能な年齢に達するまでの健康を脅かす)遺伝子形質を嫌うものだ。
 生存と種の保存に有利なものだけが残ることを、「自然淘汰」という
 その基本はこうだ。
 ある生き物が生き残れそうもない弱点を持つ遺伝子、あるいは子孫を残せそうもない弱点をもつ遺伝子は、次の世代に受け継がれにくい。
 たとえ受け継がれても何代かのうちに途絶える。
 なぜならそうした遺伝子を持つ個体は、生き延びる可能性も子孫を残す可能性も少ないからだ。
 一方、その生き物をより強くするような遺伝子、より繁殖力を高めるような遺伝子は子孫に受け継がれやすい。
 生存と種の保存に有利な遺伝子であればあるほど、その種全体が保持する多様な遺伝子の総体、いわゆる「遺伝子プール」に急速にたまっていく。
 
 遺伝性の病気が進化の法則に一致しないのは一目瞭然である。
 では、人間を弱らせるような遺伝子が、なぜ何千年も人類の遺伝子プールに留まっているのだろうか?
 祖先の暮らしてきた環境が、今のわれわれの遺伝子にどんな影響を与えてきたのだろうか。
 われわれはどうやってここまできたのか、どんな生き物と共存してきたのか、その生き物たちはどうやってここまできたのか。
 われわれにとって好ましい方向に進むためには、何をどうコントロールすればいいのか。

 さて、まず皆さんがいだいているこもしれない先入観を正しておこう。

まず第一に。
 あなたは単独で存在しているわけではない、ということだ。
 あなたの体内に存在している生き物がいる
 消化器系には何兆という最近が棲んでいる。
 それが、口から取り入れた食べものを分解する手助けをしてくれている。

二番目に覚えておきたいこと。
 進化とはその種のみで起こるのではない、ということだ。
 この世界は無数の生き物の集合体で成り立っている。
 アメーバから人間に至るまで、すべて生存と種保存を至上命令として生きている。
 進化とは、それらすべての生き物が生存と種保存の確率を高めるために起こす「前進」なのだ
 それゆえ、ある生き物にとっての生存が、別の生き物にとっての死になることもある。
 ある種が進化するということは、その他多くの種に進化を促す圧力となってくる。
 実際、多くの種がその圧力にさらされることで進化している。
 とするとまた、その影響を受ける別の種が進化する----というわけである。
 つまり、この世界のあらゆるものがあらゆるものの進化に影響を及ぼしているということである。
 人間は最近やウイルスや寄生虫のせいで病気になる。
 だが最近やウイルスや寄生虫は、人間をそれらと共生していけるように進化させてきた。
 一方で、最近やウイルスや寄生虫も進化してきたし、現にいまも進化し続けている。
 環境要因も人間を進化させてきた。
 ダンスを踊っているようなものだ、全地球的な進化のダンスを。

三番目。
 突然変異は悪いことのように思われがちだが、そうではない。
 突然変異とは、単純に「変化」を意味する。
 変化した結果が悪ければ生き残らないし、よければ進化につながるだけ。
 これが「自然淘汰システム」だ。
 その生き物の生存と種保存に役立つような遺伝子の突然変異が起これば、その遺伝子は遺伝子プール全体に広まる。
 生存と種保存を脅かすような突然変異なら消え去るのみ。
 ちなみにここでいう「よい」か「悪い」かは、どちらの視点に立つかで変わる。
 抗生物質耐性菌の出現は、人間にとっては「悪い」突然変異だが、細菌にとっては「よい」突然変異となる。

最後に。
 DNAは運命ではなく単なる「歴史」である。
 あなたの遺伝子があなたの人生を決めるのではない。
 もちろんある程度は形作る。
 が、それ以上に親の養育方法や環境、あなた自身の選択が大きな要素をしめている。
 あなたの体にあるDNA情報は、あなた以前の祖先がたどってきた遺産にすぎない。
 あなたの遺伝子コードのどこかに、祖先が切り抜けてきた苦難に適応するために起こしたあらゆる突然変異、あらゆる変化が記憶されているのだ。





