2010年12月24日金曜日

: 外食はやはり危険だ

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● 2007/09



 わたしは、食堂では必要以上に口をきかないようにしている。
 ときどき「大盛りで」を言い忘れることもあるほどだ。
 店の人と口をきいて人間関係ができると落ち着けなくなる。
 自分の家でも、釈明する以外、口をきかないようにしているのもこのためだ。
 だが、口をきかなくても、同じ店になんども行っていると、顔なじみになってしまう。
 毎回違うところでたべれば問題ないが、食堂もわたしの家も無数にあるわけではない。

 以前、毎日のように近所の小さな喫茶店でランチを食べていた。
 その店のランチが、味も代金も美人ウエイトレスもわたしの好みだったのだ。
 ウエイトレスとは親しく口をききたいと思っていたが、きいたことはなかった。
 ある日、妻と一緒にそこへ行った。
 そのウエイトレスが「今日はお二人なんですね」と口を聞いた。
 その言葉に、わたしは凍りついた。
 妻は何も言わなかったが、妻の沈黙より衝撃的なことばといえば、
 「さっき召し上がったハンバーグにヒ素が入っていました」
ぐらいだ。
 テレビドラマなら、至極面白い場面だが、わたしの横にいるのは本物の妻だ。
 そして不運なことにわたしは彼女の夫だ。
 さらに不運なことは、妻は気性が荒い。
 これまでわたしが五体満足で生きてこられたのが不思議なほどなのだ。
 もし妻が穏やかな性格で、その上、他の男の妻で、別の星に住んでいたら、おもしろがっていられただろう。

 最も不運だったのは、妻が昼食は家で食べるのかと聞くたびに、わたしは
 「腹が減っていないから昼食はいらない」
と言って家を出て、5分後には、この店で毎日ランチを食べていたことだ。
 ウエイトレスに罪はない。
 この感じのいいウエイトレスに落ち度があるはずがない。
 問題は妻だ。
 そっとうかがうと、妻はよろこんでいる様子はなかった。
 たぶん妻は、わたしが毎日一人で店のランチを食べていたと考えているだろう。
 
 数秒後、凍りついた空気から無理やり立ち直ったわたしは、妻に
 「いやあ、家を出るときは腹は減っていないのに、この店の前にくると急に腹が減るんだ、ふしぎだよね、空腹になるのはアッという間だね」
と明るく説明したが、妻は沈黙を通し、気まずい空気は消えなかった。
 食べ終わると、幸運にも急な用事を思い出し、丁寧に別れを告げたが、妻はきっと腹いせに、----(夜のカレーライスに***を入れるかもしれない)----。 
 それだけで気がおさまってくれるのを祈った。
 行きつけの店ができるとこういう結果を招くことになるのだ。
 この出来事を経験したのち、わたしは決心した。
 今後、妻とは食事に行かないようにしよう。







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2010年12月22日水曜日

: 何気ない一言

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● 2007/09



 妻の何気ない一言も大きな重みをもっている。
 ふつう、夢中でテレビを見ている哲学者に声をかけるのは、はばかれるものである。
 だが、妻ははばかる様子もなく、わたしがテレビを見ている最中に「ジャムの瓶のフタどこやった?」などと言う。
 テレビに注意を向けたままだと「聞く気がないのね」と言う。
 そこまで分かっているなら、なぜ聞くのか。
 こうなると、売り言葉に買い言葉だ。
 わたしが「聞いているよ、本当だよ」と突っぱねる。
 と、妻が「じゃ、答えてみなさいよ」と挑戦し、フタなど知らないので答えられないため激論となり(「激論」と言う理由は妻の発現が激烈だからだ)、テレビどころではなくなる。
 だから、テレビを見続けようとするなら、どんなにテレビに釘付けになっていても、妻の言葉に注意を怠ってはならない。

