2010年12月15日水曜日

: 遺伝子スイッチのonとoff

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● 2007/08



 人間に起きる場合を考えてみよう。
 人間も正しいエピジェネテイックな信号をおくりさえすれば、健康で頭のいい赤ん坊を産むことができるのだろうか。
 この分野の研究がもっと進めば、出産後に有害となる遺伝子の発現を抑えたり、眠っている有益な遺伝子を目覚めさせたりするのも夢ではなくなるかもしれない。
 エピジェネテイクスはひょっとすると、人間の健康管理の概念をまったく新しいものに書き換えてしむかもしれないのだ。
 DNAは運命だが、修正可能な運命だ。

 人間のエピジェネテイクス研究で、現在もっとも注目されているのは対峙の発生についてだ。
 受精後の数日間、母親自身はまだ妊娠したとは気づいていない時期が、かって考えられていた以上に重要であることがいまや明白になっている。
 この時期の重要な遺伝子のスイッチが入ったり、きれたりしているのだ。
 また、エピジェネテイクスな信号が送られるのが早ければ早いほど、胎児にその指示が伝わりやすい。
 言ってみれば、母親の子宮は小さな進化実験室なのだ。
 新しい形質はここで、胎児の生存と発育に役立つものかどうか試される。
 役にたたないと分かったら、それ以上は育てず流す。
 実際に、流産した胎児には遺伝的な異常が多く認められている。

 アメリカ人が多く食べているいわゆるジャンクフードは、高カロリー高脂肪ではあるが、栄養分、特に胚の発生時に重要な栄養分はほとんど入っていない。
 妊娠1週間目の妊婦が典型的なジャンクフード中心の食事をしていれば、胚は、これから生まれ出る外の世界は食糧事情が悪いという信号を受け取る。
 このエピジェネテイクスな影響を複合的にうけて、さまざまな遺伝子がスイッチを「on」したり「off」したりする。
 それは、外の世界の少ない食料で生き延びられる体の小さい赤ん坊を作ることになる。

  20年ちかくまえのことだが、イギリスのデイヴィッド・バーカー教授は胎児期の栄養不足と将来肥満になるということの関連性をはじめて提唱した。
 以来、彼の理論はバーカー説または「節約型表現型説」と呼ばれ、あちこちで引用されている。
 ちなみに「表現型」というのは、遺伝子が実際に形態として現れる型のことである。
 もしあなたの両親の一方が平耳(耳タブが垂れ下がっていない)で、もう一方が福耳(耳タブが垂れ下がっている)だと、福耳が優生遺伝子なのであなたは福耳になる。
 あなたの表現型は福耳である。
 ところがエピジェネテイックな影響は遺伝子型を変えずに表現型を変える。
 もし、あなたの福耳遺伝子の発現がメチル化でオフされたら、あなたの表現型は福耳でなくなるかもしれず、平耳になるかもしれない。
 それでもあなたの遺伝子型は福耳のままなので、その遺伝子型はあなたの子どもに聴き継がれる。
 あなただけが、福耳になるスイッチを切られいるという状態になる。

 節約型表現型説によれば、栄養分の乏しい体験をした胎児は「節約型」の代謝を発達させて、胎内にエネルギーを蓄積しやすい体になる。
 節約型の表現型をもった赤ん坊が食料の乏しい1万年前の時代に生まれていれば、節約型の代謝のおかげで生存の確率がたかまったであろう。
 だが、栄養分が乏しいのにカロリーだけは高い食料が豊富な21世紀に生まれてくると、ひたすら太ることになってしまう。
 母親の食習慣が子どもの代謝体質を決めるという通説はエピジェネテイクスで説明できるようになったため、節約型表現型説の説得力はさらに強まった。

 母性遺伝に関しては、あなたの遺伝子型にあなたの祖母が得たメチル化の書き換え情報が加わるチャンスはかなり高いと思われる。
 女児(あなたの母)が生まれるとき、その女児はすでに卵巣の中に一生分の卵子を持っているからだ。
 奇妙に思えるかもしれないが、あなたの染色体の半分を決める卵子は、あなたの母が、あなたの祖母の子宮の中にいる間に作られたものなのだ。
 あなたの祖母が母にエピジェネテイックな信号を伝えたとき、祖母はその同じ信号をいずれあなたのDNAの半分になる卵子に伝えていることは、近頃の研究が指し示している。
 メチル化による改変が世代ごとに消去されないなら、それは結局、進化になる。
 あるいは、親や祖父母が獲得した形質はその子孫にずっと遺伝する、といい換えてもいい。

 これまで紹介してきたメチル化の影響のほとんどは、出生前に起きているものだ。
 だが、エピジェネテイックな変化は生きているあいだじゅう起こる。
 メチル化が起これば遺伝子がオフになり、メチル化がなくなれば遺伝子はオンになる。
 メチル化は、変異と同じくそれ自体いいものでもわるいものでもない。
 どの遺伝子がオンになって、どの遺伝子がオフになるか、そしてその結果がどうか、というだけの話だ。
 
 現在のエピジェネテイクスは、「知れば知るほどわからなる」ような段階かもしれない。
 われわれはまだ、「何がわからないのかさえよくわかっていない」
 ようするに、実際に何が起きているのか、まだ何も分かっていないということだ。

 エピジェネテイック効果や母性効果の不思議について、ニューヨークの世界貿易センターとワシントン近郊で起きた9/11テロ後の数ヶ月について見てみよう。
 このころ、後期流産の件数が跳ね上がった。
 カリフォルニア州で調べた数字によると、この現象を、強いストレスがかかった一部の妊婦は事故管理がおろそかになったからだ、と説明するのは簡単だ。
 がしかし、流産が増えたのは男の胎児ばかりだったというのはどう説明すればいいだろう。
 カリフォルニア州では、2001年の10月と11月に、男児の流産率が25%も増加している。
 母親のエピジェネテイックな構造の、あるいは遺伝子的な構造の何かが、胎内にいるのは男の子だと感じとり、流産を誘発したのではないだろうか。

 逆に、大規模な紛争があると男児の出生率が上がるという研究結果もある。
 第一次世界大戦と第二次世界大戦の直後がそうだった。
 最近ではイギリスで600人の母親を対象にした研究では、自分たちは早死しそうだと予測している人より、健康で長生きすると予測している人ほど男児を多く産んでいた。
 どうやら、妊婦の心の状態がエピジェネテイックは事象または生理学的な事象を引き起こし、それが妊娠状態と男女の出生率を調整しているらしい。
 いい時代には男児を多く。
 つらい時代には女児を多く。
 では、エピジェネテイクスの時代は?






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