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2010年12月5日日曜日

: インド、手のつけようのないほどの落伍者

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● 2007/05[2003/11]



 インドは「暴力と政治の不安定」さが特徴の国である。
 国としての存続は、さまざまな少数民族による分離運動だけでなく、多数を占める民族内の暴力的なヒンズー過激派によって脅かされている。
 1947年以来、残虐行為が生活の一部といっていいほど日常化してしまっている。
 独立以後、パキスタンにいたヒンズー教徒とインドにいたイスラム教徒が、それぞれの国の多数はによって何十万人も殺され、少なくとも1,200万人の難民がどちらかの側へと避難した。

 過去30年年間、インドは近隣諸国に対して非常に攻撃的だった。
 中国、パキスタン、バングラデシュと戦争をし、スリランカとは代理戦争を行った。
 インド人たちはインド洋のいくつかの島じぇ進軍し、占領してしまった。
 独立以来、どの隣国とも安定した関係を築いたことがない。
 さらには、自分自身ともうまくやっていけるという証明ができていない。
 国の半分は、残りの半分が実際なにをやっているのか全く判っていないのだ。
 カルカッタの人たちはマドラスの人たちとはまったく関係がない。
 議会では、ベンガル出身の大臣は、パンジャブ出身の大臣とは無関係であり、そのパンジャブ出身の大臣とは何も共有するものがなく、その南部出身の大臣は北部の大臣とはぜんぜん関わりがない、といった具合である。
 この国は手のつけようもないほどの役人根性、性差別、保護主義の典型である。

 「われわれはインド人だから他の誰よりも賢い」
と言うのが今の論調だ。
 ITブームが彼らにそう思わせたのだ。
 ITの生みの親を自負しているくせに、インドでは全国で使える携帯電話さえない。
 ほとんどどの街でも、都市ごとに携帯電話を買い直さなければならなかった。
 中国では携帯電話は国の何処へ行っても使える。
 1980年代までインドは中国より豊かだったので、インド人は中国人を非常に疎ましく思っており、彼らに嫉妬している。
 中国は民主主義ではなく、自分たちインド人は世界最大の民主主義国の国民だと彼らは言う。
 たしかに彼ら「中産階級は2憶人」と巨大である。
 しかし、それは8億人が中産階級に属していないということでもある。
 また、民主主義であることを重視するなら、国としてのインドの劣悪なパフォーマンスが暴かれてしまう。
 彼らは、共産主義国やその他の全体主義国家の政府のような
 落伍者としての言い訳さえできない

 過去20年の間に、中国はインドよりはるかに成長し、インフラ-高速道路、電話回線、携帯電話-も整った。
 インドにはそのいずれもほとんどない。

 私たちは西海岸から東海岸、ムンバイからカルカッタへと走った。
 2つの街はたかだか2,000マイル(3,200キロ)ほどしか離れていない。
 私たちは毎日、一日中、車を走らせたのだが、平均時速30マイル(48キロ)出せればよいほうだった。
 道は舗装されていたが2車線しかなく、トラック、ラクダ、ロバ、すべてが同じ車線を走っていた。
 インドを横断するトラックの運転手は平均時速12マイル(19.2km/h)ほどで走る。
 トラックがその4倍のスピードで国を股にかけて走っている中国と、いったいどうやって競争できるだろう。
 これらはすべて、ジャワハルラル・ネルーとその娘インデイラ・ガンジーの国民会議派が、独立以来実質的にずっと国を支配してきた時代の遺物である。
 役人や政治家、保護を受けた少数のビジネスエリートだけが栄えていた。