 悪いことに、妻はここぞというときに限って話しかけてくる。
 テレビでモスクワの天気予報をしているとき、ふだんモスクワの天気予報にも興味をもたないわたしが興味をもったとたんに、「新聞どこへやったの?」と言う。
 タイミングを見計らってテレビ鑑賞を妨害しているとしか思えない。
 先日、わたしが格闘技の試合を見ていると、妻が「あっ!」と言った。
 「あっ」という言葉は、驚くべきことが起きたことを伝える表現だ。
 もしかして家が燃えているといった重大事とか、妻の歯が折れたといったどうでもいいことかもしれない。
 間違っても「お疲れさま」とか「茶摘みの季節になりました」という言葉が続くとは考えられない。
 「あっ」を無視するとどんな結果が待っているか分かったものでない。
 だが、テレビでは試合がちょうど倒すか倒されるかの、目が離せない場面だ。
 決断を迫られたわたしは、自分の欲求を優先させることを抑え、やむえずテレビから目をそらした。
 そうしないと、果てしない激論を招き、試合全部を見逃すことになる。
 何日も前から楽しみにしていた試合だ。
 絶対に逃せない。

 目を妻に向けると、まんじゅうをほおばっていた。
 そしてこう言った。
 「クルミが入っている!」
 わたしは怒った。
 クルミまんじゅうの中にクルミが入っていたからといって「あっ」と言うな。
 本人は何気なく言ったつもりかもしれないが、わたしには原発爆発警報に等しい重みをもっているのだ。
 突然テレビから歓声が上がり、画面では目を離したすきにノックアウトで決着がついていた。
 貴重な一瞬を見逃してしまったのだ。
 「<あっ>と言うなら、食べられないものが入っていたときにしろ」
と叱ると、妻は
 「じゃあゴキブリが入っていたら<あっ>と言ってもよかったの?」
と反抗的態度で言う。
 その後、格闘技を上回る激しい闘いに発展した。
 が、他人にはわたしが一方的に叱られているように見えたかもしれない。








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: あなたも家なき子だ


● 2007/09



 妻とは長年付き合っているが、驚きは尽きない。
 妻と長年付き合ったということが驚きだ。

 ある休日の午後、柔らかい日差しの我が家の居間で、のんびりテレビを見ながら哲学的試作にふけっていた。
 と、妻が険しい顔をして言った。
 「いつ帰るの?」
 自然な言い方だったので、一瞬、帰ろうとしたほどだ。
 「もしかして、ここはオレの家じゃないのか」
 「----あ、ほんとだ」
 驚きだった。
 妻の無意識の中では、この家は妻の家であって、わたしの家ではないのだ。
 わたしを誰だと思っているのだろうか?。
 わたしがこの家の客人だと思ったら大間違いだ。
 その証拠に、お茶一杯出てこないではないか。

 胸に手を当てると、思い当たるフシもある。
 第一、家を出るとなぜかホッとする。
 「家とはやすらぎの場所だ」
という定義によれば、確かにわたしの家はこの家の外にある。
 わたしは公式には世帯主だが、「公式」とは「実態と違う」という意味だ。
 このことからすると、実際のこの家の世帯主はわたしではない。
 たぶんおそらくきっと、妻が「早く帰れ」と言ったのは、何かの間違いだろうと思う。
 だがフロイトも言ったように、言い間違いは、本音を無意識的に正しく表現しているのだ。
 妻の心のなかでは、わたしは世帯主どころか、同居人ですらないのだ。
 
 考えれば、身を粉にして働いてローンを払い終わり、やっと自分の家になったと思ったら、いつの間にか家は妻の手に渡り、「家なき子」になっていたのだ。
 その後、調査したところでは、ほとんど中年女は、夫を、 
 「立ち退こうとしない借家人」
だと思っていることが判明した。
 それでも家賃を入れている間はまだいい。
 定年になって家賃を入れられなくなると、強制執行をかけて離婚に及ぶのだ。
 だから、男が家を失いたいと思ったら、その一番の近道は結婚することだ。
 わざわざ家を抵当にして返済できないほど借金する必要はない。
 結婚すれば家だけでなく、金も自由も幸福もプライドもきれいさっぱり失うことができるのだ。
 
