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● 2009/08[1978/**]
『
警視庁警察医による死体検案始末書から推察すれば、静子はその死のために短刀を用い、最初三度その胸を刺したようであった。
一度は胸骨に達し、それが遮った。
二度目は右肺にまで刺入したが、これでも死にきれなかったであろう。
三度目の右肋骨弓付近の傷はすでに力がつきはじめていたのかよほど浅かった。
希典が手伝わざるをえなかったであろう。
状況を想像すれば希典は畳の上に、短刀をコブシをもって逆に植え、それへ静子の体をかぶせ、切尖を左胸部に当てて力をくわえた。
これが致命傷になった。
刃は心臓右室を貫き、しかも背の骨にあたって短刀の切尖が欠けていた。
希典は静子の姿をつくろい、そのあと軍服のボタンをはずし、腹をくつろげた。
軍刀を抜き、刃の一部を紙で包み、逆に擬し、やがて左腹に突き立て、臍のやや上方を経て右へ引き回し、一旦その刃を抜き、第一創と交差するように十字に切り下げ、さらにそれを右上方へ跳ね上げた。
作法でいう十文字腹であった。
しかし、これのみでは死ねず、本来ならば絶命のために介錯が必要であった。
希典はそれを独力でやらねばならなかった。
彼は軍服のボタンをことごとくかけて服装をつくろったあと、軍刀のツカを畳の上にあて、刃は両手でもってささえ、上体を倒すことによって咽喉を貫き、左頚動脈と気管を切断することによってその死を一瞬で完結させている。
』
● 自宅での最後の写真
【習文:目次】
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