 インドにはいくつかの巨大企業があるが、世界市場では競争していけないことははっきりしている。
 この国は農耕面積で世界第2位だが、面積あたりの収穫量は世界平均のわずか「30%」である。
 対照的に中国はさまざまな製品や農産物を輸出しはじめている。
 規模の経済が-国内の保護された市場は10億人規模だ-大いに得られるにもかかわらず、資本や知識の蓄積、そして国境の外で競争するのに必要な品質が確保されていないため、世界で車で走っていても、インド製品を目にすることはあまりない。
 保護主義経済の国すべてと同様、インドには「品質という考え方」は存在しない。
 旧ソビエト連邦も製品を輸出したことはなかった。

 デリー・スクール・オブ・エコノミクスとインド社会研究所の研究によれば、1憶6500万人いる6歳から10歳の子どもののうち小学校を卒業するのは約3,500万人にすぎない。
 インドの大学はエリートとコネを持つ者のための場所なのだ。
 あれほど多くのインド人が外国の大学で学んでいるのは、人口の増加で需要は増えているのに、政府が彼らに学ぶ場所を国内に作ることに、ほとんどお金を使っていないからである。





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: パキスタン、現在の形では生き残れない


● 2007/05[2003/11]



 パキスタンは私が現在の形では生き残らないと考える国の一つである。
 インドとの拭い去りえない不和は別にしても、そう思う。
 パキスタン国内の地域間での違いや、お互いへの敵意が強く、国の存続を危うくするほどである。
 ここは、インド独立に続いて起きたイスラム教徒の大量移住の中で急遽成立した国なのである。
 1947年にパキスタンに移ってきたイスラム教徒は今でも、当時すでにそこにいた人たちとは区別されている。
 彼らの子や孫たちはいまだに「劣等」なのだ。
 階級の別は、旧東ドイツの人たちが差別されている現在のドイツのそれに近い。
 英国のひどい官僚によってでっちあげられたこの国は、もはや芯がもたなくなっている。
 パンジャブ地方の農家はパルチスタンの部族民とは何も共有するものがない。
 最北西部の住人は何世紀も前になんかしてきたコーカサスの末裔である。
 今でも目の青い人が多い。
 第二次世界大戦後に組み合わされたさまざまな場所にはほとんど共通する要素がない。
 この国は不安定である(核兵器を持っているから、特に危険だ)。
 そのうち数カ国に分かれるだろう。

 インダス川流域の人々は数千年前に、今日私たちが使っている数の体形を作り出した。
 私たちはその数字を「アラビア数字」と呼ぶが、征服者であるイスラム教徒は単にこの効率的な体系を採用して世界に広めたにすぎない。
 この文明は数字を発明したにとどまらない。
 ヒマラヤから流れ出る大量の水を管理することにかけても非常に巧みだった。
 今日、この国の中心である農業経済は、5万マイル(8万キロ)に及ぶ運河を管理する、スックル堰として知られたダムと水路交換の精巧なシステムに多く依存している。
 戦略的に重要なため、この工学的に優れた結晶は撮影を許されなかった。
 たとえばアメリカにはこれほどまでに唯一重要なものはみあたらない。
 エジプトにおけるアスワンハイ・ダムと類似しており、これが破壊されれば、実質的に国が破壊されたも同然である。


(注).インダス川はパキスタンの中央を縦断する。
    ちなみに、ガンジス川はインドの三角形の底辺を横断する。





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2010年11月30日火曜日

: モンゴル、デジタル技術の三段跳び

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● 2007/05[2003/11]