 自分は違うと考えている男性も多いとは思うが、次のテストをやってもらいたい。
 該当する項目が2つ異常あれば、「あなたは家なき子だ」。

☆ 家で休んでいるときに限って、妻が掃除機をかける。
☆ 休日にテレビを見ていると、妻が突然消す。
☆ 思い当たることがないのに、妻が聞こえるように舌打ちをすることがある。
☆ 妻が2メートル以上近寄ろうとしない。
☆ ハゲてきた。
☆ ハゲてきたのに、妻が気づかない。
☆ 結婚して20年以上たつ。
☆ 「ここをだれの家だと思ってるの」と言われたことがある。
☆ 毎日「出て行ってちょうだい」と言われている。
☆ 以上の一つしか該当しない。

 格言も変える必要がある。
 昔は「女三界に家なし」と言われたものだが、今や前向きに「男は荒野を目指せ」または、
 「男は荒野を目指すしかない」
とすべきである。
 また、
 「家は遠くにありて、思うもの」
を加えるべきだ。







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★ 妻と罰:あきらめる方法:土屋賢二

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● 2007/09



 打つ手のない状況に陥ったとき、打つ手は2つ残っている。
 ひとつはあきらめること、
 もうひとつはあきらめないこと、だ。

 今では、やたら「あきらめるな!」と叫ばれることが多いが、古来、日本人は「いさぎよし」として、あきらめの中に美学を感じとり、あきらめようとしない人間を「あきらめの悪いヤツ」として軽蔑していた(と聞いた)。
 わたし自身、これまで「あきらめの境地」を目指し、多くをあきらめてきた。
 大ピアニストになる、
 詩人になる、
 日記をつける、
 妻の性格を変える、
 豪邸に住む、
など、あきらめたことは数えきれない。

 しかし残念ながら、あきらめ切れないことも多い。
 大富豪になる、
 天使のような女と出会う、
 一人静かに暮らす、
など、あきらめ切れないでいる。
 あまりにもあきらめが悪いので、今ではあきらめの境地に到達することをあきらめている。

 「あきらめる方法」はいくつかあるが、そのうちの一つは「どうせの方法」である。
 われわれはよく、「どうせ---だから」という論法を使ってあきらめている。
 「物事とは最終的にはロクなことにならない、だからあがいたりするのは無意味だ」
という論法だ。
 これにもいろいろな用法がある。
 たとえば、
 「どうせダイエットしても挫折するんだから、食べてしまおう」
 「どうせ合格できないんだから、勉強しても無駄だ」
 「どうせだれもかまってくれないんだから、不良になってやる」 
と、自信をもってあきらめている。
 だが、そこまであきらめがついているなら、そもそもダイエットなどの目標を立てることをあきらめればよさそうなものだ。
 その点、いまいち説得力に欠ける。

 説得力があるのはたとえば、余命一年と宣告された人が、
 「どうせ1年しか生きられないんだ、だから金を貯めても無駄だ」
と思って、いつもの並寿司を上寿司に変えるような場合である。
 ただし、これを拡張して、
 「どうせあと50年も生きられないんだ、節約するのは無意味だ」
と考えて豪遊すると取り返しのつかない結果になるおそれがある。
 また、仮定法を使って、
 「どうせ明日交通事故で死ぬかもしれないんだから、今日のうちにお金を使いきってしまおう」
と考えるのも危ない。

 この「どうせの方法」が不幸を招くこともある。
 まわりの中年夫婦を観察すれば、
 「結婚してもどうせこの夫婦のように悲惨な結果になるだけだ」
と、悟るはずである。
 にもかかわらず愚かにも、
 「どうせ悲惨な結果に終わるなら、いまだけでも幸せになろう」
と考えて結婚し、数十年後、「どうせおれは一生不遇だ」と無理にあきらめをつけつつ老後を過ごす者が後を絶たないのだ。
 人はもっと上手に「あきらめる技術」を身につけるべきだ。

 今、妻が、
 「いい加減、そこにある本を片付けてよ!」
と叫んだ。
 つい先日、
 「どうせいくら言っても片付けないんだから」
と言ったばかりではないか。
 あきらめの悪い女だ。




