2012年4月18日水曜日

:日本書紀・続日本紀について


● 1987/03/05[1981/04/25]



■権力は歴史を偽造する

 まず第一の謎から解明してゆこう。

 再建法隆寺がはじめて正史に登場するのは、和銅8年(715)である。
 この日本書紀・続日本記を通じての法隆寺に関する沈黙は、果たして偶然であろうか、故意であろうか。
 故意とすれば、何のためか。
 それが第一の謎である。

 この謎は、すでに半ば解かれている。
 私は、山背皇子殺害の事件をめぐる推論において、書紀の性格にふれた。
 『日本書紀』は必ずしも正確なる事件の叙述の書ではない。
 およそいかなる歴史書といえども、単に正確なる叙述の意志のみで作られることはあるまいと私は思う。
 『史記』のように個人によって歴史書が作られる場合ですら、そこに司馬遷の意識的あるいは無意識なる意志が働くことは否定しがたいと思う。
 まして国家の権力者によって歴史書が作られる場合、そこに強力な政治的意志が働く。
 日本書紀が藤原不比等を中心として作られたとすれば、そこに何よりも、藤原氏の意志が強く働いていることは否定できない。
 古事記とともに神話において露骨に藤原氏の利益を代弁している日本書紀が、それ以外のところにおいても、自己に都合のよい歴史解釈をしているのはまず間違いない。

 日本書紀は、山背大兄皇子殺害を蘇我入鹿一人の単独犯にして、入鹿殺害を、そのような犯罪への復讐と思わせようとしている。
 それはまさに因果律の偽造である。
 因果律の偽造によって、藤原氏は仏教勢力を自己の支配下に置こうとする。
 仏教をめぐる一大陰謀の一端を、書紀自らが担いでいるのである。
 つまり藤原氏は、かって仏教の保護者であった蘇我氏にかわって仏教の保護者になろうとしているのである。
 そのためには、自家の祖先の藤原鎌足こそ仏教の保護者聖徳太子の子孫を惨殺した蘇我入鹿を誅伐した人物であり、聖徳太子の遺志を継いだ仏教の保護者であるという印象を与える必要がある。
 聖徳太子の聖化。
 そして「否定の否定の論理」により、藤原氏こそ、まさに太子の遺志を継いだ仏教の保護者であるという印象をあたえようとしたのである。

 まったく奇妙なる弁証法であるが、この弁証法にわれわれは長い間だまされてきた。
 中大兄皇子と鎌足を正義の復讐者のように、何か聖徳太子の味方であり、太子の遺志を受けて入鹿を殺したような錯覚に陥ってしまっていた。
 この錯覚こそ、日本書紀製作の一つの目的ではなかったのか。

 この弁証法はわれわれをあざむいてきたばかりでなく、鎌足の子孫までも呪縛してしまったように思われる。
 それは個々の偽造であったが、その偽造された過去の歴史に、逆に彼らの子孫の未来が規定されることになったのである。
 藤原不比等は、天皇が仏教を利用し、仏教信者であると見せかけることは必要であると考えても、仏教好きになってしまうこと、政治が仏教の中に飲み込まれてしまうことが、いかに危険かということをよく知っていた。
 だが、ここで偽造された弁証法は、ついに真実の歴史の方向になってしまう。
 藤原氏は、自己の偽造された仮面の方向に自己変革をとげ、純粋な仏教信者になってしまった。
 ウソからマコトが生まれ、仮面が真実の顔になった。


■官の遺志の陰にひそむ吏の証言

 「官」と「吏」は違う。
 「官」は、政治家である。
 それゆえ、政治的見地から事実を収拾選択する。
 時に事実を偽造したりする。
 だから、官の記録は信用出来ないことが多い。
 しかし、「吏」は違う。
 吏は、いわば事務屋である。
 事務屋はただ真実を書くことのみが目的である。
 だから吏の記録は信用することができる。

 日本書紀は、第一に官によって書かれたものである。
 官の指導者、藤原不比等の存在は否定しがたい。
 その彼が歴史を偽造する。
 日本書紀を貫いているものは、「偽造への遺志」である。

 しかし、そればかりでは歴史は書けないのである。
 歴史を書くにはやはり吏の協力が必要である。
 吏は官とは違った意志を持つ。
 表面上、彼らの意志は官の意志であらねばならぬ。
 しかし、彼らは目立たないところで、自分の意志を示す。

 彼らの誇りは、支配への意志ではない。
 彼らは官のように立身出世できるわけではない。
 彼らの誇りは「正確な叙述」にある。
 そういう誇りをもつ彼らは、どこかで歴史の偽造にブレーキをかけている。
 真実を解く鍵を、官によって命じられた歴史の叙述のなかに、ひそかに記述しておくのである。
 たとえば、例の山背大兄皇子殺害のところに、古人皇子のいう言葉がある。
 「鼠は穴に伏れて生き、穴を失いて死ぬ」という言葉である。
 もう一つ、入鹿が殺された後に、古人皇子はおどろいて人に言う。
 「韓人、鞍作臣を殺しつ。吾が心痛し」と‥‥。
 この韓人とは誰かについていろいろ説がある。
 この言葉は謎の言葉とされている。
 私は後にくわしく論じたいが、この古人皇子の言葉も、吏によって書かれた記録ではないかと思う。
 古人皇子は、やがて中大兄皇子によって殺される。
 まさしく死人に口なしである。
 その口のない死人に、歴史の真実の破片を示す言葉を吐かせているのである。
 「心ある人よ、この一片の言葉から、真実の歴史の姿を読み取ってくれ」
 そういう、官によっておさえられた吏の意志のが見られると私は思う。







 【習文:目次】 



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