 モンゴルはイランやアラスカとほぼ同じ大きさだ。
 260万人の人口はカンザスシテイ程度である。
 国民の1/4は首都ウランバートルに住んでいて、残りの人々が広大な地域に分散していることになる。
 14世紀中頃までモンゴル人がユーラシアの大半、韓国からハンガリーまで支配していて、その100年以上も前にその地域を制服していた、とはなかなか信じられない。
 万里の長城は、騎馬民族モンゴル人の侵略を食い止めるために築かれたものだった。
 モンゴルは日本も侵略しようとしたが、台風に襲われ、船は沈み撤退した。
 以来、日本人は「カミカゼ」という言葉を使うようになった。
 マルコ・ポーロはモンゴル帝国を訪れるためにベニスを旅だったと記している。
 モンゴル人はその冬至、偉大なる騎馬民族として世界を席巻していたが、ある簡単な発明が彼らに多くの力を与えた。
 それはまだ馬が主に荷役のために使われていた時代に、アブミを使うことで、彼らは脚の速い馬を操ることができたのだ。
 そのうち誰もがその新しい技術を手に入れ、その後の変化についていけなくなったモンゴル人は、歴史のかなたへと姿を消す。

 「外モンゴル」は今ではほとんど「停滞」という言葉と同義語になっている。
 僻地、退行、未開拓といったことを想起させる。
 がしかし、モンゴルの首都ウランバートルは、
 おそらく世界最先端の技術都市
であり、高度にデジタル化されている。
 ソ連の崩壊で自由を得たモンゴルは、外国から多くの援助を受けて、
 約3世代分の技術を一気に飛び越したのだ。
 街全体に光ファイバー網が張り巡らされ、ほとんどの電話からウエブに接続できるようになっている。
 ロシアではそんなことは不可能だ。
 なにしろ電話するのも大変だ。
 ロシアでeメールを送るためには、インターネット・プロバイダーを探さなければならないのだ。
 10年間の間に世界がどれほど劇的に変わったかという一例だ。

 デジタル時代の到来が、世界を旅する者にもたらしたもう一つ重要な変化は「お金へのアクセス」である。
 ペイジと私はここまで22カ国を回っていたが、驚きだったもは、通過の問題にはほとんど悩まされなかったことだ。
 前回の旅では国境を超えるとき、入る方と出る方の両方の国で、税関の役人の目から厳禁をかくさなければならなかった。
 新しい千年紀の直前の今、ビザやマスターカード、ダイナーズ・クラブ、アメリカン・エキスプレスはどこでも使えた。

 人口の少ない広大なモンゴル中に電話線を張るのは技術的には悪夢、経済的には狂気の沙汰である。
 そこでこの国は「飛越技術:リープフロッギング・テクノロジー」を使い、直接デジタル通信にしたのだ。
 モンゴルでは誰もが携帯電話を持っている。
 この国の遊牧民は馬に乗って国を横断しながら、携帯電話を操るのだ。
 ほとんどの包(ユルト)に携帯電話がある。

 この技術の三段跳びは何世紀も歴史に衝撃を与えてきた。
 19世紀の初めのアメリカは交易ルートを開くために運河を求めていた。
 運河に恵まれなかった不運な街は直接、最新の鉄道を選んだ。
 すぐに古い運河は消滅した。
 それからインターステート高速道路網が作られ、その影響を無視した古い鉄道の街は姿を消した。
 そして、他の人たちが新しい自動車道を誘致しようとしている間に、高速道路網にとって代わるものは何かを見抜いて、そっちに飛び乗ろうとしている。





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: 日本、哀れにも途方にくれた巨人

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● 2007/05[2003/11]



 釜山からカーフェリーの乗って朝鮮海峡を渡、日本へ向かった。
 この国で5週間近くを過ごす予定。

 日本は素晴らしい観光地であり、それにふさわしい豊かな文化の伝統を持つ。
 同時に、本当に驚くべき近代的インフラの蓄積を誇っている。
 この国の富には、もはや目を見張るどころではない。
 目がくらむほどだ。
 ほとんどどこを見ても、この国の裕福さがわかる。
 そう、日本は古典的な指標である外貨準備で測って、世界で一番裕福な国なのである。
 しかし、この経済大国が長期的問題を抱えていることは、目を凝らして見なおさなくてもわかる。
 
 日本は、
 「哀れにも途方にくれた巨人」
であり、深刻な問題に直面している。
 そして、この深刻な問題は自業自得なのだ。





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