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2010年12月18日土曜日

2010年12月16日木曜日

: 老化とヘイフリック限界

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● 2007/08



 ハッチンソン-ギルフォード早老症候群という病気がある。
 いわゆるプロゲリアだ。
 プロゲリアは、生まれてくる子どもの400万人~800万人に一人というまれな病気だ。
 その名のとおり早く老けてしまうので、この病気をもっている子どもの運命は残酷だ。
 他の子どもの100倍ものスピードで老化が進む。
 プロゲリアの赤ん坊は一歳半になるころには、皮膚にシワが出て、髪の毛が抜ける。
 やがて動脈硬化などの循環器系の問題や、関節炎などの変性疾患もはじまる。
 患者の大半は、10代のうちに心臓発作や脳卒中で世を去る。
 この病気で30歳まで生き延びたという記録はない。

 2003年、プロゲリアを引き起こす変異遺伝子を特定したという発表があった。
 変異が起きていたのはラミンAというタンパク質を作っている遺伝子だった。
 ラミンAは通常であれば、細胞の核膜を支える足場の役割をする。
 テントを想像してみるといい。
 天幕にあたるのが核膜で、それを支える骨組みがラミンAだ。
 プロゲリアの人はラミンAが欠けているため、細胞が急速に劣化するのだ。
 2006年には別のチームがラミンAと正常な老化の関係を確認した。
 正常な高齢者の細胞にもプロゲリア患者の細胞と同様の欠損があったと報告したのだ。

 これは画期的は発見だった。
 それは、プロゲリアの特徴である加速度的な老化と正常な老化には、遺伝子レベルで共通する要素があることがはじめて確かめられたからだ。
 正常な老化に遺伝子が絡んでいるとわかったことは、大きな意味をもつ。
 これまで科学者たちは、ダーウインが適応と自然淘汰、進化の説を唱えてからというもの、その全体像の中で「老化」はどこにあてはまるのかということに悩んできた。
 老化とは進化の結果なのだろうか? と。
 言葉を換えれば、老化は計画外の付随的なものか、それとも意図的に計画されたものなのか?

 プロゲリアその他の老化加速型の病気を見ているかぎり、老化はあらかじめプログラムされたもの、つまり意図的に計画されたものに思える。
 たったひとつの遺伝子エラーが赤ん坊や思春期の子どもに老化を加速させるなら、老化の道筋は決まっているということになる。
 老化を遺伝子がコントロールしているからこそ、遺伝子エラーでプロゲリアが起こるのだ。
 ということは、もうひとつの疑問に突き当たる。
 人間とは最初から「死に向かう」ようにプログラムされているのだろうか?

 レオナルド・ヘイフリックは現代の老化研究の基礎を築いた人物の一人だ。
 彼は1960年代に、細胞は決まった回数だけ分裂するとじみょうが尽きてしまうことを発見した(例外もあるのだが、それについてはあとで説明する)。
 この細胞分裂回数制限は「ヘイフリック限界」と呼ばれていて、人間の場合は「52回から60回ほど」だ。
 ヘイフリック限界は、染色体の末端を保護するキャップにあたる「テロメア」がすり減っていくことに関係がある。
 細胞は分裂するたびにDNAの破片を少しづつ失う。
 DNA情報を確実に複製するためには、失った破片部分の情報を補わなければならない。
 その情報補充に使われるのがテロメアだ。
 テロメアは細胞分裂のたびに短くなっていくが、そのおかげでDNAの全情報が守られる。
 しかし、細胞が50~60回分裂するとテロメアはなくなり、情報伝達はそこで終了となる。
 つまり、細胞分裂は行われなくなる。
 では、細胞分裂に限界を設けるように進化したのは何のためなのだろう。
 答えを先に言おう。
 「癌だ!」

 すでにご存知のことと思うが、「癌」というのは特定の病気の名前ではない。
 それは、「細胞増殖が軌道を外れて暴走してしまう病気」の総称である。
 実際のところ、癌の中には治療可能なものもあり、その場合は生存率も回復率も心臓発作や脳卒中に比べればずっといい。
 人の体には、癌になることを防ぐための何層もの防御機構がある。
 腫瘍を抑制する役目を負った特別な遺伝子もあれば、癌細胞を探し出してやっつけるタンパク質を作る遺伝子もある。
 癌と闘う遺伝子を修復するための遺伝子まである。
 細胞には「切腹メカニズム(ハラキリメカニズム)」がある。
 これはアポトーシスというプログラムされれた「細胞死」で、ある細胞が感染をウケたり損傷したりしたと気づいたとき、あるいはたの細胞からそれを「指摘」されたとき、その細胞が自殺するメカニズムだ。
 その一番手が、ヘイフリック限界ということになる。

 ヘイフリック限界はあなたを癌から守る。
 細胞がおかしくなってもヘイフリック限界がその増殖を断つことで、それ以上に広がりを防いでくれる。
 決められた回数しか細胞分裂できない、しない、ということは、悪い細胞が無制限に増殖しないということだ。
 そう、そこまでは正しい。
 が問題は、癌細胞とはさらにズル賢いということだ。
 癌はちょっとしたトリックを使ってくる。
 その一つがテロメラーゼという酵素だ。
 テロメラーゼは、染色体の末端にあるテロメアを延長させることができるのだ。
 正常な細胞ではテロメラーゼは眠っており、テロメアはきちんと短くなる。
 しかし癌細胞ではこのテロメラーゼが目覚めていて、テロメアをどんどん補充する。
 これにより細胞に貼られていた「賞味期限」のシールは剥がされ、癌細胞は永遠に増殖し続けることになる。
 「癌になる」というとき、これはたいてい「テロメラーゼが活動」している状態をいう。
 人間の癌性腫瘍細胞の90%以上はテロメラーゼの助けを借りて勢力を伸ばす。
 テロメラーゼがヘイフリック限界を向こうにするからこそ、癌細胞は無制限に増殖して人の体を蝕むことになる

 優秀な癌細胞はプログラムされた細胞死、つまりアポトーシスを回避する道を見つけるのだ。
 癌細胞は、正常な細胞なら何かがおかしくなったときに指示される自殺命令を無視して、永遠に分裂できる「不死細胞」になる。
 科学者たちは現在、テロメラーゼの活動が増大したかどうかを検知する検査方法を確立すべくやっきになっている。
 そうなれば、癌の早期発見は今よりずっと容易になるだろう。

 ヘイフリック限界にはもう一つ例外がある。
 いま世間で注目の細胞、「幹細胞」だ。
 幹細胞は「未分化」の細胞で、いろいろな種類の細胞に分裂することができる。
 細胞分裂というとふつう、抗体を作るB細胞からはB細胞しかできないし、皮膚細胞からは皮膚細胞しかできない。
 ところが幹細胞は分裂するとき別の種類の細胞を作ることができる。
 あらゆる幹細胞の元にあたるのは、精子と卵子が結合した接合子だ。
 この接合子というたった一つの細胞が、体を構成するすべての細胞を作りだす。
 幹細胞は癌細胞と同じようにテロメラーゼを使ってテロメアの長さを一定に保つ。
 幹細胞もまた、ヘイフリック限界の干渉を受けない「不死細胞」なのだ。
 科学者たちが幹細胞に熱い視線を注ぐのは、望む細胞を無限に作り出せるという幹細胞の潜在能力を使えば、病気治療の可能性が大きく広がると信じているからだ。

 細胞分裂に制限回数があるというのは、癌を防ぐ目的で発達したメカニズムだろうと考えられるが、ものごとには必ずプラスとマイナスがある。
 ヘイフリック限界のプラス面が「癌予防」なら、マイナス面は「老化」だ。
 細胞は決められた回数だけ分裂すると、それ以上は分裂せず、置いて死を待つだけになる。

 もちろん、生き物に老化のメカニズムが進化した理由は、癌予防とヘイフリック限界だけでは説明できない。
 何よりも、これだけでは動物の種ごとに寿命の長さが違う理由が説明できない。
 寿命の長さは種によって---たとえごく近い種どうしでも---大きな差がある。
 哺乳類に関しては、一部の例外を除いてほぼサイズと寿命は比例している。
 体が大きいほど長く生きる。
 ここでいう体の大きさとは、個人差や個体差ではない。
 種としての平均的なサイズが大きければ、種としての平均寿命が長いという意味だ。
 大型哺乳動物の寿命が長い理由は、一部には、大きい動物のほうがDNA修復能力が発達しているからだ。
 DNA修復能力がたかければ長生きできるのはわかる。
 ではなぜ、大きい動物の方がその能力が発達しているのだろう。

 まず考えられるのは、寿命の短さと外界の脅威の大きさには直接の因果関係があることだ。
 これは単に、捕食者に食べられた時点で死ぬから寿命が短いという意味ではない。
 捕食者に食べられるリスクの高い動物は、たとえ食べられなくとも最初から長く生きないように設計されているということだ。
 ある種が環境的な脅威にさらされているとき、その種は早く子孫を作る方向に進化の圧力がかかる。
 つまり早く大人になるということだ。
 寿命が短いということは世代交代の時間も短いということで、その種の進化は速くなる。
 進化が早ければ外界の脅威にそれだけ速く適応できるということだ。

 おそらく、老化がプログラムされていることは個人にとって有益なのではなく、種の進化にとって有益なのだろう。
 老化とは「計画された旧式化」の生物版だと言えないだろうか。
 計画された旧式化とは、賞味期限を与えるという概念だ。
 賞味期限を過ぎた、つまり決められた年数を過ぎた古いものは保証しないということだ。
 その生物版である老化もこれにこれに似ている。
 第一に、老化は旧モデルを退け、新モデルのための余地、つまり進化による変化を生み出す余地を作る。
 第二に、老化は寄生生物のどっさりいる旧世代の個体を消して、新世代を守る。
 つまり、老化とは「種のアップグレード戦略」なのだ。







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2010年12月15日水曜日

: 遺伝子スイッチのonとoff

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● 2007/08



 人間に起きる場合を考えてみよう。
 人間も正しいエピジェネテイックな信号をおくりさえすれば、健康で頭のいい赤ん坊を産むことができるのだろうか。
 この分野の研究がもっと進めば、出産後に有害となる遺伝子の発現を抑えたり、眠っている有益な遺伝子を目覚めさせたりするのも夢ではなくなるかもしれない。
 エピジェネテイクスはひょっとすると、人間の健康管理の概念をまったく新しいものに書き換えてしむかもしれないのだ。
 DNAは運命だが、修正可能な運命だ。

 人間のエピジェネテイクス研究で、現在もっとも注目されているのは対峙の発生についてだ。
 受精後の数日間、母親自身はまだ妊娠したとは気づいていない時期が、かって考えられていた以上に重要であることがいまや明白になっている。
 この時期の重要な遺伝子のスイッチが入ったり、きれたりしているのだ。
 また、エピジェネテイクスな信号が送られるのが早ければ早いほど、胎児にその指示が伝わりやすい。
 言ってみれば、母親の子宮は小さな進化実験室なのだ。
 新しい形質はここで、胎児の生存と発育に役立つものかどうか試される。
 役にたたないと分かったら、それ以上は育てず流す。
 実際に、流産した胎児には遺伝的な異常が多く認められている。

 アメリカ人が多く食べているいわゆるジャンクフードは、高カロリー高脂肪ではあるが、栄養分、特に胚の発生時に重要な栄養分はほとんど入っていない。
 妊娠1週間目の妊婦が典型的なジャンクフード中心の食事をしていれば、胚は、これから生まれ出る外の世界は食糧事情が悪いという信号を受け取る。
 このエピジェネテイクスな影響を複合的にうけて、さまざまな遺伝子がスイッチを「on」したり「off」したりする。
 それは、外の世界の少ない食料で生き延びられる体の小さい赤ん坊を作ることになる。

  20年ちかくまえのことだが、イギリスのデイヴィッド・バーカー教授は胎児期の栄養不足と将来肥満になるということの関連性をはじめて提唱した。
 以来、彼の理論はバーカー説または「節約型表現型説」と呼ばれ、あちこちで引用されている。
 ちなみに「表現型」というのは、遺伝子が実際に形態として現れる型のことである。
 もしあなたの両親の一方が平耳(耳タブが垂れ下がっていない)で、もう一方が福耳(耳タブが垂れ下がっている)だと、福耳が優生遺伝子なのであなたは福耳になる。
 あなたの表現型は福耳である。
 ところがエピジェネテイックな影響は遺伝子型を変えずに表現型を変える。
 もし、あなたの福耳遺伝子の発現がメチル化でオフされたら、あなたの表現型は福耳でなくなるかもしれず、平耳になるかもしれない。
 それでもあなたの遺伝子型は福耳のままなので、その遺伝子型はあなたの子どもに聴き継がれる。
 あなただけが、福耳になるスイッチを切られいるという状態になる。

 節約型表現型説によれば、栄養分の乏しい体験をした胎児は「節約型」の代謝を発達させて、胎内にエネルギーを蓄積しやすい体になる。
 節約型の表現型をもった赤ん坊が食料の乏しい1万年前の時代に生まれていれば、節約型の代謝のおかげで生存の確率がたかまったであろう。
 だが、栄養分が乏しいのにカロリーだけは高い食料が豊富な21世紀に生まれてくると、ひたすら太ることになってしまう。
 母親の食習慣が子どもの代謝体質を決めるという通説はエピジェネテイクスで説明できるようになったため、節約型表現型説の説得力はさらに強まった。

 母性遺伝に関しては、あなたの遺伝子型にあなたの祖母が得たメチル化の書き換え情報が加わるチャンスはかなり高いと思われる。
 女児(あなたの母)が生まれるとき、その女児はすでに卵巣の中に一生分の卵子を持っているからだ。
 奇妙に思えるかもしれないが、あなたの染色体の半分を決める卵子は、あなたの母が、あなたの祖母の子宮の中にいる間に作られたものなのだ。
 あなたの祖母が母にエピジェネテイックな信号を伝えたとき、祖母はその同じ信号をいずれあなたのDNAの半分になる卵子に伝えていることは、近頃の研究が指し示している。
 メチル化による改変が世代ごとに消去されないなら、それは結局、進化になる。
 あるいは、親や祖父母が獲得した形質はその子孫にずっと遺伝する、といい換えてもいい。

 これまで紹介してきたメチル化の影響のほとんどは、出生前に起きているものだ。
 だが、エピジェネテイックな変化は生きているあいだじゅう起こる。
 メチル化が起これば遺伝子がオフになり、メチル化がなくなれば遺伝子はオンになる。
 メチル化は、変異と同じくそれ自体いいものでもわるいものでもない。
 どの遺伝子がオンになって、どの遺伝子がオフになるか、そしてその結果がどうか、というだけの話だ。
 
 現在のエピジェネテイクスは、「知れば知るほどわからなる」ような段階かもしれない。
 われわれはまだ、「何がわからないのかさえよくわかっていない」
 ようするに、実際に何が起きているのか、まだ何も分かっていないということだ。

 エピジェネテイック効果や母性効果の不思議について、ニューヨークの世界貿易センターとワシントン近郊で起きた9/11テロ後の数ヶ月について見てみよう。
 このころ、後期流産の件数が跳ね上がった。
 カリフォルニア州で調べた数字によると、この現象を、強いストレスがかかった一部の妊婦は事故管理がおろそかになったからだ、と説明するのは簡単だ。
 がしかし、流産が増えたのは男の胎児ばかりだったというのはどう説明すればいいだろう。
 カリフォルニア州では、2001年の10月と11月に、男児の流産率が25%も増加している。
 母親のエピジェネテイックな構造の、あるいは遺伝子的な構造の何かが、胎内にいるのは男の子だと感じとり、流産を誘発したのではないだろうか。

 逆に、大規模な紛争があると男児の出生率が上がるという研究結果もある。
 第一次世界大戦と第二次世界大戦の直後がそうだった。
 最近ではイギリスで600人の母親を対象にした研究では、自分たちは早死しそうだと予測している人より、健康で長生きすると予測している人ほど男児を多く産んでいた。
 どうやら、妊婦の心の状態がエピジェネテイックは事象または生理学的な事象を引き起こし、それが妊娠状態と男女の出生率を調整しているらしい。
 いい時代には男児を多く。
 つらい時代には女児を多く。
 では、エピジェネテイクスの時代は?






 【習文:目次】 



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